★枯れない約束、咲き誇る心
初めに、サラは小さく首を傾げた。それが「これは本当のことなの?」って問いかけてるように思えたから、僕はしっかりとうなずいた。
そうしたらサラは何度も瞬いたあとに視線を泳がせた。すぐにまた凛とした表情に戻ったけど、僕はサラの行動が少し前と違うことに気付いてる。だって今のサラは指先でドレスの裾をきゅっとつまんでるんだ。
なんだ、って僕は笑った。
サラの仕草は昔と同じだ。一緒に『隠れ遊び』をして、思いもかけない場所にいたサラを僕が見つけたときとね。
隠れてる場所を僕が覗き込むと、サラは「どうしてわかったの?」なんて言って口を尖らせたり、「あーあ」ってため息をついたりする。そのときには必ず、指先でスカートをきゅっとつまんでるんだ。きっと「見つかっちゃったな、残念」って気持ちの表れだって僕は思ってる。
大広間にいるサラは当然だけどあのころとは違う。風になびかせてた髪は高い場所で結ってあるし、顔には綺麗な化粧がされている。着ているものだって肩の見える大人っぽい白いドレスだ。なのに昔と同じ行動を見せてくれるから、懐かしくなった僕は自分のいる場所がパートリッジの本邸のような気がしてきた。それでつい、
「みーつけた」
って言っちゃったんだ。
すぐに僕は「しまった」って思ったよ。だって、最初に言おうとしてたことは全然違うセリフなのに。
サラもびっくりしたように目を大きく開いた。きっと怪訝そうな顔をするんだろうなと思ったけど違った。
サラは、溶けるように笑ったんだ。
子どもだったあの日と同じ、いたずらが成功した子どものような、それでいてひどく慈愛に満ちた微笑み。ああ、これを見られただけでも慣れない正装をして王宮へ来た甲斐はあったなって思うくらい、とても素敵な表情だった。
見惚れているうちに僕の足は止まってた。サラとの距離は、もう一歩分すら残されていない。
じゃあ、これからが本番だ。
ムダルがラジュワーに告白するシーンを思い出しながら、僕は腰に差していた『暁の王女』を差し出した。サラが小さく「うそ……」って言う声が聞こえた。
「ねえ。この花を覚えているよね? ……えーと、僕は子どものころのことを……今でも思い出せるよ……」
……あれ? このあとのムダルはなんて言うんだっけ。
…………。
………………。
……………………。
……浮かんでこない……。嘘だろ?
うなりながら頭の中を総ざらいしてみるけど、どこを探してもセリフはさっぱり見当たらない。どうしよう、このままだと沈黙が長すぎて変な空気になっちゃう。えー、あー、うーんと……。
……ええい、もういいや!
とにかく、なんかそれらしいことを言おう!
「サラ。僕は君と一緒にはいられない、ってずっと思ってた。傾いた僕の家にはもう未来なんてないし、子どものころに『持って会いに行く』って約束した花だって枯れてしまったからね。――だけど残ってた花があった。僕以外の人たちが守ってくれてたんだ。おかげで僕もこうして勇気を出すことができた。残った花は少ないから、今日は一輪だけしか持ってきてない。でもいつかまたいっぱい花が咲いたとき、改めて君に花束を贈らせてくれるかな?」
サラは何も言わない。ただ、僕の差しだす『暁の王女』をずっと見つめてる。
「君がどんな家に生まれたのかなんて僕には全然関係ないよ。だって僕はサラが好きなんだ。子どものときからずっとね!」
僕の声はこれ以上出そうになかった。冷静は装ってるけど、胸はバクバクしてるし、緊張がすぎて目の前がちかちかするんだよ。不格好かな。でも、頑張ったことだけは間違いない! このあとのサラの返事次第で僕は“ラジュワーへの求婚者”が大げさに嘆くシーンを演じることになるけど、それもなんとかなる、きっとね!
さあ、サラはなんて答えてくれるだろう。
『暁の王女』を見つめていたサラがゆっくりと顔を上げた。一瞬だけ僕に視線を向けたけど、首の動きは止まらないから、サラは結果的に天井を見上げたことになる。
これはどういう感情?
困惑する僕の前で、艶やかな唇が開かれた。ごくりと唾を飲む僕の耳にまず届いた音は、
「ふ……」
だった。
……ふ?
