俺の墜落、過去の言葉と抱擁
彫像の如く石化した俺に気付かないのか、ペイローン王は続ける。
「今回、特にお前さんには世話になった。スペサルテッドに殺されそうになった娘を救い、そして長年のトラウマを克服させて竜本来としての自分を向き合わせてくれた。コイツが今此処にいるのも、こうして人前で竜人としての姿を見せられているのもグレン、お前のおかげだ」
角や羽を伸ばした彼女は、戸惑う様子も焦る様子も無く、俺をじっと見つめてくる。その視線を受けたと感じて、頭に熱を帯びるのを感じた。
「アルマンディーダも大分お前を気に入っている様だし、どうだ? そっちがよければ--」
「ちょ、ちょっと待ってくだせぇよ! いきなりそんな事言われても、俺だってねぇ、困るって!」
「ん? 何かダメな事でもあるのか? もう女がいるとか」
「いやいやいないいない! 俺ゴブリン! 人間なんかは見向きもしない!」
ことごとく、女性陣からは男として見れないと言われ続けて来た。交際経験皆無だ。
「じゃ都合が良いじゃねぇか」
「こんな見ず知らずの輩に娘である姫さん嫁がせるって絶対変だぞ親父さん! --あ、失礼。おかしいですから竜王!」
「構わねぇよ身内になるんだから」
「確定事項かよ!」
「それに聞いた話じゃ、人間側としても貴族の立場を持ってるらしいじゃねぇか。だったら王族でも問題ない筈だぜ? もしそれでも不充分だってなら、こっちでもそれなりの地位を渡すか?」
ダメだ。俺の意思とは関係なく、完全に話が進んでいる。
だが俺には虎の子の断り文句がある。それを言うしかない。
「それじゃまだダメなんですって、竜王。今の俺が誰かを伴侶にすれば、絶対その人を不幸にする」
「……何だ? 何か、まだ問題があるのか?」
「はい。例え地位とか容姿とかが許されても、これだけは致命的な問題があります」
俺は服の襟をはだげ、鎖骨辺りを露にする。そうして見えたのは緑の肌に焼き付いた、黒い紋様。
かつて反逆者--死のヴァジャハに受けた手傷によって呪われた痣だ。
「時限爆弾持ちなんすよ、俺。このままもしかしたら、数年で死ぬかもしれない」
呪いの経緯と現在の状況を話す。元々こちらのドラヘル大陸へやって来たのはこれを解く手がかりを探す為だった。
だが、シャーデンフロイデとの取引は口に出さない。そうしておけば諦めて貰えると思ったからだ。
「なるほどなぁ。難儀な物を背負っちまったな」
「竜王陛下、進言致します。グレン様は呪いを解く打開策を見出だしておりまする」
おォいパルダ! 余計な事言うなよォッ!
当然ペイローン王は侍女の言葉に食い付く。
「そうなのか? もう解呪の手段は分かってるんだな」
「はい。お省き致しますが、それも反逆者を打倒すれば解決にお繋がりするかと」
「おお! そりゃ都合が良いじゃねぇか。是非竜兵を役立ててくれ」
ちきしょう。上手く纏められた。
「と、とにかく! 確実に上手く行く保証も、俺が生きてるまでに間に合うかも分からない。だから、それまでは……」
「なるほど。一先ずは婚約者として、という訳か。確かに結婚するにしたって互いの相性が良いか事前に確かめるのに越したことないな」
「グレン殿グレン殿。このガーネトルムは貴殿の義兄弟になるという事になりますよね? お義兄さんと呼んでも良いですか?」
「何コレかなり外堀埋められてるんですけどォおおお!」
あまりにパニックになってしまい、俺は回れ右して逃亡を図る。
「すんません! 体調が優れないので外します!」
「オイ待たぬか! こんな大事な話をしとるのに!」
「待ちませェぇん!」
俺の中で史上一番に演技でもなくみっともない様子で王座の間から飛び出す。その最中、
「行ってこいアルマンディーダ」
「父上」
「結局はお前の問題だろ。きちんと伝えねぇと」
「うむ。--これグレンッ! 儂から逃れられると思っとるのかえ!?」
げぇ! 追いかけて来た!
城内で、ゴブリンと竜姫の逃走劇が火蓋を切る。
俺は逃げ足には自信があった。ゴブリンになった当初から幾度となく追われた実績から、逃げる事こそ俺の得意分野と言ってもいいだろう。
しかしそれは競走の場合だ。地上からの追手と空中からの追手とでは訳が違う。
アルマンディーダは走らなくても、両翼を軽く動かすだけで宙を滞空して俺を追い掛ける。振り切れない。
「何でじゃ!? 何故逃げる! 逃げぬと言ったではないか!?」
「あの時はあの時だ! 追って来られたら猫だって逃げらぁ!」
「いやおぬしが突然飛び出すからじゃろ!?」
「俺に構わんでくれ! 頼むから!」
そうこうしてるうちに外の展望が出来るバルコニーに行き着いた。いや、袋小路だ。
やむなく手摺りに立って、追いつかれた彼女を振り返る。
「ち、地の利を得たぞ!」
「追い詰められとるだけじゃろ?」
「俺を甘く見るなよ! 良いぜ、此処から派手な紐無しバンジーと行ってやるぞー!」
ちらちらと下の地上を交互に見る。高さは高層マンションでも相当な階層から飛び降りるのと変わらなそうだ。生身じゃ潰れるな、間違いなく。硬御で落ちたらどれくらい地面にめり込むかな?
