俺の厄日、唱える予言の相違
余暇の間、アルマンディーダに言われるがまま俺はアバレスタを再度訪れる。
冒険者として日銭稼ぎをする事が無くなった現在、通り過ぎる事はあれど依頼斡旋所とは疎遠になりがちだった。
中は相も変わらず酒や煙草の匂いで充満し、酒場での賑やかさは健在。こういうやかましさが魅力の一つだが。
リゲルの武闘大会の申し込み申請をしに書類を片手に受付のテーブルまで行こうとする。
「何処から迷い出たか知らんがちょいと待ちなゴブリン」
入り口付近にある設置された酒場を経由しなければいけない内装である為、そこの席にいる者達を素通りする必要がある。そこで、俺は珍しく声を掛けられた。普段は滅多に絡まれる事も無いので本当に稀有な出来事だった。
「何か用?」
「その書類、まさか今度の大会に参加するつもりか? お前なんかが?」
痩せぎすの獣の皮でつなぎ合わせた服の男が、酒瓶を手に立ちはだかった。
腰に収まった短刀が目に入る。此処最近この街にやって来た傭兵か冒険者か。
「おいおい、別にゴブリンが出ちゃいけないなんて決まりは無い筈だが?」
「亜人は良いとしても、魔物はダメに決まってるだろぉ?」
「俺、亜人の認可を貰ってるんだがね」
別の書類の巻束を見せる。以前聖騎士長ハウゼンから貰った俺の人権を保証する証書だ。
「ひゃは! こりゃ面白れぇ! こんなちんちくりんが俺達人間と同等ってか? すげぇギャグかましてくれてんなぁ」
いや、野良犬みたいなお前さんより貴族だから多分立場上だよ? とはおくびも出さない。
まぁそれ言っても信じて貰えないだろうけど。
「なぁ、老婆心で言っとくぜ。ゴブリンみてぇな雑魚が出場したって恥かくだけだ。やめときな」
「良いじゃない、雑魚だって夢を見たいもんさ」
「自殺願望かぁ? 馬鹿が欲出すとロクな目に遭わねぇぜ」
「おっ、死ぬなら華々しい最後を彩りたいねぇ。やってみなきゃ分からんけど」
嘲笑が湧いた。ニヤニヤと周囲にも腕に自信がありそうなのが俺を見ている。
久しぶりだな、悪意に囲まれて味方のいない場所は。油断ならない緊張感がピリピリ来る。
「じゃあ失礼。受付さんとこれから大事なお話があるんでね」
ネズミの様に細い男は、通り過ぎ様に舌打ちを付ける。
牽制。謂わば脅しが目的か。
多分こいつも参加者だ。一人でも競争相手を減らす腹積もりだったんだろう。
だが荒事が毎日のこの場でも、奴らは下手に手を出せない。それは冒険者として生きていた俺が良く学んでいる。後は帰りと路地裏には気を付けたいところだな。
審査をクリアし、無事に俺もリゲルの武闘大会の参加者に登録を済ますなり、依頼斡旋所を出た。
幸い、俺を尾行しようとする奴はいない。
ただ、本当に運が悪いことに、最も会いたくもない男と遭遇した。
「おや? おやおや? その不気味な姿、見た事あるなぁ」
聞き覚えのある、他人を蔑んでいるのが明らかな空かした声。嫌な事は立て続けに起こるとは良く言ったもんだ。
「しばらく見なかったから何処かでのたれ死んだのかと思ったぜ? ゴブリン」
そう言い放つは高価な鎧を身に纏った、緑色の髪に端麗な顔の青年。
名前は確かカイル。新緑の風と歌われる勇者であった。
皮肉を込めて、俺はワザとらしく恭しい態度で返事をした。まぁ何より、人前で勇者に舐めた口を利いたみたいな言いがかりをつけられる可能性もあるからな。
「これはこれは勇者殿。貴殿こそ近辺でめっきりお見掛けしなかった様だが、どちらに行かれていたので?」
「北へ南へ駆り出される毎日さ。こんな田舎町なんざ、滅多に寄り付く必要が無いからな」
「へぇ、それは大変。勇者殿の役目がどれほど重要なのか、私めには推し量りようがありませんな」
この世界で勇者とは、予言に記載された災禍を倒す為に強国によって選出された存在だ。つまり、俺達の良く知る反逆者への対抗手段と言っても良い。
だが、実際どうだろう。コイツは予言と思わしき出来事に関与している気配が無い。何もやっていないとしか思えない。
念の為裏をとるか。もしかしたら俺達が遭遇した事件や敵が、予言が示唆した物ではない可能性もあるのだから。
「なので、参考までに勇者という御方がどういった偉業を成し得て勇者たりうるのか、是非聞いてみたい物です」
「お? もしかして疑っちゃってる? 俺が本当に勇者かどうかって?」
「いえいえ滅相もありません。ただ、勇者の責務という物がこのゴブリンのちっぽけな頭にはいまいち要領を得ておりませんので。しかし具体的な武勇伝に興味がありましてな。あ、いえ、嫌であれば結構。私如きでは語るに値しないのであれば諦めますよ。それなら、お偉方だけに吹聴なさってください」
傲岸不遜で嫌みたらしいカイルの顔に、不服な物が混ざった。俺に対して軽んじられたくないという意思が伝わって来た。
「いいよ。教えてやるよ」
街道の最中、立ち止まった勇者とゴブリンの俺の姿は衆目を集めた。
「五ヵ月前、リゲル付近にある村の農場にパイクアントの巣穴がの入り口が開通して縄張りと化した。一夜で村が壊滅。隣町の侵攻も危ぶまれていた。知ってるか? そいつ等は一匹一匹が子牛サイズの槍顎を持つ蟻だ。それが500匹。家畜どころか、酷い時は人間も食糧にしようとする。そいつ等の駆除に回った」
