06
※ご注意:不快な加害者側の心理描写が入ります。
※他者視点です
娘を王太子の婚約者としたいと、王城から通達があった。
もちろん辺境伯家のただひとりの後継者を、次代の王妃にするには、複雑な事情が絡み合う。
特に辺境伯本人が行方不明の今は、大いに問題のはずだ。
しかし今の状況に対して、打開策のひとつにもなるのだという。
ひとつに、王妃の実家の公爵家が阻んでいた辺境への支援を、王太子独自の判断で出来るようになる。
現時点で唯一の後嗣の婚約者として、その権限を持てるのだという。
もちろん今回の戦争で、早期に結果を出すための対策になるが、婚約は本物だ。
戦争後にゆっくりと、辺境伯家の後継者問題を話し合い、対策をとることになるという。
「きっと王太子殿下が私を見初めたのね!」
娘のリシェルも、見目麗しい王太子を思い出し、頬を染めている。
「でもリシェル、あなたずっと名前を偽り続けないといけないのよ」
辺境伯夫人は、少し頭の緩い娘をたしなめた。
戦争がすべてを狂わせたのだと、彼女は思っている。
あの美丈夫と憧れていた夫の息子を産み、次代の辺境伯の母になるはずだった。
なのに夫とは離ればなれで、辺境伯夫人の証も手に入らない。
たしかに、戦場になるところに居続けるのは不安だと、夫に言ったのは自分だ。
そのために娘二人を連れて王都に避難することになった。
そして王都でピリピリする辺境伯領の使用人に囲まれていることが本当に嫌になり、彼らを辺境に帰した。
ゆったりとした王都の生活の中で、気に障ったのだ。
多くの家庭教師をつけられ、天才だ才能があると褒められて、いい気になっている義理の娘。
対して自分の娘は、努力が足りないと家庭教師に叱られてばかり。
しかも基礎的な学問の家庭教師が二人だけ。
母として優しくしてやっているのに、甘えてこない。
まだ九歳の娘のくせに、大人みたいな遠慮を見せる。
そして受けている教育が、領地経営や法律などを含む、領主になる教育だという。
次の領主は自分が産む子のはずなのに!
もう子供は望めないのではないかなど、家庭教師の一部が話していた。
領地が戦時中で余裕がないのだと、家庭教師は一斉に解雇してやった。
娘は勉強をしなくてよくなったと言って、喜んでいた。
なのにあの娘は、書庫に通って勉強を続けていた。
しかも法律の本や経営学の本を!
女主人の証を渡せと迫ったが、拒否をした。
生意気だとしつけたのに、睨んできた。
止めに入った使用人は「辺境伯の正式な後嗣になんてことを!」などと言い放った。
それらを解雇して、苛立ちを義娘にぶつけた。
勉強をする余裕をなくしてやろうと、痛めつけて食事も抜いた。
なのに自室で本を読むから、物置で寝起きをさせた。
リシェルはいそいそと、彼女の部屋を自分のものとして扱った。
自分の実家からの使用人までが、眉をひそめて陰口を叩く。
食事を彼女に届けようとした者もいて、誰も入れないよう物置に鍵をかけた。
数日たち、ふと思った。
彼女が死ねば、辺境伯の家族は自分たちだけになると。
なんならリシェルも、辺境伯家の娘になったのだから。
実家の王都別邸でお茶をしたときにそう言えば、それは出来ないのだと諭された。
なんでもリシェルは辺境伯家の者として扱えないのだと。
自分は辺境伯の妻になったのに、理不尽だと思った。
それなら対外的に、彼女をアリスティナとして扱えばいいと思った。
閉鎖したままの物置に、さすがにまずいだろうと使用人が騒いだ。
だがその頃には、ずいぶん日が過ぎていた。
使用人たちは、自分たちの知らないところで誰かが食事や水を運んでいると思っていたらしい。
夜中に食料などがなくなっていたことがあり、アリスティナではないかと話に出たことがある。
けれど外から鍵をかけた物置だ。彼女は出られないだろうという結論になった。
そして外から鍵をかけたまま、もうずいぶん放置していたことに気づいた。
彼らはとても恐れた。
自分たちは辺境伯家の後継者である娘を、見殺しにしてしまったのではないかと。
それから数日後に、庭の薬草が全部なくなった事件があった。
薬草は辺境伯家ならではのものらしい。興味がなかったので知らなかった。
きれいに根までなくなったので、枯れたのか消えたのかと、使用人たちは恐れていた。
アリスティナがちょうど昨夜死んで、辺境からの薬草が枯れたのだろうなどと言っていた。
死んだかどうかはわからない。
ただ、物置を開けるわけにはいかなくなった。
そしてリシェルをアリスティナとして扱うように、使用人たちに命じた。
リシェルは物覚えが悪く、自分ですぐに元の名前を名乗るし、アリスティナの名で呼ばれてちゃんと反応しない。
最近は使用人も、アリスティナと呼ぶように徹底している。
だが娘はたまに癇癪を起こす。
私はアリスティナではないと!