そんな俺を見上げるアディは、正した後に深く息を吐いた。
「そんなに嫌なら断ればよかろう。無理強いはせぬと言っておろうに」
「いや……なんというか、思わずいたたまれなくなって」
「どうしてそこまで己を卑下する? それとも儂が嫌いか? それなら諦めもつく」
「いや嫌いって訳じゃないよ!? 別に不快になんて思ってないからね! だってお前き、綺麗だし」
「う」
「周囲にも気立てが良くて、王族ながらに常識と良識を持ち合わせてて人を見下さないし、城下町の竜人達にも親しまれてて」
「む」
「年寄り臭い口調とは裏腹に実は結構乙女だったりするギャップとかあって、話をしてると居心地が良くな……」
ああ、何フォローしてんだよ逆効果じゃん!
アルマンディーダはもう顔を上げてはいられず俯き、真っ赤に染め上がっている。
「そ、そこまで褒めろとは……」
「だからこそ、勿体ねぇって思ってる。寿命の差とか、色々考えたら悩むよそりゃ」
「……」
「俺なんてチビだし、緑色だし、醜悪だし、下等なゴブリンだ。日銭稼ぎの冒険者で何も持ってはいやしない。しかもトリシャも付いてくるコブ付きだぞ」
条件からすれば最悪だ。優良物件の対局に当たる劣悪物件と言っても良い。
「お姫様とだなんて、どう考えたって相応しくないだろ」
「それが、どうかしたかえ?」
ずい、と空を飛んで同じ目線で詰め寄って来る。
「それは周囲の評価であろう? 儂とおぬしとの間柄と、何の関係がある? おぬしが先ほど並べ立てた物など些細な問題じゃ。儂は大して気にも留めん」
「さ、些細って」
「大切なのは、おぬしが儂と共にいたくないかどうか、ではないのか? 世間体を気にして恋愛が出来ぬなど、馬鹿らしいにも程がある」
『自分には勿体ないと思っているとしても、それで本当に身を引くというのはそれこそ後悔することが目に見えているただの馬鹿だ。好機を逃すだけでなく、相手にも失礼に当たると思うがな』
『過ぎた謙遜は嫌味にしかならないのだよ。それではありのままの君を理解して受け入れている者達が、君自身が思う醜いゴブリンに付き従おうとする愚かな人間である、という意味にも繋がる事を理解して置きたまえ』
色々な指摘を受けた過去の言葉がまた、心に刺さる。
「グレン、儂はおぬし自身が思っている以上におぬしを認めておる。それを誤りだとは言わんでくれ。儂は……アルマンディーダ・マゼンドル・ドラッヘは」
目の前で、俺と向き合い、そして告げた。
「グレン・グレムリンが、好きじゃ」
「う、お!」
思わず、たじろく。手摺りに乗っていれば当然、背後には足場なんて物はない。
「げ」
足を滑らせた俺は身を城外へと投げ出される。真っ逆さまに落下を始めた。
「おわああああああ!?」
「まったく」
間髪入れず、俺の手を引くアルマンディーダ。空を飛べる彼女はそのままゆっくりと地上へと降りていく。
地面に足を着いた途端重みが戻る。俺達の手は繋がれたまま、気まずい空気が流れた。頬を紅潮させながら、竜姫は小さな声で言う。
「……此処まで女に言わせておいて、どっちつかずな返答などしたら承知せぬぞ」
「こんな俺でも、良いのか」
「儂は何度も同じ議論を繰り返すのは嫌いじゃ」
袖のある両腕を広げ、俺への返答を求めた。
此処に来ても、俺の意思は躊躇の色が強かった。良いのかな? 本当にこれで良いのか?
