背中へのひと押し
宰相閣下はまず、侯爵令嬢の名前を呼んだ。周りの人たちが笑顔で拍手を始める。
僕もみんなにならって拍手をするけど、顔が強張ってしょうがない。
落ち着け、僕。入場は爵位順だから、サラはきっと一番後ろだよ。
しばらくして一人の令嬢がエスコートの男性と一緒に現れて、王家の人たちがいる方と、大広間に向けて一礼をする。
そのままみんなの前で立つと、続いて宰相閣下は二人目の名前を呼んだ。次の令嬢も歩いてきて、礼をして、静かに立つ。そうしたら宰相閣下が三人目の令嬢も呼んで……その繰り返し。
みんな白いドレスを着て、緊張した表情を浮かべてる。エスコートの男性も含めてね。
本来ならサラはルークと一緒にあそこへ並ぶはずだった。でも婚約の解消をしてしまったから、エスコートはどうするんだろう。父親のジェフリーがするのかな。
そう思いながら次の令嬢が歩いてくるのを見ていたら、僕は見つけてしまった。大広間で令嬢たちを見守る側、つまり僕たちと同じ側で、困ったように立ち尽くしてるジェフリーの姿を。
ジェフリーがここにいるなら、サラは誰と一緒に来るの?
もちろんルークのはずはないよ。だってほら、ルークはそこにいて、扉のほうと姉上のほうへ視線を往復させてるし……。
疑問と不安が広がっていく僕の耳に、宰相閣下の声が届いた。
「モート準男爵家令嬢、サラ・モート!」
ついにサラの順番だ! 僕は今まで以上に力強く拍手をする。
だけど周囲の人たちの様子がなんかおかしい。さっきまでは令嬢が入ってくるたび祝福の拍手をしてたのに、今は逆に扉に近いほうから順に拍手が止まっていくんだ。どうしたんだろうって目を凝らして、僕はすぐに理解した。
サラはエスコートの男性をつけず、一人で歩いてきたんだ。
これは、田舎のパートリッジ本邸から出ない僕だって、目を疑うような状況だったよ。
ましてや王都で社交界を見慣れた人たちにとっては衝撃的だったみたいだ。
「どういうこと?」
「エスコートはいませんの?」
「まさか後見がないということ?」
「社交界デビューのときに一人の令嬢なんて初めてみたぞ」
という声があちこちからする。
だけどそれに加えて別の声も聞こえてきた。
「当然の報いだ」
「センシブル家に対してあんな無礼な真似をした娘との婚約を望む者はいないよ」
「アシュフォード侯爵にだって睨まれそうだもの」
「確か有名な芝居のセリフで婚約の解消をしたのでしょう?」
「作者のロナ・エグディは怒り心頭だろうな」
えーと、姉上は別に怒ってなかったです。
「せめて父親がエスコートすればいいのに」
「さすがは元平民、礼儀がなってないな」
あ、ジェフリーのことも言われてるね。
顔を青くしたジェフリーは体を縮こまらせてた。分かるよ、あからさまな非難の声を聞いたらそうなるよね。僕だってきっといたたまれなくなる。
でも、サラは違った。
声も視線も届いてるはずなのに、委縮することも媚びることもなく進んでくるんだ。
「一人で歩いているのに、どうしてあんなに普通通りなの?」
「きっと社交界に関することを知らないんだ」
違うよ。サラは社交界に関することもきちんと分かってた。
それにほら、ちゃんと見て。サラのあの凛とした姿は“無礼だって分からない人”の様子じゃない。すべてを理解した上じゃないとあんな表情はできないよ。きっとサラはルークと婚約破棄をしたとき……ううん、もしかするとその前から、この新年の宴では一人で歩く決意をしてたんだと思う。
……だったら、僕の計画は間違ってなかった。
僕が腰の『暁の王女』にそっと触れたとき、静まり返った大広間の中で不意に拍手の音がした。
出所は僕の近く。エレノア姉上だ。
なんだよ、僕の馬鹿! 拍手をする手が止まってるじゃないか! 誰よりも僕が拍手をしないといけないのに!