「冒険者ではなく、勇者殿が?」
「単体なら依頼難度としてもD以下の戦闘力だが、群れになればBからAランク相当。天災だよ。たまたま俺が近くにいたから迅速に被害を食い止められたんだぜ? 下手すれば街だって無くなる魔物を全滅させたんだ。三日でな」
へぇ、と適当に相槌を打つ。普通の依頼じゃないか。勇者はまだ自分の実績を自慢げに並べる。
「三ヵ月前、リゲルの沖合にシー・サーペントが三頭出た。B級だが奴等は船を沈める戦闘力を持っている。しかも貪欲で備蓄庫の魚を目当てに攻めて来ようとしたんだな。だから港まで上陸して来た所を」
親指を逆さに首を引く。この手で、首を獲ったと。これも、そう大した事はない。
「それでコイツは先月だ。翼竜だ。文句なしのAランク。この大陸じゃめったにお目にかかれないドラゴンだよ。以前鉱山で出た岩竜なんか目じゃない機動力を持ち、火も吐けるし尾のトゲにはひとかすりで死に至る毒まで持ってた。コイツがアルデバランの上空を飛び回っててな。ソイツも俺が仕留めた」
そして、とカイルは決め手とばかりに更なる話を切り出した。
「なぁ予言という存在を聞いた事があるか? 無いよなぁ、お前には。関係ないもんな」
「それなら私の耳にも入っております。人類を脅かす厄災を予め予知した物であるとか」
「へぇ、ゴブリンにしては良くそんな事まで。それが此処最近、実現して来ているんだよ。俺がそうして闘って来た敵もなぞらえているんだ。蟻の行進が死の夜。海蛇が呪い? 良く分からんが俺との闘いで陸上でのたうってくたばった。そして火の吐く竜が人を襲おうとする事も暗示していてよ。つまり俺がそれを食い止めたってわけ。全部予言通りだった」
当人の前で脱力しそうになった。人間基準の危険度だから仕方ないが、それだけ? 確かに冒険者にしてみては優秀な実績だ。だが逆に言えば勇者を言わしめる程の活躍ではなく、世界規模の危機とは異なり、凡俗の域を出ない。
おくびにも出さず俺は一人拍手を称えた。
「そうですか。素晴らしいご活躍だ」
それらを倒せば偉業だというなら、俺の敵は一体何だったんだ?
指先一つで死に至らしめる死神。森や山をも食らう巨大な肉塊の蛇。山を消す程の息吹を持つ竜人の王。
比べるまでもなく、確認するまでもなく、聞くまでも無かった。
「貴方様のご健闘など露知らず、無知にも愚かな質問をしてしまいました。大変ご無礼を」
そろそろ切り上げるかと考え、頭を下げて会話を打ち切る段階に入ろうとする。もう、無駄に関わる必要が無い。
しかし勇者カイルは満悦そうな表情を取り戻しながらも、まだ俺への因縁を終わらせるつもりは無い様だ。
「ほんとに悪いと思うならきちんと詫びてもらわないとねぇ。なんせ強国ペテルギウスお墨付きの勇者に対し、一方的にあらぬ疑いの目を向けたんだ。不敬にも程があるだろう?」
「……何をお求めで?」
「跪け」
足元の地面を指差す。公衆の場で、俺への不格好な謝罪を求めた。かつて俺が、奴との試合で見せた時と同じあの醜態を、人々が見る中で再現しろと。
「それでしっかりと非を認めて謝罪を述べるだけで勘弁してやろう。簡単だろ? 俺は懐が深いんでね、何の体罰も加えない。優しいじゃないか」
「ああそうですね、では」
と俺は何の抵抗もなく地べたに膝をつこうとする。おおいにプライドを傷付けさせる魂胆であろうが、俺には関係ない。まだこのゴブリンが貴族である事があまり知られていないという現状もあり、面子を保つ必要などない。ただ、道端のゴブリンが平謝り以上の事をしているだけとしか捉えられない。
この場を何の被害も無くやり過ごすという点では、こっちの方が助かる。この勇者に俺のやってる事を知られて、竜人関係の問題がこじれたりするのが何より避けたい。
「やっぱり待て」
周囲のざわつく声が耳朶を打つ。すると勇者は俺を制止した。
「そんな簡単に謝られると調子狂うわ。良いや別に。これじゃ俺が弱い者いじめしてるみたいだもんな。ほら、立て」
みたい、じゃなくて実際そのつもりだろうに。俺はすくっと立ち上がり膝を手で払う。
「ところでお前まさかさぁ、武闘大会に出るって訳じゃないよな?」
「……どうして、そんな質問を?」
「いや何、この季節に冒険者どもがぞろぞろ集まるのはそれが理由だからさ。スポンサーに名を売るには持って来いなイベントだ。どうせ、お前もそのくちだろ?」
「否定はしませんよ」
「やめとけやめとけ。どうせすぐに落とされる。生きて帰れるかもわかったもんじゃない。何より」
ちょいちょいと、己を指差し、カイルは言った。
「俺も出るんだよ。ペテルギウスの戦力誇示の為にな。殆ど注目を奪っちまうだろうさ。ゴブリンごときじゃ話にもならない」
「そうなんですか。それはまた--」
随分面白い事を聞いた。
「会場が荒れそうだ」
言い直してる所で、この状況を何事かと見物する者達の声が未だにざわついているのに気付く。何だ? この場で膝を付けた謝罪以上に驚く様な行動は起こしてないぞ。一体何がそんなに気になっている?
