俺の仇討、血染めのディグル その2
引き続き視点が変わります
私は甘かった。彼が自分の望みの為ならばこちらの望まない行動を起こす可能性を失念していた。
こちらをその気にさせるが故に仲間を傷付けるという、至極単純な行動理念を考えてはいなかった。
静かに、怒りを引き出された。確かに此処は戦場だ。争いで多くの人が怪我をするし、亡くなる人だっているだろう。
しかし彼の行いは生殺与奪の摂理とは大いに解離した動機で執行していた。
挑発に乗ろう。
「……後悔しないでください」
「それが本懐というものですよ」
向き直った彼は、微笑みながら戦闘に戻る。レグルスに対して関心はない。ただ、私を怒らせる為の当てつけに痛めつけただけ。
その事実が、尚の事許せない。
鈍い鼓動が全身に広がる。人型に留めていた肉体は、巨大な白き竜の姿へと変化した。
「おお……!」
体毛のある獣のような四脚、全身は桃に色味がかった白鱗に覆われ、天を貫こうとする一本角を伸ばす。
私はこの場に完全竜化を曝け出し、碧い瞳でディグルを見降ろした。
「望みのままにお見せしましょう、この首狩りパルダの全身全霊を」
「なんと神々しき姿。そしてひしひしと伝わるこの圧迫感! そう、これです。私が求めていた物は貴女だった」
老兵はうっとりとした面持ちで見上げ、臨戦態勢をとった。
グッと、私は竜の巨躯をたわめる。尾を地に設置し、螺旋に縮めて力を溜めた。身体中の鱗を逆立て、凶器に変える。
「お覚悟を」
「出来てますよ。さぁ--」
そして私は超加速を始めた。世界を置き去りに景色が光のように流れる。
ディグルを追い抜いた。それだけだった。その移動に手も足も出させない。
この動きの前では、彼は棒立ちの人形でしかないのだ。
「ーーぁあああ?!」
竜の胴体を掠めた彼は宙を舞い、幾多の切り傷に包まれる。
受け身を取らず、男はそのまま地面に墜落した。
オブシド様のような人外の動体視力でも無ければ対応出来ない。それが、人間の限界。
生物としての性能の暴力で、強引に決着をつけた。
「これで、満足でするか?」
「……」
「恐怖を覚えたでございましょう。死が間近に迫った筈でしょう。こんなものを体験したさに戦場に身を投じるなど、私から見れば愚か者としか言い様がありません。早々にお退きなさい。二度と旦那様やレグルス様を傷付ける様な真似は許しませぬ」
彼を否定し、私は彼から褒め称えた竜の姿を背けた。引っ掛けただけとはいえ、撥ねられた衝撃で肋骨を何本か折っている。ディグルはロクに動けないだろう。
レグルス様の元へ向かおうと歩み寄ろうとした所で、
「っ」
後ろ足に、鈍い痛みが走った。矢を通さない鱗を主を持たない刃が貫く。
振り返ると、彼は上体を起こして投擲の動作を終えていた。
「フッフッフッフッ」
どうやら付与の魔力を籠めたクリシュマルドを投げつけたのだろう。だが、この程度のダメージならば動く事にも差し支えは無い。尾で刺さった剣を払い、踏みつけて粉々にした。
「もう一本、残っていますよ。私はまだ、貴女の敵に足りうる」
「懲りない方です。やってごらんなさい、その時は貴方の破滅を意味する」
警告は無視された。全力で放たれた二発目の投剣が私に向かって飛んで来た。しかし私は刀身に食らいつき、そのまま噛み砕く。
私は丸腰となった彼に向かって駆け出した。前脚を彼の胴体に力強く押し付ける。
重なった無数の小枝が次々と折れるような音がディグルの中から聞こえた。老体に酷い事をした。
「ぎぃあああああ!」
「まだ、やりまするか? 貴方はまだ敵となるのですか?」
どうにか息絶えぬまでに留め、圧迫した手を放す。血と共に咳き込み、握り締められた羽虫のような彼だったか。
「……フ、フフ」
まだ笑みを崩さない。狂気の域だ。一体何だ、この人は。
「生かすつもり、かな? お嬢さん」
