27・1嵐一過
大嵐から六日がたった。この間、公爵令嬢としても、仮初めの町娘としても屋敷の外に出ていない。
通りに出たとたんに割れたままの窓や隅に積み上げられた木の枝や何かの残骸を目にして、あの嵐の猛威に改めて恐ろしくなった。リリーの話では増水した川で何人もの人が流されて行方不明だという。
そんな中をリヒターは一人で動き回ってくれたのだ。
いつもの場所にいつものように立っているリヒターが目に入った。
元気そうな姿にようやくほっとする。
「リヒター!」
彼はこちらを見てよお、と言う。変わらない声。
「なに息を切らせて走ってんだよ。なんかあったのか?」
片手を胸に当て上がる息を整えながら、首を横に振る。リヒターは歩き出さずに、落ち着くのを待ってくれる。優しい。
この六日間がどんなに長かったことか! その前の八日間だって時間が止まっているのじゃないかと思うぐらいに長かったのに。
大きく一息つくと、会えなかった間に尋ねたかったことが一気に口をついて出た。
「大丈夫だった? ケガしなかった? 風邪をひかなかった? パンはちゃんと買えたの? お金は足りた? 蹴られたところは何ともない? あれから近衛に絡まれてない? お財布がなくて困らなかった? あんな日に出掛けて彼女さんに怒られなかった?」
「……すげえな」
リヒターが私の頭をポンと手を置いた。
「なんも心配することねえよ」
「だってあんな嵐の中!」
「なんてことねえって。嵐だろうが雪だろうが、こう……」
ふいに口をつぐむリヒター。しばらく黙っていたが、ふう、と息を吐いた。
「どんな天候だろうが」再び口を開いて出たその声は少しだけ普段より低かった。「行軍してたからな。あんくらい、たいしたことねえよ」
行軍。
「やっぱり傭兵だったの?」
「内緒だぞ。そん時にやらかしちまったんだ」
「わかった。リリーにも言わない」
「そうしてくれ。お前はちゃんと外に出なかっただろうな」
「もちろん。これ以上、リヒターを困らせる訳にはいかないもの」
「俺は困ってねえぜ。がっつり請求できて懐が潤う。嬉しくてたまんねえぜ」
「うん! 今日はいっぱい持ってきた!」
「アホか! んなことを大声で言うな! また強盗に遭うぞ」
「そっか。ごめん」
慌てて小声になると、リヒターは笑ったようだ。
行くか、と言って歩き出す。
「本当にケガはないの? 近衛に蹴られたところは?」
「大丈夫だって。お飾りの近衛と違って俺は実戦派なんだよ。いい加減、気にすんな」
「うん……。お財布は? 丸ごとあげちゃって困らなかった?」
「あのなあ。全財産持ち歩いちゃいねえよ」
「そうかもしれないけど。だってリヒターってお金好きじゃない」
「……まあな。またお前から巻き上げるから問題ねえ」
「そっか。良かった」
「良かったじゃねえよ、バカか」
『バカか』なんて言われて嬉しいなんて、変だよね。へへっと笑うと、リヒターが顔をこちらに向けた。
「……祭りは残念だったな」
うんとうなずく。何年も願ってきたお祭りの参加。私にとってはリヒターとのデートでもあった。きっと最初で最後のチャンスだった。ものすごく落胆している。
だけどそれよりも何よりも、リヒターが無事でいてくれたことが嬉しいから、大丈夫。手紙をくれたことも幸せだった。
「残念だったけど、仕方ないよ。あんな嵐の中、手紙をありがとう」
「ああでもしなきゃ、お前は外に出ただろう」
「よくわかってるね」
「自重しろ!」
頭に拳骨が落ちてきた。
手紙といえば。あの晩、いよいよ捨てなければならないときになって、気がついた。
汚い字で用件しか書いていない文面。だけどひとつの誤字もなければ、文法の間違いないもなかった。この世界は身分が下がれば識字率も下がる。屋敷勤めの小間使いだって読むのが精一杯の娘たちがいる。
リヒターの口調や態度は下町育ちのようだけれど、実は正規の教育を受けているのかもしれない。




