俺の凱旋、青の一族
まっさらな砂地の浜辺から少し離れた浅瀬、そこに目的の村があった。桟橋で建物が繋がるところから見て、潮の満ち引きによっては海の上に浮かぶ村になるらしい。トゥバン以外でも暮らす竜人の村だ。
そこには殆どが青い鱗の竜人達がいた。彼等はアディが警告するような気難しく恐ろしい気性とは程遠い、温和そのものであった。竜人以外の俺達を見ても快く迎える所を見る限り、人が恐れる様な集団にはとても思えない。
彼らの協力を経て、どうやら竜人達を含めた渡航をする様なのだが、先に村の長に話を通す必要がある。
その人物がいるのは付近にあった浅瀬の洞窟の内部らしく、俺達はそちらに赴く。
じめじめした暗闇に松明を持ち、村の竜人に案内される。洞窟の奥地では祭壇が設置されている。
そして祭壇の中枢、海と繋がっていると思わしき水面の底に影が潜んでいた。
臆すること無くアディはその前に進み出、口を開いた。
「サフィア。儂じゃ、久しいのう」
影から左右二つの光が瞬く。それは瞳であるとすぐに分かった。
勢いよく浮上し姿を現したのは、海蛇の様に長い胴体を持った竜であった。いや、日本の龍に姿が似ている。鱗は青く、角は珊瑚の様だった。
昇り竜とも言わんばかりにそのジャンプは高々と洞窟の天井にまで届きそうな高さに達し、一気にとぐろを巻く。
そして収縮したかと思うと、瞬く間に人型のシルエットへと姿を変えて何度も回りながら舞い降りた。
青いレオタードの様に密着した衣に、ヒラヒラした薄手の天の羽衣の様な物を身体に巻き付け、マリンブルーの背中にまで届きそうな髪を赤い珠玉で束ねた小柄な少女が腰に手を当てて立っている。
面影を残すように、その頭には赤い珊瑚の角が生えている。
「アルマンディーダ! わざわざこんな場所まで何の用? あたしの前に妙な奴等を連れて来るとは良い度胸ね!」
勝ち気な口調でアディにそう言い放った後、青い少女になった竜人はその変貌に圧倒されている俺達をじろじろと睨んだ。
アディの背後--つまり俺達を指差し声高に怒鳴る。
「あたし汚いのは嫌いだって言ってるでしょ!? 人間と人間! こっちも人間に人間! 更に人間これも人間! ついでにゴブリン! どういうつもり、不潔な連中を此処まで連れてくるなんて馬鹿にしてんの!?」
「挨拶じゃのう。おぬしも知っておると思うが、クーデターの鎮圧に大いに貢献してくれた者達じゃ」「まぁ話は聞いてるけどそれがあたしと何の関係が」
「なら、話は早かろう? おぬしに逢う事を見越してきちんと清廉潔白になってもらったぞい」
捲し立ててなじるサフィアと呼ばれた竜人と対象的に、竜姫がなだめながら俺達を紹介する。
というか王族に食って掛かるとはとんでもねぇな。彼女は恐らく青の一族の長なんだろうけど。
「そう? 船に乗ってた奴等って皆土の落としてない掘ったばかりの芋みたいなのばっかり。少し清めたくらいじゃ無理そうね無理無理!」
「そりゃ潮風の影響じゃろ? 船乗りがそうなるのも仕方なかろう。それに此処にいる者達は汚れておらん」
「どれ。じゃ、確かめるから。勿論ダメなら分かってるでしょうね?」
「勿論。納得の行くまで調べるとええ」
ずかずかと、サフィアは俺達の元まで来るとクンクン鼻を鳴らして一人一人を伺って回る。皆は戸惑いながら、審査を受けていた。
一通り彼女なりのチェックが終わると、その顔で気にくわなそうに眉根を寄せて、
「……及第点。プンとでも匂ったらそこの水面に沈めてやろうかと思ったのに」
うわ、ほんとにやりそうな勢いだな。アディの言ってたことは誇張でも何でもなかった。