姉上に続いて僕も力いっぱい拍手をすると、大広間はようやくパラパラとした音に包まれた。令嬢の横に到着したサラは壇上とこちらへ一礼をした後で静かに並ぶ。でも、その目は大広間の人たちのことは映してなくて、もっと遠くの何かへ向けられている気がした。
やっぱりサラが最後だったみたいで、宰相閣下はもう令嬢を紹介しなかった。代わりに改めて宴の開催を宣言して、それが合図だったみたいに楽団が曲を奏で始める。場はいっきに和んで、さっきまで主役だった令嬢たちはエスコートされた男性と一緒に人の輪の中へ入っていったんだ。
ただしサラだけは別。周りの人たちがそっと遠巻きにするから、サラの周りには空間ができはじめてる。だけどこれは僕にとっては望んだ状況だ。「さあ、今だぞ」って心の中で声がする。
そうだね。
でも僕には最初に話しをするべき人がいる。
姉上だ。
僕は姉上の同伴として来たんだから、本来ならこのあと真っ先に姉上と踊らなきゃいけない。だけど僕は今からその立場を放棄するんだからね。
僕は呼吸を整えて、姉上の正面へまわる。
「姉上、ごめん。実は僕、姉上とは踊れないんだ」
姉上は静かな表情のまま閉じた扇を向けてきた。
うん、仕方ないことだよ。だって僕はここへ来るために姉上を利用したようなもんだからね。扇が降ってくるのは覚悟してるし、それが三回でも四回でも甘んじて受けるよ!
なんて思って歯を食いしばりながら頭を向けてたけど、意外なことに扇はいつまでたっても動かない。どうしたんだろうって思いつつチラッと見上げたら、姉上は扇で僕を叩こうとしてたわけじゃなかった。僕の後ろを指してただけなんだ。
……そして、扇の先にいるのは……。
「……いいの?」
僕の問いかけに姉上は答えなかった。ただ、扇を開いただけ。その陰でうなずいたように見えたけど、これはもしかしたら僕の気のせいかもしれないね。
だけど「ありがとう」って言って僕が回れ右をしたら、背中にそっと手が当てられたんだ。触れるか触れないか程度の力だったけど、僕の決意を完成させる一押しとしては十分だった。おかげでほら、こんなにスムーズに歩けてる。大広間の中に立つたった一人がどんどん近づいてくるよ。
ねえ、サラ。
僕は君が婚約を解消したって聞いたあと、すぐに思い出したことがあるんだ。
まだ“エレノア”がモート家の屋敷へ行ってたころ、サラは『約束の花束をあなたに』について話してくれたことがあったよね。
あのとき僕が「どうしてそんなに思い入れてるの」と聞いたら、サラは「重ねているからよ」って答えた。
その意味が分かったのは、姉上から婚約解消の状況を聞いてからだった。
サラが“ラジュワー”と自分を重ねてるなら、きっとサラにとっての“ムダル”もどこかにいるはずなんだな、って。
それが誰なのか僕は知らない。だけど今のままじゃサラは「芝居のヒロインに憧れるあまり格上の家の男性を振った身の程知らずな令嬢」になる。僕がやりたいのはその噂の阻止でもあるんだ。
だから僕自身が手ひどい言葉で振られたとしても構わない。そうしたら僕はこの観衆の前で大げさにおどけて、場を盛り上げてから去ってみせるつもりだよ。
待っていて、サラ。僕が必ずサラをラジュワーにするからね。
僕の目に映るサラは相変わらず凛としている。けど、その空気がふっと揺らいで、何かを感じたようにゆっくりと首を横に向けた。
僕とサラの間にある距離は約十歩、その空間を超えて、僕とサラの視線が重なった。