なので母と娘の二人のときだけは、元の名を呼ぶと決めた。
リシェルはそれで納得してくれた。
さて、王太子の婚約者ともなれば、何度か王城に招かれるだろう。
王城では特に失敗は許されない。
それでもうまくいけば、自分は王太子が王になって子が生まれたら、未来の王の祖母になるのだ。
王子から祖母と慕われることを想像し、夫人はうっとりと微笑んだ。
王城に招かれた母と娘は、どちらも華やかな装いをしていた。
夫が行方不明で気落ちしているとは思えない態度だ。
王も宰相も、なぜ以前、こんな小者に騙されたのかと気鬱になる。
夫人はともかく娘は実父なのだから、空元気で気丈に振る舞っているものと思い込んでいた。
実際には実の娘ではなく、悲しんですらいなかったということか。
本日は以前、彼女たちの謁見時に顔合わせをした者たちも招いてある。
いずれ本物のアリスティナが戻ってきたときに、誤解を生まないようにだ。
彼女たちが偽者であることを、目の前で見せるつもりだった。
辺境伯領への支援も考え、今回の縁組みとなったことを、国王が皆に宣言する。
いつもと異なるのは、王太子の後ろではなく、宰相の隣にアルトがいること。
本来は王城での魔法使用は禁止だが、彼には魔法の許可を与えてある。
ただし、あの魔法を使う者の倣いとして、認識阻害の面をつけさせていた。
わかる者には、わかるだろう。
アリスティナ嬢を名乗る少女が呼ばれ、王太子のライルと並ぶ。
宰相の隣から、アルトが呼びかけた。
「お集まりの皆様に、あなたの名前を宣言して下さい」
少女はそれに応えるために一歩踏み出し、会場を見渡して告げる。
「私はリシェルと申します」
会場がざわめいた。
彼女は自分で口を押さえた。言うつもりではない言葉が出たのだ。
「もう一度、仰って頂けますか? 名前と本当の立場を」
「リシェルです。今の辺境伯夫人の娘で、辺境伯の義理の娘です」
今度こそ会場はどよめいた。
正当な辺境伯領の後継者、アリスティナとして以前挨拶をしたはずの娘が、義理の娘だと宣言したのだ。
では本当のアリスティナは、どうなっているのか。
高位貴族家の当主たちは、自白魔法の存在を知っていた。
王家が積極的に保護していることも。面をつけて魔法を使用することも。
だから目の前の出来事が、その魔法により暴かれている真実だと理解していた。
中には、夫人に耳打ちしている貴族家当主もいる。
アルトはさらに、今度は辺境伯夫人に魔力の乗った言葉を向ける。
「どういうことか、説明を頂けますでしょうか。王都に来られてから、何が起きましたか?」
そして彼女は語った。
辺境から王都に避難してきてからの、アリスティナに対する仕打ちを。
正当な女主人と認めない辺境の者たちへの恨み言。
次期領主として勉強し続けた、生意気な義理の娘への罵詈雑言。
痛めつけ、食事を抜き、それでも学ぶことをやめないので部屋を追い出し。
最後は物置に閉じ込めたまま生死不明となった経緯を。
会場は蒼白になる者、卒倒する夫人、絶句して立ち尽くす者など、様々だった。
だが話を聞き漏らすまいと、ほとんどの者が静かに聞いた。
なぜなら、夫人はずっと語り続けたから。
経緯が明らかになり、なぜ自分の娘ではいけないのか、今の辺境伯夫人の娘なのにと言い出したあたりで。
ようやく各所から、彼女に声が飛んできた。
取り押さえるための騎士たちが出てきた。
王太子は息を吐き出し、王都の森の方を向いた。
「必ず罪は暴く。約束は果たしたよ」
そして満足そうに微笑んだ。
アリスティナ死亡説が語られ、辺境伯の王都別邸に調査が入ったが、物置は頑として開かなかった。
建物を壊すべきかどうかとの話し合いの中、嬉しい知らせが届いた。
辺境伯が生きていたという。
そして同時に戦争が終わった。
辺境伯は大怪我をし、ある村で療養をしていたらしい。
ポーションなどの物資も尽き、すぐには回復できなかった。
動かせる怪我ではなく、守りの心許ない村だった。
大勢を呼んで守るには、戦況が悪かった。
辺境伯は身を潜めて回復を待つこととなった。
味方も騙すことになったが、万が一でも居場所を知られて襲撃を受ければ、危うい状況だった。
ようやく傷が癒えて、本格的な国の支援も入り、辺境の側近が村に呼ばれた。
そんな中、戦争のきっかけとなった新王が、なぜか末端の戦場に姿を見せた。
