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俺の決意、嘘と約束

 ペテルギウスの一件でアルデバランの城は震撼した。戒厳令を敷いてはいるが、いずれは国中に広まるのは時間の問題だった。


 約束を棄却されたとはいえ、勇者を降したという口実で賠償を求められているという状況。

 そしてゴブリンを差し出さねば、これから戦争になるという事実を隠蔽する事は不可能と言っても良い。


 竜姫りゅうひアルマンディーダはこの事態を打開すべく城で様々な対応に追われていた。ティエラ達も同じく、どうにかペテルギウスとの話し合いの場を設ける努力を続けている。

 しかし望みは薄いだろう。国王の意思が--国そのものが、俺に歯牙にかけているからだ。



 俺は、一人拠点のベナト村に戻った。命を狙われたのだから先に休めと言われ、道中までは騎士の護衛を付けてくれた。

 アディ達はあの調子だと多分、明日の昼までは戻らないだろう。

「グレン殿、きっと大丈夫ですよ。何かの間違いですって」

「……そうだと、どれほど良かったか」


 気休めの言葉を受けても、いまいち喜べない。アルデバランに争いの火種を持ち込んだ張本人としていつかは指差されるのではないか。そんな事を危惧していると俺はいたたまれなかった。


 皆、この騒ぎに戸惑いを隠せなかった。ペテルギウス国王の心変わりは異常と言っても過言ではない。

 あの勇者のメッキを剥がす行為に対して、リゲルの闘技大会では同意を見せていた筈なのに突然手のひらを返されるなんて誰もが想像していなかった。竜人にも協力的な姿勢を見せていたというのに。


 このままでは戦争になるという未来は、火の目を見るより明らかだった。残された猶予はほんの数日。それまでに何とかしないと、大勢の人間がそうなる必要も無かった筈の危機に晒される。

 争いを望まぬ人間を巻き込んでいる。そう考えただけで胸がキリキリと締め上げられた。



 ドラヘル大陸に――トゥバンに避難しよう。アディやティエラ達は城内でそんな最終的な提案を持ちかけていた。

 いくら強国とはいえ、海を渡って未知の大陸を踏破してまではゴブリンの俺一人を狙って攻め入る事は出来ない筈だと。騎士達も、王達も結果的に俺が種を蒔いた事に対して責めなかった。

 自分達は既に救われている立場であり、戦争を仕掛けられるなら徹底抗戦しても文句は無いと言い切る。しかし、代表はそうであっても大多数からしてみればたまった物ではない筈だ。


 みすみす、この国を見捨てるという選択肢は俺としては受け入れがたい。当の本人がのうのうと逃げて、人々が蔑ろにされるというのはおかしな話だ。


 後日、会議を開く事を約束して俺は自宅に帰って来た。

「おかえりー! 思ったより早かった……どうしたの?」

「ああ、ただいまトリシャ」

「顔真っ青だよ……? 大丈夫? 気分悪い? 休む?」

「そうか? 緑色なのに、良く分かるな」

「パパの娘だもの、分かるよ」

 そうか、と俺は不安そうに寄って来るラベンダー髪の少女に出迎えを感謝した。


「ねぇもしかして何か良くない事でも」

「まぁね。でも大した事じゃあ無い。偉い人ってのは気難しいって困ってるだけだからさ」


 そんな訳は無いのだが、これ以上彼女を不安にさせるのは嫌だった。だから本当の事を打ち明けない様にする。


「どうやらパパがお気に召されなかったみたいで、お国の話をアディに任せて一足先に帰って来たのさ。参った参った」

「何それー。パパは何も悪い事していないのに、失礼しちゃうわ」

「ハハ、全くだ」

 勇者カイルを蹴落とした事は果たして過ちだったのか。あのまま何をされても素知らぬ顔をしていればこうならなかったのだろうか。今になって自分の正しさに疑念が降りかかる。


 だが、後悔してももう遅い。勇者の損失に一枚噛んだ俺は、これまで以上に多くの相手を敵に回してしまった。たとえ、火の粉を振り払う為の所作であったのだとしても。

 だからその事実を受け止め、アルデバランから此処までの道中でも、自分が出来うる一つの選択肢について考えていた。


「なぁトリシャ」

「なぁにパパ」

「トリシャは誰かと喧嘩するのは嫌いか? やっぱり起きないに越した事ないか?」

「え? うーん」


 幼い少女はぼんやりと小首を傾げて一考する。

「トリシャもする時はするの。でもそれをわざわざ起こす人の気持ちが分かんない。だってトリシャは思うけど、どっちも辛いだけだもの。皆仲良く出来ればそれで良いのに」

「そう思うか?」

「うん」

「だよなぁ。パパもそうだよ」

 この娘もまた、出生から間もなく痛ましい過去を持っている。更に戦争なんて嫌な思い出を経験させるのは酷だろう。


 トリシャだけではない。アルデバランにもトリシャの様な小さな子供も何人もいる。そこには争いとは無縁な生活が営まれている。ペテルギウス側だってそうだろう。上が戦争を望んでも、あちらの民まで本意であるとは思えない。


