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30・1見えない顔

 クリズウィッドから受けた思わぬ告白をリヒターに話すと、ふうん、と軽い返事が返ってきた。

 パン屋へ向かう道すがら。いつものようにリヒターは先に来ていたし、カゴも持ってくれている。顔は謎だけど、確実に心はイケメンだ。


「良かったじゃねえか。これでお互い様ってわかった」


 うん、とうなずく。

 クリズウィッドも望みのない片思いをしているそうだ。その上で、私と結婚したいと言われた。お互いを尊重しあえる、穏やかな夫婦になれるだろうから、と。それは以前私が考えていたのと同じことだ。

 不安そうに駄目だろうかと問われて、私は

「私も想う方がいるけれど、それでよければ」

 と答えた。



「似た者同士で良い夫婦になれる」

 そんなことを言うリヒターを見上げる。

 彼には恋人がいるから、想いは伝えないと決めた。けど、伝えたくないわけじゃない。

 いつか、あなたの言葉に結構傷ついてたんだよと笑って話せたらいいな。


「だけどさ」努めて明るい声を出す。「機会があれば円満に婚約解消はしたいよ。良い案があったらよろしくね」

「あ? なんでだよ!」

 お前の思考はわかんねえとぶつくさ言っているリヒターに、笑みが浮かぶ。


 お互い本命が別にいるとわかったから、気は楽になった。一緒にいるだけでいいなら結婚してもいい。でもさ、結婚ってそうじゃないよね。


 もっと大人になれば、割りきれるのかな。

 クラウディアなんて十五歳で四十も年上の人と政略結婚をした。偉いよね。

 そう思うと私はかなり我が儘か。


「ワガママなんだ」

「知ってるわ! このポンコツ令嬢め!」

「ポンコツ……」

 目をぱちくりする。

 ポンコツ令嬢。

 悪役令嬢よりずっと私っぽい。

「いいねそれ」

「なんで喜ぶんだよ」呆れ声と共に深いため息。「ディスってんだぞ」

「へへっ。だって私にぴったりだもん」

「……そうかい」


 思わぬ低い声が返ってきて、リヒターを見た。

 どうもリヒターの様子がいつもと違うような気がする。何しろ顔が見えないから、声で判断するしかない。その分、私はリヒターの声のスペシャリストじゃないかと思うけど。


 今日はなんだか元気がないような。

 だけど先ほど、何かあったのか尋ねたけれど、何もねえと言われておしまいだった。


 リヒターは私なんかに相談しなくても、他に話を聞いてくれる相手がいるのだろう。

 淋しいけれど、仕方ない。


「リヒター」

「あ?」

「困ったことがあったら言ってね。これでも一応、公爵令嬢だから」


 ちらりとこちらに顔を向けたリヒターは、私の肩を小突いて、生意気、と言った。笑ったみたいだ。

 ほっとする。



 ◇◇



 教会に着くと、いつも神父を呼びに行くジュールが真っ先に駆けてきた。頬を紅潮させている。

「アンヌ! 俺、仕事、決まった!」

 なぜか片言。だけど。

「本当!?」

 二人で手を取り合い喜び合う。

「アンヌのおかげだよ! 読み書きを教えてくれたから!」とジュール。


 よくよく話を聞くと、嵐で壊れた建物の修繕に来た左官屋が、読み書きの出来る弟子をほしがっていたそうだ。そこから話はとんとん拍子に進み、週明けから住み込みの弟子になることが決まったという。


 ジュールの推定年齢は十四だ。この世界の下層階級では、働き始めるには遅いくらいの年齢だ。私の自己満足が少しでも彼の役にたったなら、こんな嬉しいことはない。


 よかったと彼の頭を撫でると、それまで笑顔だった彼がふと真面目な顔になった。リヒターを見る。

「アンヌを頼むよ! ちゃんと守んないと許さないからな!」

「わかったよ」

 リヒターはそう答えると、いつも通りに教会の中へ入っていく。


 そういえばこの前の、ジュールとサニーからの質問はなんだったのだろうと思い尋ねる。


「アンヌは王子様と結婚するんでしょ?」

 ジュールにそう問われて、多分、と答えた。できればしたくない、と打ち明けるのは大人げない気がした。

「幸せになってくれよな」

 そう言うとジュールは走っていってしまった。


 結局前回同様に、私の質問に答えてない。余程打ち明けたくないことなのだろうか。

 リヒターのいる教会を見て、そっとため息をこぼした。

 想う人の顔ぐらい、私だって見たい。いつか見せてくれる時はくるだろうか。


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