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25・3守銭奴

 走り続け、ようやく止まったのは、人気のない小路の奥の奥。道の端に置かれている古びた丸椅子に崩れるように座った。

 心臓が破裂しそう。


 リヒターは、待ってろと言って、近くのうちの扉を叩いている。ややもすると、水の入ったコップを持って戻ってきた。ほら、と差し出されたそれを一口ずつゆっくり飲む。

「泣くなよ」

 頭を撫でられた。

「怖かったのか? 前に比べりゃ全然ヤバい状況じゃねえ。心配すんな、大丈夫だ」


 首を横に振りながら、涙でぐしゃぐしゃの顔を手の甲で拭う。リヒターがハンカチを出して私の顔を拭いた。


「だって、リヒター」

「なんだよ」

「お腹、蹴られて」

「あ? 俺? へでもねえって言っただろ? あんな膝蹴りでやられるような腹はしてねえよ」

「でも」

「ちゃんと浅く済ませてんだよ。俺はお飾りの近衛とはちげえ」

 尚もこぼれる涙をリヒターがハンカチで押さえてくれる。

「……もう自分で拭けんだろ」

 ハンカチを受け取る。

 ごめんなさい、と心の中で彼の恋人に謝る。またシワひとつないハンカチを、私がぐしゃぐしゃにしてしまった。大事な人に痛い思いをさせてしまった。


「……なんで反撃しなかったの? 近衛だから? ……私がいたから?」

 リヒターならきっとあの二人なんて簡単に倒せただろう。以前チンピラとはいえ、五人を一瞬だったのだから。

「どっちもだけど、気にすんな。慣れてる」

「危険手当て、いっぱい払うね」

「いらねえよ、バカ。お前が絡まれたわけじゃねえだろ」

「でも」

「気にすんなって言ってるだろうが」

「うん……」

 優しい。

 リヒターはこんなに優しくて良い人なのに。

 なんであんな風に蹴られなきゃいけないんだ。理不尽すぎるよ。

「リヒター……」

「なんだよ」

「近衛なのにタチが悪くてごめんなさい。私、まったく知らなかった」

 仮にも貴族の端くれで、王宮にも出入りをしているのに、情けない。

「貴族の一員として、あなたに謝る」


 リヒターはもう一度私の頭を撫でると、空になったコップを受け取って、さっきの家へ向かった。

 言われてみれば、歩き方はいつもどおりだ。お腹にダメージがあるようには見えない。

 彼が言うとおり、たいしたことがなかったのかもしれない。ほっと胸をなでおろす。


「今日はもう帰れ」戻ってきたリヒターが言った。「まだあいつらがうろついているといけねえからな。パンは俺が届ける」

 リヒターの見えない顔を見上げる。

「お酒を買うはずだったのに、ごめんなさい」

「んなもん、いつでもいい。ブルーノって奴が心配なんだろ? 早く帰って無事を確かめた方がいい」

 うなずく。

 あの近衛たちはきっとオズワルドの威を借りてあんなに横暴なのだろう。万が一このことが火種になって、クラウスにまで迷惑をかけてしまっても大変だ。どうなったかを確認しないといけない。


「歩けるか? おんぶか?」

「歩ける!」

 咄嗟に返事をして。

 やっぱりおんぶもいいなと思ったけれど、我慢をした。



 ◇◇



 屋敷に帰るとすぐにリリーに出来事を話し、ブルーノへの手紙を持ってフェルグラート邸へ行ってもらった。

 帰ってきた彼女は、ブルーノは屋敷で元気にしていたとの報告と、彼からの手紙をくれた。


 手紙によると、あの後すぐに警備隊が来て場をとりなしてくれたそうだ。

 近衛の二人は、怪しい奴がいたから職質をかけていたのにブルーノに邪魔をされたのだと主張したらしい。

 警備隊は上司経由でフェルグラート公爵に厳重注意を申し入れると約束し、近衛たちはなんとか引き下がった。


 そしてここからは、伝言。

 近衛たちが姿を消すと、警備隊はブルーノに安心するように言ったそうだ。公爵に報告はするけれどそれは、治安維持に一役買ってくれたことについてだ、と。


 私はようやく安堵することができた。

 ブルーノの身が安全で、クラウスに迷惑もかけないで済んだこと。そして父一派のワイズナリーの元にある軍が、全員腐っているわけではないことにも。


 ほっとして気が抜けたら思い出した。

 リヒターは助けてくれた主婦たちに、礼だと言ってお金の入った巾着を丸ごと渡していた。小銭と言っていたけどあの中には銀貨や金貨も入っているのを見たことがある。

 お金にうるさいリヒターが、それを丸ごと渡してしまったのだ。

 彼女たちが助けたのは私であって、リヒターじゃないのに。


 次回、弁償しないと。


 ……彼がそのつもりでいるにしても、あれだけ中身の入った巾着を手放した。

 リヒターは、やっぱり優しい。


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