“ふ”から始まるセリフってなんだろう?
考えてるうちにサラの目がみるみる潤みはじめた。そして、
「ふ、ふうう、う……うわーーーん!」
大きな口を開けて、その場で子どもみたいに泣き始めたんだ。
「わ゛っ、わ゛た゛し゛、う゛わ゛ーん゛! あ゛な゛た゛の゛た゛め゛に゛、さ゛き゛た゛……っ! う゛え゛ーん゛!」
ど、ど、どうしよう、サラが何を言ってるのかまったく分からない。それになにより、僕はサラがこんなふうに泣く姿を見たことがないんだ。だって子どものころからサラはいつも笑顔で……僕と会えなくなるって言ったあの日には確かに雫が頬を伝うのは見たけど、そのくらいでしかなくて……。
声をかけてもいいのかな。背中を撫でてあげてもいいのかな。
悩むうち、ひとしきり泣いたサラがゆっくり顔を戻す。その潤んだ目に僕がドキドキする間もなく、サラはまたくしゃって顔を歪めた。
「う、うまくなんてぇ、いえ……うわぁぁーん!」
しまった、また泣きはじめちゃった。これがどういう気持ちなのか分からないから何をしてあげたらいいのか分からないよ。それに……。
僕は周りをちらっと確認する。うん、やっぱりみんな注目してるよ。だってこれは僕が望んだことだもんね。
僕の計画はこうだ。
まず、僕がサラに告白する。サラは……もしかしたら、笑顔で受け入れてくれるかもしれないけど、冷たくあしらわれる可能性もある。でも、そこはどっちでも良かった。
重要なのは僕がムダルのセリフを引用すること。そうしたらきっとサラもラジュワーのセリフを使ってくれるはずだから、周りには改めて「ラジュワーなんだ」って印象づけられる。
そこで僕が「君にはどこかに好きな人がいるんだね!」って言えば、周りも「この子が婚約破棄をしたのは、好きな相手がいるからだ」って思ってくれる。これでサラの悪い噂は消えるはず!
……って思ってたんだけど、まさかこんなふうに泣くなんて想像もしてなかったよ。
せっかく綺麗な姿なのにごめん、サラ。僕はどうしてあげたらいいんだろう。せめて君が悪い子じゃないって周りに知ってもらえたらいいのに!
僕が自分の手を握り合わせたり、差しだそうとしたりしながら泣くサラの周りでおろおろしていると、不意に朗々とした声が響いたんだ。
「なんと愛らしい」
見ると、ドネロン伯爵が僕たちの横で穏やかな笑みを浮かべている。
「私はこれまで数えきれぬほどの物語を目にしてきた。今宵生まれたこの小さな出来事は、それらの作品にも負けないほどに優しく、なにより真実に満ちている」
不意にふっと空気が揺らいだように思った。周りの人たちが顔を見あわせて小さくうなずいたり、何か囁いたりしてる。内容は聞こえないけど、「ムダルとラジュワー」って言葉だけが拾えた。小さなざわめきの中、今度は凛とした声が僕の耳に届いた。
「我が弟とその友人への素晴らしい賛辞。感謝いたしますわ、ドネロン伯爵」
エレノア姉上だ。
その言い方が冷静だったから、僕は姉上はやっぱりサラへの悪感情が消えてないのかって思った。
だけど意外なことに姉上は扇を閉じると、サラのほうへ優雅に腰をかがめて言ったんだ。
「ですがどんなに素敵な物語であっても、役者が崩れた化粧のまま舞台に上がり続ける姿は興醒めにもほどがありますわね。――さ、幕間にいたしましょう。心配いりませんわ。理解あるこの場の方々は、麗しいヒロインが再登場する姿も静かに見守ってくださいますもの」
姉上の表情にはどこを探しても悪いものが見当たらなかった。サラはちらりと僕を見て、姉上を見て、しゃくりあげながらコクンとうなずく。その表情が少し落ち着いてたから僕はホッとした。
うん。サラにとってエレノアは教師だった人物だもんね。今の表情を見たら、多少なりともサラと“エレノア”のあいだに信頼は築けていたのかなって気がするよ。その日常を、本物のエレノアは知らないわけだけど……でも、サラに何か言われてもきっと上手く話を合わせてくれるって信じてる。なにしろ姉上は、王都でも評判の『最高の淑女』なんだ。
だから、サラ。綺麗になって戻っておいでよ。せっかくの社交界デビューをいい思い出にするためにもね。
踵を返した姉上の後ろをサラが歩き出して、ふと立ち止まった。それがなにか心残りがあるような仕草に見えたから、僕はなんとなく手の中の『暁の王女』を黙ってもう一度差し出したんだ。
サラは小さく微笑んで、『暁の王女』を受け取った。
……受け取って、くれた。
これって、つまり……!
