花の咲く場所
それからはなんかいろいろと大変だったよ。
休憩しようと思って僕とサラが踊りの輪から外れた途端、たくさんの人たちが話しかけて来るんだ。みんな“最高のヒロイン”には興味津々だったみたい。
中にはなんと、王太子夫妻の姿まであったんだよ!
特に妃殿下は『約束の花束をあなたに』の大ファンだったみたいで、「目の前であの劇のような一場面が見られるなんて感激だわ!」なんて言いながら頬を紅潮させてたんだ。
パートリッジ本邸に引きこもっていた僕はこんな煌びやかな人たちと話したことなんてない。
必死に笑って二人の殿下と話をしていたんだけど、サラはそんな僕とは対照的にずっと明るかった。特に王太子妃殿下とは『約束の花束をあなたに』の話で多いに盛り上がってたよ。そのあとで、
「あの方が未来の王妃様なのね。間違いなくこの国の将来は明るいわ!」
なんて嬉しそうに言うから、僕は「その度胸をちょっと分けてほしいな」なんて思ったりしたよ。
サラとは馬車に乗り込むときに別れたけど、もちろんそれっきりなんかじゃない。
翌日になってパートリッジ別邸に訪ねてきたサラは、満面の笑顔で一枚の書面を高々と掲げたんだ。
「見て、グレアム! お父さんからもらってきたわ!」
僕が応接室に入るや否や、サラが待ちかねたように立ち上がる。持っていたのは『パートリッジ家の借金の証書』だ。うん、見慣れたジェフリーのサインがあるね。えーと……うん、金額はいつも通り、で……。
「借金返済期限……なし……えっ?」
期限なし? っていうことは、お金を返すのは十年後でも二十年後でもいいっていうこと? じゃあ、もしかして……。
「パートリッジの本邸も別邸も、うちのお父さんの手には渡らないわ!」
まるで考えを読んだみたいにして言うサラの顔を、僕はまじまじと見つめる。
「こんな条件、よく許してくれたね」
「ちょっと揉めたけど」
小さく肩をすくめる僕の頭に浮かんだのは、まだ“エレノア”として通ってたときに起きた一つの出来事だ。サラが『約束の花束をあなたに』のあらすじを語ってくれたあと、ジェフリーが突然部屋に資料を取りに来て、サラがなんか妙に迫力ある雰囲気を出してたっけ。もしかしたら、今回も?
……いや、とにかく。
これはうちにとってはすごくありがたいことではある。少なくとも今年中には手放さなきゃいけなかった本邸や別邸が残るから、僕も住む場所を失わなくて済む。
だけどそれは「すぐに」ってだけ。なにしろうちには財産がないから暮らしていくのが精一杯の状態だ。返済を無期限にしてもらっても、肝心のお金がないんじゃ返済することさえできない。年数がたったところでどうにも……。
僕が証書とにらめっこしていたら、サラがくすっと笑う。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。ほら、前にも言ったでしょう? 私には多少なりとも動かせるお金があるの。今後はそれをパートリッジのためにうまく活用してみせるわ」
「駄目だよ。それはサラのお金なんだから」
「そう、私のお金。だからこれからは……パートリッジのお金なの」
頬をちょっぴり赤くしながら、でも茶色の瞳にはしっかりとした光を宿してる。ええと……それは、もしかして……サラが『モート』じゃなくなって……。
「……本当に、いいの?」
僕が聞いたら、サラはこくんとうなずいた。嬉しくってふわふわした気持ちになる僕だけど、心にはちょっとした違和感が生まれる。
サラの言葉、「多少なりとも動かせるお金がある」。これを「前にも言った」ってどういうことだろう。
確かに僕はその話を聞いたことがあるよ。確か、モート邸で初めてサラに会った日のことだ。だけどあのとき僕の姿は“エレノア”で、“グレアム”じゃないのに?
…………。
………………。
まあ、いいか。
僕は強引に考えを打ち切ることにした。
だってサラは僕の目の前にいるんだ。それ以上に必要なことなんてないよ。きっと!
***
数日後、僕は王都を発ってパートリッジ別邸へ戻った。僕の報告を聞いて三人の使用人たちは大いに喜んでくれて、その日は珍しく机に五品も料理が並んだんだよ! 嬉しいなあ!