「ほら、兄者。ちゃんと風呂に入って良かったではないか? あのまま髭も剃らず不潔でいれば危なかったぞ」
「う、うぬぅ」
「そこ! これであたしの審査が終わったと思わないでよ。これからの道中、船を汚したらタダじゃおかないんだから」
「て事は運んでくれるのか?」
俺が聞き返すと、鼻を鳴らしてサフィアは首肯する。しかし渋々と言った具合だった。
「そう。アンタ達が来る前に、トゥバンから要請が来てる。竜人と人間一行を大船団でルメイド大陸に送る役目をやれとさ。ついでにアンタ達がこっちに乗って来た船も連れてかなきゃならないなんて、全くもって不服としか言いようがない。何でこんな事で使い走られなきゃならないのよ」
あぁ、こりゃすごく気難しそう。俺は目配せをした。お願いしますアルマンディーダさん。
任されたと言わんばかりに、竜姫は進み出た。
「まぁそう言うでない。こやつらは儂ら竜の国の恩人。誠意を尽くす為にも青の一族の者らが適任と思ったんじゃ」
「え、適任?」
「そう。この周辺の海を守るおぬしらを信用しての事じゃ。それが王である我が父上の結論であろう。陸は儂ら赤の一族が統べるとするなら、海は青の一族が統べているのも同然じゃからのう」
「海を、青の一族が……?」
「間違っておるまい? おぬしらがいる航海は庭先の散歩と変わらぬほど容易くなる。これはそれだけ成就させねばならぬという事よ」
青の一族の村長である彼女の怒りの熱をきっぱりと冷めきらせたアディの言葉。
「……それなら、仕方ないかしら」
「うむ。儂らは大陸を離れた事が無いが故に、未踏の地は不安で極まりない。頼りにしてるのじゃぞ?」
「そうね、火の国に恩を売っておくには越したこと無いもんね!」
いや、それ本当は俺の提案で、海で渡るのに大勢運べるからって事で要請したんだが。口がうまい奴って、こうやって口車に乗せるんだなぁ。いや、多分サフィアの方がちょろいんだな。
「早速船の準備をしましょう! ほら人間とゴブリン一同! とっとと荷台を積み込みなさい!」
やる気満々になった青の長が洞窟の出口に向かい、アディはやれやれと肩を竦める。
リゲルの街で見た物とは違った造りの木船が数隻ほど海上に並んだ。
沖合の方からも、港に定着していたと思われる帆船がこちらにやって来る。
その船首の先では泳ぎながら牽引する竜の姿があった。羽の無い水中での活動に適した姿の海竜。彼らが船を引くらしく、竜人達が用意した船には帆が無かった。
「オメェら全く遅いんだよ。こっちがどんだけ港で暇してたと思う?」
「すまんのう船長。帰りは楽にしてやるんで容赦してほしい」
甲板に橋渡しでその帆船に一度乗り、船員達との再会を果たす。
「そいつは良いがリューヒィ、まさかレヴィアタン達と楽しい船旅をする日が来るとは思わなかったぜ。船の修理に竜人達を寄越したり、アンタどんだけの人脈をがあるんだよ」
「さぁてのう。ちょっと知り合いが多いだけのことじゃ」
アディはかつての偽名のまま、完全な人の姿に戻っていた。今のところ人間には正体を隠す方針でいる様だ。
仲間達が--特にヘレンが--コイツ等の前でアディ殿! などと口走らない様に釘刺しとかないとな。
人間の船は途中でリゲルの港の付近まで運び、俺達はその先のアルデバランの海洋まで向かう。そして沿岸に一度着けて竜人達総出で簡易的な船着き場を設置するらしい。
「で、この海竜に引っ張ってもらえるとどれくらい早く着くんだ?」
「一日半もあればルメイドに着くよ。三日三晩は飲まず食わず寝ずで泳げるから心配しないでね。あ、魚いたら獲ろうか?」
