俺の仇討、血染めのディグル
※視点が変わります
※
沿岸地域での戦争に火蓋を切った矢先、このパルダにも正念場が訪れた。
「おやおやお嬢さん。ごきげんよう、またお会いしましたな。こんな場所で逢いまみえるとは思いもよらなかった」
「血染めの、ディグル……」
私有地での猟に興じに訪れた様な初老紳士が罵声飛び交う戦場を悠々と闊歩する。
馬から降り、獲物を狩る為の弓矢の代わりに腰に提げた2本の細い剣を抜いた。刀身の形状からして恐らく細かく分類するとアレはクリシュマルド。刺突に特化した細剣。片手で扱え、斬撃にもある程度活用できる。
「光栄ですよ。かの首狩りと畏れられた貴女に私などの異名を耳に入れて頂けていたとは」
皺の寄った人の良い笑顔で今から起きる戦闘とは裏腹に話を続ける。
「それだけではない。さぞ、あのゴブリンも仕えるに相応しい御仁なのでしょう。私が不意を狙ったにもかかわらず、見事に凌がれてしまいました。素手で防がれては流石にこの腕も自信を失くして--」
「嘘でございましょう」
一度立ち止まり、固まる。
「はて、どうしてそう思われたのですか?」
「死臭や血の匂いです」
「血、ですか。それは不思議ですなぁ。存知の通り、私は人を殺める事を生業にして来ております。不自然な匂いなど残さぬ様、常日頃から身嗜みを大事にしているつもりです。なるべく返り血にも気を付けていますがそこまで嗅ぎ取れる物でしょうか」
「臭うのは貴方ではありませぬ」
確かに彼の言う通り、竜人といえど彼が如何にその手を血に染めようと香りを使ったり時間が経てばそんな匂いも全く分からなくなる。だが、
「その剣、杖などに仕込む時もそのどちらかの刀身に変えておられますね」
「ほほう。何やら根拠があるのですか?」
「さしもの刀身に染み付いた血は拭き取るだけでございましょう。長らく愛用されているクリシュマルドには残り続けておられますよ。幾多の人間を殺めた時の匂いが」
ピクリと眉を動かすディグル。人では看破不可能な情報を突きつけられ、精神的優位を取れただろうか。
「失礼ですが血染めのディグル、あの時貴方は手加減をされておりませんでしたか? より激化する争いになると踏んで、グレン様をあえて仕留めなかったと思えるのでする。そこまで死臭を染み込ませた剣を持っておられながら、あんな生半可な攻撃しか繰り出せないとは考えにくいと私は踏んだのです」
「ふふ」
整えられた髭が綻び、歩みを再開。同時に私の後方から、大柄な影が横切る。
「独特な感覚をお持ちだ。それもまた竜人という生き物であるからでしょうかな?」
「俺が相手だァあああああああ!」
「レグルス様!?」
痺れをきらした獅子男は、制止する間もなく男目掛けて飛び掛かる。
「先程の質問、肯定しておきましょう」
一瞬の攻防だった。レグルス様の鋭い爪をすり抜け、ディグルは相手の背後に回る。
「長らく人を殺めてまいりましたが、近頃は大切な感覚が麻痺しております」
「ぐわっ」
体格差をものともせず、細い刃が背中をバッテンに斬り付けた。のけ反るレグルス様。
しかし、彼は持ち前の頑丈さですぐに振り返って反撃に転じた。ディグルとの距離を振り払う。
「おやたくましい。しかし獅子の御方、貴殿ではやはり力不足ですな」
「何だとォ!」
嵐の様な爪撃を繰り出すレグルス様。だが、彼は飄々として鋭利な猛攻を紙一重で回避してのける。
それどころか、その腕に斬撃のカウンターまで入れてた。人間という枠では常軌を逸した芸当。
そんな状態で振り回す事で、赤い霧か舞う。彼と対峙する者はそうして血染めされていく。
「うぐ、ぁ!」
「恐怖が感じられない。これは致命的です。危機を覚えなくては私の戦場は単なる作業と化してしまう。だからリスクを被ってでも本物の脅威というものを実感したい」
それこそが、この戦場。狙いは、
「竜人--私達でございまするか」
「ええ。ええ」
今の相手はレグルス様であるというのに、意識は私にばかり向けている。レグルス様を歯牙にもかけていない。
獅子は屈辱に牙を鳴らした。吠える。
「闘っているのは俺であろうがァあああああああああ!」
「残念ですが」
踊るクリシュマルドが無情にも彼の全身を切り刻んだ。膝をつき、やがてその巨体が地に落ちる。彼ほどの男が、こんなにもあっさりと……
