花が咲いた
手のひらくらいの大きさをしたこの花は、薄紅色の花弁が何層も重なってできている。
名前は『暁の王女』。
今から百年前、パートリッジ家の令息ウォルターが、庭師のガイと一緒に作り上げたんだ。妻となる王女ケイトリンへ贈るためにね。
以降のパートリッジ家は庭園の一番日当たりのいい場所を『暁の王女』の育成地と決めて、ニ十株ほどを大切に守り育ててきた。
だけど僕はこの花を守り切れなくて、数年前にぜんぶ枯らしてしまったんだ。
――そのはずなのに。
いま、僕の目の前には三株の『暁の王女』がある。二株は瑞々しい緑の茎と葉があるだけなんだけど、一株は二つの花と一つの蕾を持っていた。王都の貸衣装屋ゴールデン・ペタルにあった偽物の花とは違うよ。だってほら、上品で清々しくて、だけどとても優しいあの香りが漂ってるじゃないか。
「どうして……」
「お嬢様のご意向を受け、管理しておりました」
振り向くと、老執事が声と同じ静かな表情を浮かべてる。
「今から五年前の話でございます。奥様がお亡くなりになられたあと、お嬢様が私に仰ったのです。『どうか暁の王女を守ってあげて』と」
「姉上が……なんで?」
「これは私の予想ですが……『まだ幼くて、だけど優しい弟のために』と言っておられましたので、お嬢様はこのお花が“若君にとっては大切な存在だ”と考えておられたようです」
執事は少し口ごもったから、姉上はたぶん違う言い方をしたんだろうな。おそらく「お馬鹿なグレアム」あたりだろうね。
でも……そっか。『約束の花束をあなたに』でムダルとラジュワーのエピソードを書くくらいだし、姉上はきっと、僕とサラと『暁の王女』にまつわる話を知ってたんだね。
「じゃあ、『暁の王女』は、ずっとここで咲いてたの?」
「違いますよー!」
返事をした声は執事のものじゃなかった。僕がぎょっとして振りむくと、草をかき分けてメイドが現れる。後ろには下働き担当の男性もいた。
「このお花はですねー、お墓にあったんです!」
「はひゃ?」
う、びっくりして変な声になった。
老執事が「まだそこまでお話しをしていませんよ」と言ってから、続きを教えてくれる。
五年前にパートリッジ本邸の使用人はぐっと減ってしまった。執事と、下働きをする男性使用人と、メイドと。つまり、今も残ってくれてる三人だね。
その三人でまず始めたのは『暁の王女』を植え替えることだった。
だけど三人ではできることにも限界がある。それで村人たちの手を借りたんだって。
「アタシが、おっ父に相談したんです。植えるのにいい場所も探してもらいました!」
にこにこしながら口を挟むのは、もちろんメイドだ。
植え替えの候補地が決まったところで、三人の使用人と村人たちは雑草だらけの庭園に分け入った。なんとか『暁の王女』の育成地へ到着したけど、ニ十株あった『暁の王女』は四株が枯れていた。
このまま本邸の庭園で育てるのは無理だろうということで、使用人たちと村人は植え替えを決意したそうだ。
残った十六の株は大事に掘り返され、川のほとりや森の近く、寄り合い場所の庭など、村内の各地に分けて植えられた。どの場所が育成に適しているか分からなかったから、一か所に植えて全滅させるより、少しずつ分けて植えたほうがいいだろうって判断だったみたい。
村のみんなで面倒を見たけど、翌年までに五株が枯れた。
その後も少しずつ数を減らして、最終的に残ったのは六株。南向きの畑に植えられた三株と、小高い丘の上に植えられた二株と、そしてお墓の横に植えられた一株と。
その三か所から一株ずつ、合計で三株をパートリッジ家の元育成地へまた戻した。それがいま僕の見ている『暁の王女』なんだって。
そっか。何か月か前に三人の使用人と村人たちが庭園付近で何かしてるのを見たことがあったけど、この植え替えの準備だったんだね!
「このまま花をつけないかと気をもんでいましたが、幸いにも一株はずっと元気なままでした。おかげで咲いてくれたようです」
執事の声に合わせて風が吹き、咲いてる一株の葉が上を向く。それはなんだか花が胸を張ったように僕には見えた。
この一株はさっきメイドが言ったとおり、お墓に植えられていたものらしい。どうしてお墓に植えたのかというと――。
「実はそのお墓は、庭師の“ガイ”という方が埋葬されている場所だったのです」
みんなはガイが花を守ってくれるかもしれないと思ってお墓の横に植えたんだよね。ガイは『暁の王女』を作り出した人だから。
きっとみんなが優しいから、花は守ってもらえたんだ。だからこの一株は元気なままなんだよ!
「若君の励みになる次期がきたら元に戻すよう、お嬢様はおっしゃっておられました」
執事がそう付け加えるから、僕は少し笑ってしまった。なあんだ、僕の気持ちはみんなに筒抜けだったってことだね。少し恥ずかしいな。でも、おかげで、こうしてまた『暁の王女』に会えた。それは、とても……。
僕は何かを言おうと思った。だけど何を言ってもみんなの優しい笑顔の前では足りないような気がして、ただ、
「ありがとう」
とだけしか口に出せなかった。
三人はただ、にっこりと花みたいに笑った。
……花が咲いた。
『暁の王女』が。
僕が守ろうとして守り切れなかった花は、僕の思いもかけない形でずっと咲いててくれた。
ああ。
僕の周りの人たちはみんな、なんてあたたかくて、なんて強いんだろう。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなってくる。
服の袖で顔をぬぐった僕は、唾を飲みこんで口を開いた。
「……あの、さ。お願いがあるんだ」
「なんでしょうか」
「王都へ行きたいんだ。できれば今すぐ。――この忙しいときにごめん」
「必要なものはありますか」
真っ先に聞いてくれたのは下働きの男性だ。
僕は申し訳ない気持ちで小さくうなずく。
「『暁の王女』を持って行ってもいいかな」
我ながら調子いいなあとは思うけど、下働きの彼はにこりと笑った。
「すぐに用意します」
踵を返す彼に続き、メイドが「お弁当を用意しますね!」と言ってばたばたと走って行く。執事は胸に手を当てて頭を下げ、
「本来ならば、新年を迎える仕度をするのは私ども使用人の役目。どうぞ若君はお心のままにお過ごしくださいませ」
という言葉を残して立ち去った。
一人になった僕の頬を柔らかな風が撫でていく。その緩やかな流れと一緒に足を進めかけてふと思い返し、僕は日差しの中で輝く薄紅色に近寄った。
ねえ、サラ。
花が咲いたよ。
僕が持って行くって約束をして、君が欲しいって言ってた花。
ぜんぶ枯れたと思ってたけど、まだ残ってた。
姉上が、使用人たちが、村の人たちが、みんなで守ってくれたんだ。
おかげでまたパートリッジの本邸で見ることができたよ。
僕たちの思い出の花を。
『暁の王女』を!
君に何があったのか、どうしてルークとの婚約を解消したのか、僕には分からない。
だけど僕は今度こそ“グレアム”の姿で会いたい。
そうして君に、伝えたいことが、あるんだ。