返事は船の下からだった。長い首を回して振り返った海竜が俺の質問に答えたのだ。
海竜も竜人だ。青の一族の彼等自身が船を運ぶ。そりゃあ融通も利く。
「け、結構です。船じゃ火を使うのはご法度らしいので」
「生でもイケるやつ探そうか?」
「大丈夫。ほんとに大丈夫だから」
ぎょっとした俺もさることながら、海竜の反応の一挙一動に人の船員や船長もビビっていた。そりゃ大きなドラゴンだもんな、どうやら船乗りはレヴィアタンと呼んで恐れられてたみたいだし、畏怖を抱くか普通は。
そうしてぐいぐいと風を使わずとも突き進む竜人達による航海は、かつてこちら側に来た時よりも快適で快速な物になった。
まぁ未来の英雄ヘレンは相も変わらず船酔いでグロッキーになり、指揮を執っていた村の長サフィアが甲板を汚した途端どうしてくれようかと目を光らせていたが、それくらいしか問題という問題は起きずにいる。
海上で魔物との遭遇も無く--どうやら海竜達を避けてる様だ。漂流船といった妙な物にも出遭わずにあれだけ苦労してドラヘル大陸へ行ったのが馬鹿みたいに帰りはあっという間だった。
明朝。朝日が海平線から立ち昇る頃、俺の目からもルメイド大陸を捉え、一ヵ月の長かった旅の終わりが見え掛けて来た。
「やはり早いのう。しかも、中々に外が冷えておる」
「もうしばらくすると寒さが増す様な季節だからな」
甲板にいた俺の後ろで、アルマンディーダが荷物にあったと思われる外套を背中に羽織らせる。
「風邪をひいたら大変じゃよ」
「ん。ありがと」
さざ波を掻き分ける海竜が横目で俺達のやり取りを見て呟くのが聞こえた。
「わぁ、本当だったんだ。姫様と出来てる」
「いいから前見てろ前」
「へい。良いか皆、前を見るんだぞ。なるべく静かにな」
へーい、と他の船を引いてる竜人達が一斉に返事をしていた。二人っきりにはなれなさそうだ。
「大陸に着いたら、具体的にどうするかもう一度確認しても良いか?」
「前も言ったろ。まずはアルデバラン王国でいきさつを話して、出来れば領地でも貰って--適当な平野か森を開拓して竜人達の拠点でも設けるって。あー、そういや竜人ってその手の仕事大丈夫?」
「トゥバンを見てれば分かろうに。簡易的な物なら相当早いぞ。テントがすぐに家に変わる事になろう」
「そりゃ頼もしい」
「それと、ついでに建てて貰うかえ?」
「何を?」
「……マイホーム」
ヒューと口笛を海竜のどれかが漏らした。やかましい。舌打ちして睨みを利かせると、皆あらぬ方向を向く。
空咳をした後、俺はかしこまって口を開く。
「そ、それはもう少し考えてからじゃないとな」
「しかしこの様な楽しみを今の内に用意しとくのも一興じゃろ?」
「まぁな。その時はトリシャの要望をきちんと聞いておかないとグズるから気を付けるぞ」
「そうだのう」
朝日が昇り、俺達を照らしていた。先行く不安は数知れず。呪いだって残っている。だがそれが気にも病まず、こんなに胸が希望に満ち溢れている気分になるのは久しぶりだった。
あれだけ冷たく、残酷にしか思えていた現実が、今は少し悪くないと思えて来ている。
今までいつ野垂れ死んでも構わないと考えていた俺が、もう少しだけ生きてこの先を見たいと願う様になった。それも、隣にいる彼女のおかげだ。真の孤独という凍て付いた心を、溶かしてくれた。
「アディ」
「ん?」
「ありがとう」
「何じゃいあらたまって」
「言いたかっただけだよ」
「フッ、変な奴じゃのう」
三章 完
次回更新予定日、11/2日(水) 7:00