日陰者として、生きて行かなくてはならないと思い込んでいた。不条理への抗議にも一蹴され、生まれを恨めと言われて、身の丈という物を嫌という程思い知ったつもりだった。こんな状況、本来ならあり得ない。
『そのまんまの意味だが? ゴブリンという卑しい本性を誤魔化して建前を並べてるのを聞いてると虫酸が走ってな』
『人間に逆らおうとするな! 化け物が!』
『うわっ何ゴブリン? 気持ち悪い気色悪い気味悪い! 何でこんなところにいるのよ、誰か早く退治しなさいよーっ』
居場所なんて無いと思っていた。自分で作るしか無かった。だから、俺自身を心の底からすべてを預けさせてくれる誰かの懐がある事などあり得ない。他人は誰も受け入れない。今までがそうだった。
『まさか御冗談あそばせ。伴侶という意味では論外、生理的に無理、という所ですわ』
これまでもこれからも、嫌がられて、気味悪がられて、気持ち悪がられて行かないとならなかった。
そんな俺が麗しき女と結ばれる? 他人は迎合するのだろうか? 彼女を気の迷いだと制止するに決まってる。そして傷付くだけだ。
だから、普通に仲間として接してもらえるだけでも充分だった。それ以上の高望みなんてしてはならないし、そんな月並み以上の幸せなんてありえない。あり得ねぇよ。
最初は思わず、俺は一歩前に進んだ。
しかし、すぐに後ずさる。
「ダメだ……俺といてはダメだよアディ。俺なんかとじゃ、不幸になる」
「ダメなのはおぬしではなく、周りが、じゃろ?」
こんな仲良しこよしでつまらない、魔物と美女が分かり合うなんてうすら寒いと思われるであろう状況に、甘んじてしまって本当に良いのか?
「けど……でもよ、こんな都合の良いこと……こんな……俺は、これからも独りで……」
「もう、自分を許しても良くは無いのか? 安心しろ。おぬしの全てを受け入れる。拒絶などしない。今からおぬしを抱く。本当に嫌なら、今こそ逃げよ」
そっと、抱擁が迎えていた。経験したことのない、暖かい温もりに包まれる。鼻の上が熱くなる。
俺は震えた手で、恐る恐る背中に回す。良い、のか? 本気で俺はコイツを……
こうしていることが信じられない。感極まって目尻が湿った。大分久方ぶりに、頬に雫が伝う。
「……おぬし、泣いておるのか?」
「わ、わり……汚れちまう、離れ……」
「……良い良い。そのまま、落ち着くまでこうしておれ」
上からの優しい声音に、俺は初めて縋りついた。
冷えきった心に、何かが満たされていく。
それから少しの時間が経ってから、背後で足音が聞こえる。
「パ……パパ……」
落ち着き始めた俺も後ろを見ると、茫然と立ち竦んでいる小さな女の子がいた。
「パパが……バーバにおとされた……!」
「ト、トリシャ?」
「フッフッフッ。見よ、おぬしの父親はまんまと儂に篭絡されたぞい。どうじゃトリシャ? 儂は見事成し遂げたぞ。今日から儂をママと呼ぶ事になるのじゃ」
「ブー! はんたい! トリシャはんたい! ブー!」
草地に地団太を踏む幼い少女に対し、勝ち誇った様に俺の傍で微笑むアルマンディーダ。何か、雰囲気が台無しだ。
しかも彼女だけでなく、生垣からぞろぞろと他の連中が出て来た。
「トリシャちゃん出ちゃダメだよもう! とにかくやりました! 皆、アディさんが遂にグレンさんを!」
「見れば分かるアレイク。やっと堕ちたな。ようやくこのやきもきから解き放たれるのか」
はしゃぐ少年騎士と、満足気に頷くくっころ騎士
「う……嘘であろ……!? ゴブリンが、アディ殿と……!? 山羊はいらぬのか!?」
「兄者、最低だ。グレン殿、おめでとう」
ヘレン兄弟も、無言でつまらなそうに見ていたロギアナも勢ぞろいで俺達の様子を覗いてやがった。
「おめぇら、何処から見てた……」
「も、申し訳ございません……グレン様。謁見の時から、どうやら皆様も聞きつけた様でして……」
パルダがやって来てぺこぺこと詫びている。
誰から漏れた? まさか彼女ではないだろうし、直前まで俺の動向を知ってる奴と言えば……
「シャーデンフロイデ! テメェの仕業だなぁあ!? オイこら! 戻って来やがれェ!」
バサッバサッ! と音を立てて飛び去った子竜に怒りを向ける。
「オメェ等もだ畜生! 解散しろ解散!」
蜘蛛の子を散らすように離れていく仲間達。トリシャは抵抗しながらも、パルダに連れられて城に戻っていった。
野次馬に対する苛立ちや恥ずかしさで、穴があったら入りたい。
「のう、のう」
ちょいちょいと、背中をつつく感触。アルマンディーダの赤い尻尾だった。
「まだハッキリと聞いておらんよ? 儂の方にもちゃんと伝えておくれ」
「……分かった。アルマンディーダ、俺は--」
風が僅かにそよいだ。
その場にいる者にしか聞こえぬ言葉。目の前にいた竜姫は八重歯を覗かせて、淡いほころびを見せた。
章の区切りはまだです。もう少しだけ続くんじゃ。
次回更新予定日、10/27(木) 7:00




