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26・1近衛師団の腐敗

 近衛兵に絡まれた事件のことは、リリーとクラウスにしか話さなかった。


 ルクレツィアはきっと渋い顔をするだろう。私を心配するあまり、リヒターに会わない方かいいと言い出すかもしれない。それは聞きたくない。


 ブルーノに助けてもらったのだから、シンシアには打ち明けるべきかと悩んだけれど、そもそも彼女には私が町歩きをしていることを話してない。このあたりの事情は手紙ではなくて口頭で伝えたい。

 だから、またお会いしたいという手紙だけ送った。


 クラウスにも事件の当日中に手紙を出した。切羽詰まっていたとはいえ他家の従者であるブルーノに助けを求めたこと、彼を危ない目に合わせたことのお詫びだ。


 対してそつのない返事が帰って来た。そこには、何故私が供も付けずに町にいたのか、何故近衛が『怪しい』と判断するような男を助けたかったのか、それらへの問いは一切なかった。

 ただ、『相談があればいつでものらせていただく、とブルーノが申している』とだけ書かれていた。



 ◇◇



 そんな手紙のやり取りを経て。

 事件から間もないある日、ブルーノを連れたクラウスとばったり会った。

 西翼の廊下で私はルクレツィアとのお茶会から帰るところ。向こうは恐らく時刻から考えて、仕事を終えて親友の元へ遊びに行くところだろう。


 先だっての礼を言い、それから耳目を避けたい話をしたかったため、見送りの侍女には下がってもらい三人で手近な部屋に入った。


 どうしても確認したかったのだ。近衛兵が町で犯罪としか言いようのない愚挙をしていることについて。

 尋ねると、二人とも知っていた。


 特にひどいのがオズワルドの警護が主な任務の第二師団で、師団長は武器商ザバイオーネの末弟だそうだ。彼が師団長に就任した一月以降、素行が急激に悪くなったという。


 近衛連隊長も父一派だから清廉潔白とはほど遠い人物だけど、その彼も眉をひそめているらしい。だけれど武器商をバックに持つザバイオーネには物申せないそうだ。


 今のところ改善策はなく、良心的な警備隊が、被害者からの聞き取りを報告書にして上げているのが精一杯らしい。


 恐る恐る

「第八師団は?」

 と尋ねる。ルクレツィアが思いを寄せるジョナサン。彼がそんなことをしていたら、彼女は酷いショックを受けるだろう。

 だが、二人は笑みを浮かべた。


「ジョナサンは父親のような切れ者ではないが、愚か者でもない」とクラウス。「自分の才を的確に把握しているから、隊については人望のある副長に全て任せている。第八は最も穏健で良心的だ。他の師団とは一線を画している」

 意外な答えが返ってきた。

「ゆえに団員もジョナサンを認めているし、みな、第八師団で良かったと思っているようだ」


 軍務大臣ワイズナリーは息子のために第八師団を創設した。ジョナサンも当然のこと、といった態度に見えた。

 だから私は勝手に、親の七光りに頼って自分を過大評価しているジョナサンは、団員に疎まれているだろうと思いこんでいた。


「……恥ずかしい。私は何も知らずに彼をバカにしていたわ」

「社交場で見る姿だけが真実ではありませんよ」とブルーノ。「アンヌ殿だって夜会の姿が真実ではないでしょう?」


 確かにそうだ。私が最も私らしいのは、町に出ている時だ。


 自分の視野の狭さを反省をして。ジョナサンが意外にも仕事上は好人物であることに安堵もして。

 そんな私にクラウスは、いつかは近衛も変わるから、と言った。


 この人は時おり修道士だった名残の真面目な顔を見せる。

 以前見た批判文のポスターをふと思い出し、彼なら庶民に敵対しないのではないだろうかと考えた。


「あの。ついでに教えてほしいことがもう一つ。都の人々の間で、税金のことなんかの不満が溜まって父たちに批判が高まっているようなのだけど、ご存知?」

 クラウスは表情を変えることなく、うなずいた。

「どうすればいいのかしら」

「それを忘れないことだ」とクラウスは珍しく柔和な笑みを浮かべた。「残念ながら今すぐ変えるには、それこそシュタルクのように血を流すしかない」


 シュタルクはクーデターが起こって国王のみならず大臣もすべて一掃されたという。だけれど新国王も政府も国民に歓迎されて国は落ち着いている。


「幸い我が国は陛下が少しではあるが考えを改めた」

 クラウスの言葉に驚く。彼は声を潜めて、シュタルクの二の舞は御免らしい、と言った。

「だから前国王に瓜二つの私を主要部門に登用してアピールしている。人気のないオズワルドだけじゃ不安だと、クリズウィッドにサポートさせる算段もある。時間はかかるが変わるはずだ」