「ゴアァ」
「私を満たせるのは生半可な方ではダメなのです」
「レグルス様!」
いけない。トドメを刺される前に止めに入ろうと籠手剣を構えて走る。
「ほほ。そうですそれで良い。始めましょう、それが私の生い先短い生涯の刺激に足る物になる。ああ、ご安心を。虚偽や小細工を今回は使いません。では--」
間も無く飛んできたのは、残像を残す早さで繰り出された無数の乱れ突き。
二刀の鋭さは目の前で対面する事でどれほどの物か実感できた。彼の剣閃は竜の私の動体視力をもってしてもどうにか捉えられるかどうか。
並みの人ならば何をされたのか分からないまま命を落とすだろう。本当に人の為せる業だとは思えない。人との闘いで、これほどの難敵はいまだかつて目にした事がない。
防戦一方だった。剣術で、追い詰められる。
「ぐっ」
「やはり私の見立てた通り。この全力の太刀筋を交えられる御方はいつ以来か」
ゆったりとした口調の中で、音を置き去りにしそうな程の速度で刃が混じっていく。右、次に左、交互に右と見せかけての左、右と。
私は腰を落とし、頭上で太刀筋が空振る隙に下段を斬り付ける。が、後ろに滑らせる様な不思議な歩法を見せて身を退いた。
「しかし、まだ貴女は全力を出していない。さぁ見せてください。その武器を扱っていては存分に振るえないでしょう」
「……」
ディグルの言う通り、確かに私は竜人の力を発揮していない。ただそれは、人との相対ではなく怪物と言っても良い次元に対して用いる物だ。
でも、このS級2位の男にもそれが当てはめても良い。彼は、もはやその次元の存在だ。
私はジャマダハルを置き、素手になった。腕の一部から鱗を伸ばし、刃を作る。
それでいい、とディグルは頷いた。片方のクリシュマルドを鞘に戻し、刀身を立てて前に構える。此処で一刀流に?
戦乱の最中で二人だけの沈黙。私がこの一撃に賭けようとした所で、向こうは口を開く。
「……ああ、僅かですが思い出した。少しでも気を抜けば死に晒されるこの緊張感」
「その割に、悠長な態度ですね」
「いえ、やせ我慢ですよ」
彼の後ろで、レグルス様は胸を上下していた。手当てした方が良いかもしれない。早々に決着を付けたい。嫌な予感がする。
「--フゥッ」
飛び出した私は相手を袈裟斬りにすべく真っ向から踏み込んだ。竜人としての脅力を存分に振るう。
ディグルはこちらの攻めに対し、回避ではなく初めて防御に回る挙動を見せた。まさか受けきるつもりなのだろうか? オブシド様らの竜人の鱗ですら貫く一撃を。
不穏な胸騒ぎは、すぐさま現実になった。
手ごたえの悪い音と共に、目と鼻の先で血染めのディグルはニコリと笑う。
「フフ」
「--そんな」
木の枝の様に細い刀身は、己の腕よりも太い刃鱗を阻んでいた。へし折れるどころか切れ込みすら無く、彼のクリシュマルドは健在。
それが何よりも不自然だった。あの剣は刺突に向いた細い刀身の性質上、元々鍔迫り合いに向かない武器だ。故に立ち回りが重要視される物であるにも関わらず、ディグルはその前提を覆した。
「驚いている場合ではありませんよお嬢さん」
「ッ!?」
剣を止めている間に、先程鞘に収めていたもう一本の細剣に手を伸ばしていた。私は後退する。しかし今度はディグルの方から詰め寄って来た。不味い。
そこからの攻防は数秒の間に、数えきれない交錯を経た。私の両腕と相手の双刃の接触で火花が飛び散る。
彼の細腕からは想像もつかない程、その一撃一撃が重く、鋭い。捌くので精一杯だった。
「ほほっ、こうも渡り合えるとは素晴らしい。ですが」
たまらずこちらがよろめいた所で、大振りの一太刀が目に入った。
「覇気が--勝利への執念が足りません」
それは、己の師から度々叱咤される言葉と同じであった。
私も空いた方の腕を前に、鱗で防御に集中。直後、目の前で火薬でも炸裂させたような衝撃が伝播した。
単純に力ずくで薙ぎ払われた一撃に競り負けたと気付いたのは、自分が地面に転がり終わってからだった。
間に合った防御の引き換えに、露わとなった白鱗が縦に裂けて朱に染め上げられていた。傷は浅く深手ではないが、ダメージが通った事実が目の前に残っている。