「殺しませぬ。代わりに闘えなくしました。傷は癒えても、貴方は二度と立てないでしょう。もう人を殺める事など出来はしない」
「……さて、それはどうでしょう」
文字通り手も足も出ず仰向けになった彼は、私に警鐘を鳴らす。
「たとえこの足が動かなくなろうと、這ってしまえば動く事だって出来ます。私ならばそんな状態でも寝込みを襲う事は難しくありませんよ。では腕を捥ぎますか? ならば口を使って刃物を加えるなりして喉笛を掻き切りましょう。貴女でなくとも貴女のお仲間なら狙えます。今度は口も使えなくする? ならば--」
そんな言葉を、死に直面したこの場において並べ立てる。
罵声よりも冷たかった。怒声よりも底知れぬ恐怖を感じた。
「誰かに依頼をさせましょう。私もギルドでは相応の立場、顔が広いですからねぇ。暗殺者の伝手なら幾らでもありますよ。そうさせないようにお尋ね者にでもしますか? 構いません。誰か通りすがりの通行人を唆しても良い。この成りを活かしてペテルギウスの人間に同情を買って貰うのもありですね」
「貴方は、何を……」
「質問を返す様ですが、私はまだお嬢さんの敵ではないと? 貴女が危惧を覚える価値は無いと思いますかな?」
彼は求めていた。自分に降りかかる恐怖を。
「分かっている筈です。どうしても手を掛けなければ、私はどの様になっても貴女の脅威となる。その芽を摘みたいのなら」
折れた腕を震わせながらどうにか持ち上げ、トントンと己の胸を叩いた。
「私の命を止めるしかない。何、ご安心を。家族などとうの昔に失った孤高の身。誰の恨みも買いません」
「どうしてそうまでして、死を体感したいのでするか?」
「つまらない感傷と自戒ですよ。語る必要も、知られるべき過去もありません。貴女の手を汚したい。そんな非道な老いぼれなだけ。さぁ選びなさい。此処で息の根を止めるのか、それとも意地でも見逃していずれ私を殺める以上の後悔をするのかを」
この人は本気だ。誇張でも虚勢でも無く姫様や旦那様、私の関わった人達に牙を剥く。とるべき選択は一つ。
覚悟をする時が来た。いずれはこんな時も来るだろうとは、思っていた。初めて、自分の本意で誰かを殺めるという瞬間を。
私は竜の姿のまま前脚を上げた、先程以上に空高く振り上げる。確実に、一瞬で終わらせる為。
「そう。それでいい。戦場とはそうあるべきですよ。ひと思いに手を掛けて頂けるとは」
爪を開いた前腕で勢い良く振り降ろす。
「お優しいお嬢さんだ--」
ディグルの五体は全力の一撃に屠られ、元の形が分からなくなった。
「パルダ殿! 竜の姿になっているが大丈夫か!? 何やら今凄い音がしたが。むっ、レグルス!」
私がその決着を終えた直後に、ヘレン様が戦場の最中で駆け付ける。そして倒れ伏した獅子男を見つけた。
「何をやっているのだ軟弱な! あの威勢はどうした」
「う、うるさい。少し気絶していただけだ」
介抱しようとした結果、レグルス様は時間を掛けて自力で立ち直られた。あれだけ斬られ、貫かれたというのに、なんという頑強さ。竜人にもひけをとらない。
戦場は一進一退を繰り返していた。敵国の猛者を皆は必死に食い止めてくれている。
だが戦局の先を考えると思わしくは無い。今は拮抗する事が出来ていても、後から後から続々と足止めを食っていた敵陣が押し寄せて来る。新手だ。
「不味いな。このままでは押し切られるぞ」
「その前に、先駆して止めまする」
圧倒的な数の暴力は、築き上げた防波堤を越える波のように迫っているのを見て私は進み出る。この竜の姿で飛び込めば、敵陣は大いに乱れるだろう。
皮肉にもディグルとの戦闘で引き出された竜化のおかげで、私自身も腹を決める事が出来た。
これからより多くの者を傷付け、それが行き過ぎた事で相手を殺めてしまっても、味方を守る為にはそんな結果も厭わない。
もう少しの辛抱、此処が正念場だ。なんとか間に合わせて見せる。