辺境伯が身を潜めており、今回精鋭を密かに呼び寄せた村の近くだった。
そこからは電光石火、辺境伯が精鋭を率いて、王に奇襲をかけた。
そして討ち取ったという。
つまりは、辺境伯の生存確認と、戦争終結の決定打が同時に起きたのだ。
戦争終結の戦後処理の中、王城の遣いとのやりとりで、辺境伯は事情を聞いた。
自分の後妻になった辺境伯夫人が、実の娘をアリスティナと偽り、成り代わりをはかったこと。
そして愛しい娘のアリスティナが物置に閉じ込められたままで、恐らく中で死亡していると思われること。
辺境伯は倒れた。
肉体的にも精神的にも疲労の限界であり、それでも動いていた。
そこへ、愛娘の死の知らせ。
しかも自分が後妻を迎えたせいであったなどとは。
辺境伯の側近たちも、何人かが倒れた。
彼らもアリスティナを非常に可愛がっていた。
そして彼女を次期女当主として盛り立てるつもりだったのだ。
倒れず残った側近たちは、辺境伯夫人を毒婦と恨み言を吐きながら、激務にあたった。
辺境伯は回復するとまず、王都に向かった。
これは家臣たちも協力した。
何より生死不明なのだ。
その物置の中がどうなっているのか、まず確かめなければならない。
たとえ遺体でも、早くそこから出して差し上げるべきだと。
王都の別邸は、王城の騎士であふれていた。
そして王太子まで待ち構えていた。
戦後処理は国軍とも協力していたため、王城へ知らせが入ったのだろう。
辺境伯は挨拶もそこそこ物置に向かったが、扉はびくともしない。
体当たりをしても、軋みもしない。
さらに剣で扉を斬り付けても弾かれる。
通常の扉では、ありえないことが起きていた。
「アリス! アリス、私だ! 長くかかって済まなかった! 顔を見せてくれ!」
扉を拳で殴りつけながら、愛娘に必死で呼びかける辺境伯。
中は令嬢の遺体だろうと皆思っているので、娘に語りかける彼に、周囲は静まる。
鬼気迫る様子に、誰もが距離を置いて見守るしか出来なかった。
王太子がそんな辺境伯に近寄り、周囲に下がるよう合図を出した。
彼を宥めるために、人は少ない方が良い。そういう判断だろうと、周囲の騎士たちが静かに距離をとる。
王太子の傍らには側近のアルトがいるので、咄嗟の助けは彼の役目だ。
辺境伯の叩きつける拳から、血が飛び散っている。
それでも扉を殴り続ける辺境伯は、声も枯れてきている。
ついに動きが鈍った、その手をライルは押さえて、呼びかけた。
「あなたの娘さんの魔法は、とても素晴らしいですね」
辺境伯がピタリと動きを止め、まほう、と呟く。
少し離れた周囲に聞こえないよう潜めた声だが、届いた様子だ。
「ここを出るときに、自分の不在に気づかれないよう、魔法をかけたそうです」
「出る、とき」
辺境伯の目がライルに向いた。
「ええ。でもこんな長期間かかり続けるものでしょうか。もしかして、時々戻ってかけ直していたのかな」
「…で、殿下、は」
あえぐような辺境伯の声。期待して良いものかと、揺れる眼差し。
「ああ、そのままで。周囲に気づかれないように願います。彼女の願いでもありますので」
そして彼は告げる。
王都の冒険者ギルドに出入りしている、冒険者ティナを訪ねるようにと。
「私が辺境伯のご令嬢に、婚約の申し入れをしたことは耳になさってますか?」
辺境伯の視線がうろたえるように泳いだ。
どうやら聞いていない様子だ。
娘が部屋に閉じ込められたまま死んだという、衝撃的な知らせがあったのだ。
その他の情報など消し飛んだのだろう。
「私は彼女に、王都の森で助けられました。四ヶ月ほど前のことです」
揺れていた辺境伯の視線が、まっすぐにライルを捉えた。
しっかりと見返して、ライルは頷いて見せる。
「その出会いがあったから、私はラングレード辺境伯家のご令嬢、アリスティナ嬢に求婚したのです」
その言葉を聞いて、辺境伯はしばらく動きを止めたあと。
大きな体が前触れもなく沈んだ。
ドカッと痛そうな音がした。
慌ててアルトが確かめたところ、辺境伯は気絶していた。
あとから聞けば、辺境から王都まで、途中で騎獣を乗り替えるなど、体力の限界に挑戦しての旅程だったらしい。
たどりついた王都別邸では、開かない扉の向こうで、娘の生死も不明。
精神が崖っぷちまで追い詰められていたところからの、今度は娘が生きていたという、大きな安堵。
気絶もやむなしというものだった。