 止める方法はある。とてもシンプルで手っ取り早いやり方だ。それなら誰も傷つかないし、犠牲になる人々は誰もいない。

「だからさトリシャ、ちょっと謝って来ようと思うんだ」

「謝る?」

「怒らせちゃったら素直に謝る。普通の事だろ? パパが行けば丸く収まると思うんだ」

「そう、なの? パパ出掛けるの?」

「うん。家を少し空けるけど、大丈夫か?」

「分かった。お留守番ね!」


 アディとパルダはまだ城にいる。どうやらシャーデンフロイデはぐっすりと昼寝をしていて、メイドのハンナさんも出掛けている様で好都合だ。

 支度をすぐ始めた。今の内なら誰にも止められる事は無い。


「えっ、すぐ出掛けるの? もう夜だよ?」

「今向かえば帰ってる途中だろうから追い掛けようと思ってな。早い内に謝った方が許して貰えるもんさ。そうすればお前の所にもすぐ帰れるだろ?」

 嘘だ。そう思いながらも、俺は優しく言った。

「パパったらせっかちね」

「思い立ったらすぐ行動。こういう言葉も覚えとけよー」


 軽口を返しながら、最低限の荷物を繕う。そして玄関口から少女の頭を手に置いた。

 いつもの調子で、大した用事でも無い様子を演じる。

「じゃ行って来るよ。良い子にしてろよ」

「うん。いってらっしゃい」


 後ろで手を振るトリシャから離れ、俺はそっと呟く。


「元気でな、トリシャ」


 夕暮れの陽射しで、俺の影が自宅の壁に伸びている。それは、やがて俺の歩みと共に離れていった。

 コルト村の出入り口を通り、竜人の国から運ばれてきた馬竜ドラホースを一頭借りた。見張りには適当な事を言って発とうとした時だった。

「どちらに行かれるおつもりですか?」

 行く手に、障害が現れる。黒き壁、竜人オブシデアドゥーガだった。


「散歩だよ。気分転換だ」

「ふむ、そうですか。こんなお時間に珍しい」

 なんて見え透いた嘘に彼は乗った。此処にいるという事は、俺の思惑を読んでいると踏んで間違いないだろうに。


「お前こそこっちに来てどうした。アディの方は大丈夫なのか?」

「私は今あの城で出来そうな事はもう残っておられなかったので、様子を見て来るように仰せつかりましてな」

「それなら心配いらんよ、俺はもう」

 竜馬に荷を積みながら、彼の目を見て言う。


「覚悟を決めた。これが俺の選択だ」

「……」

「止める資格は無いだろ? お前もかつてそうしたんだからさ」

 火の国トゥバンのクーデターで、オブシドは王族の未来を慮りあえて転覆を企てた主犯スペサルテッド殿下についた。責も憎悪も引き受ける気で。


 俺も、独断で似たような事をする。だから咎めたてられる筋合いはない。

「その御決断に、竜姫様のお考えは? 些か、同意しかねます」

「事が過ぎるまで黙っててくれ」

 俺は先にこの黒き竜に釘を刺した。これが命令であり、こうすれば逆らえない事は知っている。


「これが一番被害の少ない手段なんだ。どう考えたって俺を対価の戦争なんて間違っている。とっとと差し出せば良いんだ。時間が惜しい、行くぜ」

「分かりました」

 オブシドは一歩引く。引き止めずに俺を見送る事にしたらしい。

 心から感謝した。此処で問答してたら、せっかく固めた意思が鈍ってしまいそうだ。


 俺はこれから、死ぬ為にペテルギウスへ向かう。だがこれは自殺ではない。他の何かを守る為の身代わりだ。


「オブシド。頼みがある」

「何でしょう」

「後の事、任せるよ。アンタを信用してる。俺のやりたい事を多分全部知っている筈だから、頼んで良いか?」

「グレン殿、それは遺言という事でよろしいのですか?」


 拳をオブシドの手の甲に置いた。黒い鱗の硬質な感触が伝わる。

「そうだ。男同士の約束ってやつだ」

「……確かに、お聞きしました。誓いましょう、貴方がこの世を去った時は私が引き受けます」

「ありがとよ」


 反逆者との闘いは、俺がいなくても何とかなると信じたい。トリシャだってもう一人じゃない。呪いも俺を省けば彼女だけだ。


「俺が死んだらアディに伝えてくれ。愛してたって。それと、ごめんって」

「お伝えしましょう」

 竜馬にまたがり、俺は彼に見送られてコルト村を出る。

 死出の旅は、一人で始まった。

次回更新予定日、1/20(金) 7:00

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