間もなく、ペテルギウスの第二波がこちらまで迫った時だった。
両者の陣地を線引く様に、海面から強い水圧の息吹が横切った。地面を裂き、遥か遠い大地にまで届く。
想定外の場所からの攻撃に敵兵たちは踏み留まった。
「な、何だ!?」
「海の方からだとォ!」
「オイ! アレ何だよ!?」
飛沫をあげ、海中から顔を出したのはドラゴンの頭部。乱入者は一頭どころではなく、次々と海岸を埋め尽くす程の数が出現した。
彼らはヒレを這って浜辺へ上陸する。そしてペテルギウス側だけに襲い掛かり始めた。
「聖域のレヴィアタンだっ!」
「奴等ってもっと沖の方にいるんだろっ、何でこんな所に!?」
「地上に上がって来るぞぉ! ヤバイヤバイヤバイ!」
人々が畏怖して名付けられた魔物の本当の正体、此処にやって来た理由を私は知っている。彼等はドラヘル大陸を守る青の一族の竜人。海を支配しているといっても過言ではない者達。
この戦争に加入したのは勿論、増援を火の国トゥバンに要請されたからだ。この戦場での時間稼ぎは、彼らによる掃討を待つ為だった。
「まったく」
海の中、一際大きな海竜が飛び出した。赤い珊瑚角を持った長が、人の形に化けて地に足をつける。
蒼髪に同じ色をしたレオタード姿の勝気な少女が、腰に手を当てて参上した。
「サフィア様!」
「飛ばしてるじゃないパルダ。みっともないわね、アンタ程の竜がこんな汚い奴等に」
潔癖症なこの方は、その竜から人間への変貌にたじろく敵の兵士達を一巡して、
「手こずってんじゃねぇわよ。手を汚したくないしこれでいく」
握った拳を砂地に叩きつけると、前方の地面が盛り上がった。兵達の陣形が大いに乱される。
それからその地面から噴き出したのは、おびたたしい量の海水--噴水だった。
青の一族は火を吐く事が出来ない代わりに、水を司ることが出来る。地の利はサフィア様達にある。
「いけませぬ!」
ダメだ。すぐに気づいた私は鋭い警告を発した。煩わしそうに少女は、
「分かってる、殺しはご法度でしょ。加減を間違えなければの話だけど」
噴水の柱を殴りつけたと同時、指向性が操られて敵に高水圧の水が放射された。やがて意思を持った蛇のように身をくねらせ、敵にぶつかっていく。
「ぐァ」
「うわぁ!」
敵兵達はその濁流に蹂躙され、薙ぎ払われていく。大暴れする青の一族に触発され、自軍も活気が戻った。
そうして瞬く間に、戦場はこちらの有利へ傾いた。これなら、と私は安堵した。彼女達の手腕があれば、余計な殺戮も無く制圧できる。
「パルダ、アンタもういいわよ。用済み」
「え? あ、あの」
「あたし達だけで十分だって言ってるの。それに見なさいほら」
遠くを指差すサフィア様につられて見た私はその森林奥の光景を目に捉えた。戦場の最中では、注視しなければ気付かなかっただろう。
向こうは恐らく主戦場--オブシド様や旦那様らが今も闘っておられている場所だった。
天にも上る大きな火柱が立っていた。やがて巨人の右手のような象りを作っている。
もしやアレは旦那様の--
あの技を使うという事は、苦戦を強いられている証拠。そして一度扱えば著しい消耗が伴っている筈だ。彼に危険が迫っている可能性がある。
火柱は、数秒の間に崩壊して引っ込んでいった。森林の先ではもう何が起きているのか分からなくなる。
「心配なら行きなさいよ。」
「しかし、私は此処を任された身。放棄するなど」
「心配はいらぬぞパルダ殿。その為に我等も配置したのであろう?」
「ああ、案ずるな。この不死のレグルスが此処にいる」
「お前は半死半生ではないか」
ヘレン様とレグルス様が、私を後押しした。……悩んでいる場合ではない。
「分かりました。皆様にお任せいたしまする」
そして、疾風と化したこの身で森林をすり抜け、別の戦場へと駆け付けた。
次回更新予定日、2/25(土) 10:00