父上だけはずっと「信じられない」って顔をしていたけど、数日後にジェフリーがサラを連れて本邸にやって来てようやく信じる気になったみたいだ。
話はとんとん拍子に進んで、僕とサラが結婚するのは三年後と決まった。
モート家側の持参財は例の『返済無期限の借金証書』『サラの手持ち資産』に加えて『パートリッジ本邸近くのモート邸と、その周辺の領地一帯』が加わった。最後のこれはつまり、僕が“エレノア”として通っていたあそこ――パートリッジ家の元荘園が返還されるという形だ。
「あー……娘を、よろしくお願いします」
最後にそう言って頭は下げたけど、ジェフリーは苦虫をかみつぶしたような顔のままだった。
当然かもしれないな。だってジェフリーはずっと、どこかのお金持ち貴族と縁戚関係になりたかったんだもんね。その結果が傾いたパートリッジ家じゃねえ……。
だけど僕はもう、譲る気なんて無いんだ。
「ありがとうございます。サラは必ず幸せにします」
僕が答えると、ジェフリーは何か言いたそうだったけど、結局は黙って頭を下げただけだった。
一通りの挨拶を終えたあと、僕とサラは父親同士で話す応接室を出て外へ向かった。暖かくなる季節が来る前にサラを案内したいところがあるからね。
もちろん『暁の王女』が咲いてる場所だよ。
今は冬だから庭園の雑草や木の葉の量はかなり少ないし、僕や使用人、村人たちとも一緒に整備してるから、『暁の王女』の場所までちゃんと通れるようになってる。……とはいえとても「歩きやすい場所」だなんて言えない。サラを案内してもいい場所なのかどうかはかなり悩んだけど、当のサラは僕の話を聞いて目を輝かせた。
「私も『暁の王女』が咲いてるところを見たいわ! 絶対に行きたい!」
サラがそう言ってくれるならってことで、僕は案内することにしたんだ。
もしかしたら生い茂ってる草木を見てちょっと躊躇っちゃうかもしれないなとは思った。だけどサラは逆になんだか嬉しそうなんだ。それは子どものころ、探検ごっこをするときに見せた表情とそっくりだった。
やっぱり変わってないな、って懐かしくて、そしてとっても幸せな気持ちに浸りながら僕は先に立って歩き出す。意外にもサラは上品なドレスとコートを引っ掛けることも、髪を枝にとられることもなく器用に進んできた。
良かった、あとはここを抜けたら……。
最後の藪をかきわけると、甘さと優しさと、そして清々しさとを含んだ香りが漂ってくる。三株の『暁の王女』が僕たちを出迎えてくれたんだ。そのうちの一株が薄紅の花を誇らしげに咲かせているのは、サラの到着に合わせてくれたみたいな気がするよ。なにせ昨日はまだ蕾だったからね。
僕の後ろから覗き込んだサラが歓声をあげる。
「わあ、本当に咲いてるわ! なんて綺麗!」
茶色の瞳はさっきまでの探検ごっこの興奮から一転して、宝物を見つけたようにキラキラと輝いている。
「この子たちはずっと他の場所にいたんでしょう?」
「うん。川辺とか、丘の上とか、お墓の横とかね。村の皆が大事に世話をしてくれてたんだ」
「そう……」
サラが壊れ物を扱うような手つきで指先を花びらに近づける。花の色彩が横顔に柔らかく反射して、信じられないくらい綺麗だ。まるで光に溶けて消えてしまうんじゃないかって気がして、僕は思わずもう片方のサラの手を握った。びっくりしたような表情になったサラだけど、すぐに僕のほうを向いて微笑んだ。
「ねえ、グレアム」
サラは僕の名前を呼んで、手をきゅっと握り返してくれる。
「私、思うのよ。パートリッジのお屋敷を出てもこの子たちは幸せだったかもしれない。でも心の底ではずっと『戻って来たい』って願ってたんじゃないかなって。――諦めてしまおうかと思った日もあるけれど、ここで浴びた陽射しのあたたかさが忘れられなくて、信じて耐えていたの。だから今はとても幸せなはずよ。こうして大好きな人のそばで、また花を咲かせられたんだもの」
サラはそこまで言って少し照れたように、でも、真っ直ぐな瞳で僕を見つめた。
「連れてきてくれてありがとう、グレアム」
それがあまりにも可愛くて、ずっと見ていたくて、僕はゆっくり顔を近づける。そうしたらサラがそっと目を閉じたから、僕は……。
初めて触れた唇の柔らかさに僕の胸の奥がじんわりと熱くなる。
すぐ傍で香る『暁の王女』は、なんだか僕たちの“約束”と“これから”を祝ってくれるかのような、そんな気がしたんだ。