熱くなってきた頬を押さえながら二人が消えた扉を見ていると、優雅に歩み寄ってきた青年が僕の肩をポンと叩く。
「エレノア嬢がついているから何も心配はないさ。……って、キミにもそのくらいのことは分かってるよね、弟くん」
ちょっぴり馴れ馴れしい調子で話しかけてきたのはルークだ。思わず身構えるけど、「弟くん」なんて呼ぶんだから、僕はエレノア姉上の弟という立場でルークと話をしたらいいんだよね。僕がモート家で会った“エレノア”だって気づかれてたりしないよね。
とりあえず自己紹介から始めようとしたら、ルークが僕に顔をぐっと寄せてきた。いや、近い近い。僕たちはこんな近い距離で話すような間柄じゃないよ? 少し下がろうとした僕の耳に、ルークの囁きが届く。
「あのとき店員さんは『失恋した』って言ってたけど、ちゃんと成就したじゃないか」
「えっ?」
それ、数か月前に『ゴールデン・ペタル』の近くで話した内容だよね? うわあ、そっちか! あのときの相手が僕だって気付かれちゃったんだ!
固まる僕に、ルークは小さくフフッて笑う。
「ごめんよ、変なことを言って。だけどさっきのキミの姿を見てボクは思ったんだ。ヒーローになるために必要なのは形じゃない。心だ。心さえしっかりしていれば、誰でもいつでもヒーローになれる。格好良くムダルをなぞる必要なんてなかった」
ルークの目が一瞬だけ僕から離れて扉へ向けられる。
そっちへ消えて行ったのはサラ、そしてほかに、もう一人……。
「前回も今回も、ボクはキミのおかげで大事なことに気付けたよ。――ありがとう、小さなムダルくん」
囁き終わったルークは体を離すと、にっこり笑って僕にウィンクをしたんだ。
***
姉上と一緒に戻ってきたサラは元通り綺麗になっていた。
……ううん、違う。元通りじゃない。だって横髪には、僕が持ってきた『暁の王女』が挿してあるんだよ。
サラが僕を見つけて、ゆっくり近寄ってくる。ドキドキしながら、僕もサラのほうへゆっくりと歩み寄る。『暁の王女』の香りが少しずつ強くなるから、まるでサラが花の精霊になったみたいだ。って言ったらちょっとロマンチックすぎるかな。
向かいに立ったサラはとびきりの笑顔だった。泣いてなんかいないし、もちろん、拒絶の表情だってしてない。だから僕も今までで一番の晴れやかな笑顔を浮かべて、手を差し出したんだ。
「踊っていただけますか?」
「――はい!」
僕の手の上に、サラの指先がそっと置かれた。まるでそこから熱が伝わったみたいに体中がじんとして、つい泣きそうになっちゃう。
ダメダメ、宴はこれからなんだから!
ほら。ちょうど曲が流れ――。
「あれ、この曲……!」
「わあ、この曲……!」
同じタイミングで同じことを言った僕たちは、顔を見合わせて笑う。
これは僕とサラの思い出の曲。
子どものころにパートリッジ本邸の庭で舞踏会ごっこをしたとき、晴れた空の下で手を取り合って回りながら一緒に歌ったんだ。
「行こう」
「うん!」
僕たちはあのころと同じようにステップを踏み出す。
あのころと違うのは、僕たちの頭上に広がるのが青空じゃなくて王宮の天井だということ。そして、僕たちの歌声の代わりに、一流の楽団が奏でる音楽が会場を満たしているということ。
だけど僕たちの手のひらの温度も、互いの呼吸を感じる距離も、あの晴れた庭で踊ったときとちっとも変わってない。
今の僕はそう断言できるんだ。
(イラスト:遥彼方様)
今回の話は2話に分けられる文章量でしたが、どうしても切りたくなくて1回の掲載にしました。
いつもより長くなってしまった話、読んでくださってありがとうございます。