 だから、と彼は微妙に表情を変えた。

「あなたはそれを忘れずに、王子妃となった際に出来ることをすればいい」


 それまでもう少し待て、と彼は言って部屋を出た。

 ブルーノと二人になる。



 なんだかもやもやする。私はクリズウィッドと結婚したくない。でもそれをクラウスに言ってどうする。


 気持ちを切り替えブルーノに改めてお礼を伝え、私の事情に関しては、出来れば打ち明けたくないと話した。


「巻き込んでおきながら、自分勝手で申し訳ないけれど」とつけたす。

「いいのですよ」とブルーノ。「誰しも知られたくないことはあります。むしろ困ったことがあれば、いつでも私やラルフをお頼り下さい。主人からもそう命じられています」


 なんていい人たちなんだ。やはり俗世間を離れていた人は寛容なのだろうか。

 ブルーノとラルフが還俗をして都へ来てくれて、一番助かっているのは私に間違いない。バカンスからお世話になりっぱなしだ。

 再会したときに、何かあったら力になると言ったのは私の方なのに、申し訳ない。


 私がそう言うと、ブルーノは珍しく満面の笑顔になった。


「アンヌ殿はおもしろい方だ」とブルーノは言った。


 ちなみに当初の敬称は『様』だったのだけど、私がお願いをして変更してもらった。命の恩人にアンヌ様と呼ばれるのは、なんだかむず痒かったからだ。


「ラムゼトゥール家の中で、あなただけ雰囲気が異なります」

「きっと乳母のせいね。元々修道女になりたかった人で、曲がったことがとても嫌いだったのよ」

 私の言葉にブルーノはなるほどとうなずいた。

「あなたには幸運がありますね」

 盗賊に襲われても強盗に絡まれても、助けが現れたのだから幸運に間違いない。

「ありがとう。その幸運のお陰で生き長らえているし、友人も助かったわ」

 ブルーノは穏やかな顔でうなずいた。



 話が終わり二人で廊下へ出ると、クラウスははす向かいの窓から茜色に染まる外を眺めていた。その彼の横顔は、夕日と同じ色となっているせいなのか、ひどく辛そうに見えた。

 声をかけあぐねていると。


「アンヌローザ!」


 私の名前が辺りに響き渡った。声のした方を見れば、廊下の先からクリズウィッドが足早にやってくるところだった。


 それから挨拶も抜きに、部屋でブルーノと二人で何をしていたのか尋問された。真実は答えられないので、ちょっとした礼を伝えていたと答えると明らかに不機嫌になった。

 彼は、友人にも軽率なことをするなと怒り、クラウスは反論せずに済まなかったと謝った。





 息苦しい。

 確かに私の行動は淑女としても、王子の婚約者としても、悪役令嬢を回避するためにも、よろしくなかっただろう。非は私にある。


 だけれど挨拶も抜きに、怒られることだろうか。

 ブルーノが私の恩人であることは彼も知っているのに。

 私は彼のモノじゃない。



本編が鬱々としているので、お口直しに。

読まなくても、本編にはまったく影響ありません。


☆おまけ小話☆

☆元修道騎士のぼやき☆

(ブルーノのお話です)



若い主人がクリズウィッド殿下の部屋に入るのを見届けると、近くの控え室に入った。

正確には、ただの部屋だ。いつの間にかフェルグラート家従者の控え室的使い方がされるようになっただけ。俺たち三従者が暇をつぶすための本やらチェスやらカードやらが置きっぱなしになっている。

もちろんそれらで遊んでいたって警戒は怠らない。若き主人は、思い出したかのような周期で命を狙われる。


とは言っても、彼は殺されることはないんじゃないかと思う。聞いたところによると暗殺未遂は幼少の頃からあるという。それを何故かかいくぐって今日まで生きてきているのだ。神の特別な加護でもついているのかもしれない。


手を伸ばして卓上の本の一冊を手にとる。これは見覚えがない。ラルフかアレンが持ち込んだのだろう。俺の読みかけのはどれだったか。


探そうとしたところで、開け放されたままの入り口からひょこりと顔が出た。

ルクレツィア王女の侍女シャノンだ。


にこにこしながら部屋に入ってくる。

「聞きましたよ」

「何を?」

「クリズウィッド殿下に怒られたって」

「早いな。ついさっきのことだぞ」

そりゃね、とシャノンは笑う。


「殿下も何を心配しているんだか。アンヌローザ殿と俺なんて親子ほど年が離れているのに」

「ラルフさんだったらそこまで心配しないんじゃないんですか?」

「ひどいな。確かにあいつは堅物すぎるけど」

「ラルフさんをけなしているんじゃないですよ! あなたが信用ならない、って話」

シャノンはくすくす笑っている。

「それこそおかしい」

「だってラルフさんやアレンさんに比べたら、お堅くないじゃないですか!」

「そりゃラルフよりはコミュ力があるってだけだぞ」


修道騎士だったころ、そこそこの役職にあったから外部との交渉役を勤めることも多かった。一兵卒に近づくほど外部、とりわけ女性との接触は減る仕組みだったのだ。


「殿下からすれば、十分不安の種ですよ。クラウディア様は父親どころか祖父ぐらいに年の離れた方と結婚してますからね」

「なるほど。肝に命じておこう」

「そうしておいて下さいね」


じゃあ、とシャノンが去ろうとしたので、

「どうだい、チェスでも?」

と声をかけた。

「もう! だから信用ならないんでしょう! 暇している侍従を探して声をかけておきますよ」

「頼むよ」

笑いながら去る彼女を見送り、椅子の背にもたれた。


信用ならないと言われるのは不本意だ。三十年以上も真面目な修道騎士として生きてきたのだ。

でもまあ自分の軽率な行いのせいで、可愛いアンヌローザ殿にあんな哀しそうな顔をさせるなんて、二度としたくない。

若き主人が反論もせずに叱られているのだって、面白くない。


自重しよう、と心の中で呟く。

彼女と話すのは楽しいから、残念だが仕方ない。


あの婚約者がもう少し寛容ならなあ。


なんて言ったら真面目な主人に怒られるな。うむ。


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