「すまぬ。通しておくれ」
が、それはすぐに人の波が左右に分かれてその間からやって来る人物の事だと分かった。
良く知る顔だ。この数か月は毎日顔を合わせている。
「お、アイツは知ってるぞ。情報屋のリューヒィ。すげぇ上玉だろ? 大半の奴じゃ相手にもされないって話だ。けど、俺は知り合いでね」
カイルは自分に用があるのだと思い込んで紹介している。まさか彼女と面識があったとは。
「お前じゃ全く手の届かない高嶺の花も、いずれは俺のメンバーに率いれる予定だ。見てろ。……やぁリューヒィ。俺に何か用かい?」
赤髪の美女は勇者と俺を交互に見て、状況把握に努める。
「これは勇者殿。お会いできて光栄じゃ。グレン、まさか勇者カイルと友人だったとは思わんかったぞ」
「グレン……? 誰だ?」
戸惑いを露に周囲を見渡すカイル。グレンという名前の人間が近くの誰なのか探している。何度か俺がそう呼ばれてる所を聞いてるのに記憶にないらしい。それだけ関心がないと言うことか。
「リューヒィ。別に勇者殿とはそういう仲じゃないよ」
「おや、儂の早とちりか。では何かあったんかえ?」
「何でもない。というか、どうして城から此処まで?」
「ああ。おぬしが暇を見つけて出掛けたと言うんで様子を見に来たんじゃ。例の申請で揉めておらぬか心配してのう」
「それだといつもこっちに来る様だ」
俺達のやり取りを間に、
「……は?」
勇者カイルは、茫然と口を塞ぐ事も出来ずに間抜けな声を出した。
ついさっきまで自分が貶していた下等なゴブリンが、絶世の美女と親しげに話している光景を理解出来ていない。
「じゃあ勇者殿、出迎えが来た様なので私はこれで」
「連れが迷惑をお掛けした様じゃのう。この埋め合わせはまた今度」
「出迎え……? 連れ?」
寄り添うリューヒィ--アルマンディーダと背を向けて去ろうとしたが、勇者は食い下がった。
「ちょっと待て! オイ! おかしいだろ!」
「む? どうかされたか? そんな大声をあげて」
「お前ら、何なのその距離感? 何、ゴブリンが美女と付き合ってるって言いたいのか?」
「おかしいかのう? グレンが儂の婚約者であることが」
信じられないと言わん気な表情で、驚きを隠せずにいる。
「婚約、者……? 正気か?」
「そのつもりだのう」
「明らかに奇妙な絵面だろ! どうかしてんじゃねぇの!? ゴブリンが吊り合ってねぇよ! 美女と野獣じゃんか!?」
捲し立てて喚くカイルに対し、アディは眉を潜めた。
「ハァ? ばっかみてぇ! 何でゴブリンなんかがお前と? ありえねぇよ。そんな奴に惹かれるくらいならよっぽど俺とかのまともな奴の方が良いだろ」
「のう勇者殿」
「いや、お前ソイツに騙されたか? それとも何か弱みでも握られてるのか? そうだよな、それならあり得るよ嫌々結婚させられるって線ならさ。だったら俺が力になってやれる。助けが要るよな? だからオイゴブリン、リューヒィから今すぐ離れ--」
「ハァ。呆れたのう」
浅い溜め息がこちらにずかずかと歩み寄ろうとする足と口を止める。それから彼女は微笑みながら言った。上辺で繕っているのが分かる。
「他ならぬ儂が選んだのじゃ。それだけの事。まさか勇者とあろう者が、他人の恋路にまで口出しをなされるのかえ? ああすまぬ。馬車を待たせておるんじゃ」
「待て、よ。お前みたいないい女が、そんな奴と恋に落ちる? そんなデタラメ、信じられるかって……」
「では帰ろうグレン。我が家で晩餐の準備をせねばなぁ」
二の句を奪われた勇者はその場に取り残され、石像の様に固まっている。
アルマンディーダは既に彼を相手にすらしていなかった。
次回更新予定日、11/14(月) 7:00




