25・2小競り合い
「また揉めてる」
そんな声が聞こえた。
「最近多いよね」
声の主を見ると二人の主婦だ。
眉をひそめてリヒターたちを見ている。
「権力を笠に着て、因縁つけてばっかり!」
ん? 批判されているのは近衛なの?
それなら助けてもらえるだろうか。
「あの」主婦たちに声をかける。「お願いがあります!」
「どうしたんだい、お嬢ちゃん」
気っ風の良さそうな笑顔を向けられる。
「近衛に絡まれているのは友人なんです。フェルグラート邸の従者のブルーノかラルフに、アンヌが助けを求めていると伝えに言ってもらえませんか。もちろんお礼はします!」
主婦たちはリヒターたちと私の顔を見比べた。
「あの男もあんまりいい噂は聞かないけど……。ま、でもいいよ。最近の近衛の横暴にはみんな腹がたってるんだ。走って行ってくるよ」
一人が自分の買い物かごをもう一人に渡すと走り出した。
「ありがとうごさいます!」
その背に頭を下げる。
フェルグラート邸はすぐそこ。うちよりも断然近い。
クラウスは仕事中で留守だろうけど、彼についているのはいつも三人の従者の中の一人だけだ。元修道騎士のどちらかは屋敷にいるのではないかと思う。
どうか悪い事態になる前に、間に合いますように。
ダメだったら私が出るしかない。
きゅっと服の上からロザリオを押さえリヒターを見る。顔が見えないから、どんな心理状態かわからない。近衛に対して冷静に対応をしているようだけれど。
背中に何かが当たった。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん。心配だね」
さっきの主婦が、私の背に手を当てているのだと気づいた。落ち着かせようとしてくれている。
「ありがとうごさいます」
「最近の奴らは酷いよ」
彼女は汚い物を見るかのような目を近衛に向けている。
「……近衛兵がですか?」
「そうだよ。一部なんだろうけどさ。特にあいつらはよく見かけるよ。個人店主や裏街の奴らに絡んで、金を巻き上げたり、店をタダで利用したりしてるって話だよ」
「酷い……」
近衛は軍の中のエリートが選ばれてなれるものだ(一部ジョナサンのような縁故はのぞいてね)。町の警護担当の警備隊とは待遇も給与も異なるから、入隊を志望する者は多い。
それなのに、そんな悪行をしているなんて。
「あ!」
近衛の一人がリヒターの肩をどついた。彼は足を後ろに引いたけれど、倒れない。ほっとする。
だけどもう一人がリヒターの帽子に手を伸ばす。リヒターはさっとよけた。だけど。
もうダメだ。悪い事態になる前に止めなきゃ。
そばに行こうと足を出したところ、主婦に腕を捕まれた。
「ダメだよ! お嬢ちゃんはかわいいから、絶対に絡まれる! 下手したら連れていかれるよ!」
顔から血の気がひく。彼らはどれだけ悪いことをしているのだろう。
「大丈夫、ありがとう。腕を離して下さい」
「ダメだって!」
わらわらと主婦たちが集まってきた。口々にダメだと言う。
近衛がリヒターの襟元を掴んで前屈みにさせると、お腹を蹴りあげた。
「リヒター! 通して!」
近衛たちがこちらを見る。蹴られたリヒターはよろけたものの立っている。
と、目の前が主婦のバリケードになった。視線が遮られる。
「お嬢ちゃん、こっち! 逃げないと!」
最初の主婦が腕を引っ張る。
「でもリヒターが!」
「なんとかって奴たちが助けに来るよ! きっとすぐにキャシーが連れてくるから! あんたが逃げてくんないと、みんなも巻き込まれる!」
バリケードの主婦たちを見る。
この人たちを巻き込む訳にはいかない。
「ほら! 近衛が来る!」
それならば、ここで名乗り出るのが一番の解決策だろう。
「私……」
と言いかけたとき。
「どうかしましたか!」
聞き覚えのある声があたりに響き渡った。ブルーノだ! 間に合った!
「これは第二師団の近衛、サンザリ様とムート様。何か事件でしょうか。近衛連隊長に知らせましょう」
朗々と響く声。バリケードが緩んだ隙間から見ると、リヒターの姿が見えない。代わりにブルーノが近衛たちに堂々と対峙している。
第二ということは、主に王太子を警護している師団だ。
ブルーノと近衛が何やら押し問答を始めた。ブルーノは低姿勢を崩さないものの、引かない。
近衛がブルーノの襟首を掴んだ。
まずい。
ブルーノは近衛より身分は下とはいえ、公爵の従者で元修道騎士だ。奴らも退くだろうと考えたのだけど、甘かった。
だけど私が出ていけば、さすがに収まるはずだ。これでも王太子妃の妹だ。
主婦たちに頭を下げる。
「ありがとうごさいます。本当に大丈夫だから、行ってきます」
「ダメだって!」と主婦たち。
と、また腕を掴まれた。離してと言おうと目をやると。
「リヒター!」
掴んでいるのはリヒターだった。ほっとして涙が浮かぶ。彼の腕を掴み返す手が震えた。
「なんだ、また泣いてんのか」
「大丈夫!?」
「あんなのへでもねえ。ここを離れるぞ」
「でもブルーノが!」
「心配すんな。百戦錬磨の修道騎士だ。あんなチンピラ近衛なんぞ、相手にもならん。ほら、行くぞ」
私の手からカゴを取るリヒター。それから主婦たちを見た。
「こいつを足止めしてくれて助かった。これは、礼、な」
懐から出した小さな巾着を主婦に渡す。
「小銭だけど、みんなで分けろ」
ほら、と手首を引っ張られて走る。
初めて会ったときみたいだ、と思った。