信じられなかった。自分が此処まで追いやられるだなんて。
皆がいれば不甲斐ない体たらくを責めていただろう。無意識下でも竜人として生物として力の差による奢りがこの事態を招いた。
何をやっている、私は。
「ほほ、大丈夫ですか? まだ闘えるでしょう」
状況に惑わされるな! 翻弄されつつある私は唇を噛み、思考を切り替えた。
彼の実力は図り切れないが、何か裏があるのは間違いない。これまで見せた情報からいくつか奇妙な点があった。
まず、ディグルはレグルス様と私との闘いで未だに闘技の類を披露していない。ただの純粋な剣術だけで亜人達を追い詰めている。それは竜人や獣人とも身体能力だけで渡り合えているというのは恐ろしい。
それだけでは片づけられない点もある。私の一撃をあんなに細い剣で受けたにも関わらず、容易く受け止めてしまった事。人の太刀筋で竜の鱗を易々と斬り裂いた事。それは物理的にも事象を逸脱している。
見上げると、彼は歩を進めていた。両刃を前に私を確実に仕留める体を緩めない。
「お立ちなさい。それともこのまま大人しく死を待ちますか? それでは退屈です。私はまだ満足していないというのに」
あの変哲もないクリシュマルドは、どうしてそれほどの力を秘めているのか。まるでグレン様--
ハッ、と。あの人を凡例に出した事で、脳裏に一筋の可能性が閃いた。
そうだ。もしかすれば彼は闘技を使わないのでなく、使う事が出来ないのではないか?
人には闘技以外にも魔法や付与といった力も秘めている。確か、旦那様が言うには武器を扱う者は闘技と付与を併用するのは限りなく不可能に近いという話だった。
「付与を使っているのですね?」
「おお。当て推量でしょうか? だとしても見事な勘のよさ」
賞賛する傍らで、私は立ち上がった。こちらの気力を取り戻させる為に、戦闘を求めた向こうも乗って来る。
「付与、岩窟剣。今も地属性の魔力を刀身に纏わせております。特性は硬化。そしてこの属性は応用すれば見た目は変哲も無い様にも出来るのです」
付与の維持は相当な魔力制御を要するらしい。だから闘技は扱わない。そして細剣の異常な耐久性も頷ける。付与はどの属性にせよ、威力も向上するのか。
「拝聴感謝致します。手品の種を見てやる気を取り戻されたのなら良かった」
「虚偽や小細工を使わないというのは嘘ですか?」
「それこそが虚偽ですよ、ほほ」
嘘をつかない、というのが嘘であると。
「しかしお嬢さん、私としてはそれでは満足といきませんな。もっとお見せください、竜人の真の御力を。貴女はまだこちらを気遣っておられる。殺す気が無いというのが丸分かりですよ? お見せください、ドラゴンの本気を」
「それは、主君らの意思に背きまする」
旦那様は、この争いにあたって多くの犠牲を出したがっていない。鋭い鱗刃を竜の状態で振るえば、少しの加減を間違えただけで並みの人間は五体が四散する。だから、極力人型で敵を戦闘不能にする事を努めていた。
全身の鱗が刃に変わる私は、竜の中でも突出して危険な存在だ。ただでさえ竜人の力を抑えて扱うのもやっとであるというのに、それ以上の全力を求めて来るなんて。
「人が死ねば、心を痛める方がいるのです。貴方の要求は吞めません」
「それが戦争という物。手加減でお嬢さんが殺されては本末転倒ではありませんかな?」
「負けませぬよ。誰も殺めずに、そして勝ちまする」
「……残念です」
ハァ、と彼は溜め息を吐いた。こちらへ向かって来るのを止め、何故か後退する。
「ならば、その気にさせるしかありません」
何をする気かは、すぐに分かった。彼は足元で伏したレグルス様の元に立った。
剣を逆手に持つ。
「止めーー」
「ガァァッ……! グァ! ガゥアあああああ!?」
虫の息の獅子男の背に、クリシュマルドの刀身を落とした。彼の屈強な身体をまるで針を通す様にめった刺しにする。
「まだ躊躇しますかお嬢さん? これでもまだ同じ綺麗事を並べますか」
「お止めくださいッ! 死んでしまいまする!」
「死んで貰う為にやっているんです。手加減などしている限り、私は貴女のお仲間を殺しますよ?」
凶行を続けながら、ディグルは穏やかな口調で宣言する。
「さて、どうしますか?」
次回更新予定日、2/22(水) 7:00




