20・〔閑話〕公爵と王子
公爵・クラウスのお話です。
クリズウィッドはグラスを口から離すと、
「まさかジョナサンとはなあ」
と言って大きく息を吐き出した。
「お前はいつから知っていたんだ?」
「クラウディアに協力を求められたときだ。一昨日になるかな」
そう答えれば、目前の友人は再び息をついた。
一通り夜遊びを終えて日も変わり、彼は寝酒でもどうだと誘ってきた。が、結局は可愛い妹のことを愚痴りたかっただけのようだ。今日は一日隙さえあればこの話題だ。それだけ驚いたのだろう。
確かに姉と違っておとなしく真面目そうに見えるルクレツィアは、もっと堅実な男を好くのだろうと考えていた。例えばウェルナーのような。
「せめてもうちょっと……。ウェルナーみたいな男だったら」
そのセリフも一体何度目なのか。しかも『ウェルナー』じゃない。『ウェルナーみたいな』だ。
クリズウィッドは上の妹が宰相によって二度もひどい結婚をさせられたから、せめて下の妹には良い相手をと望んでいるらしい。
ただ望みを拗らせすぎて、ただの馬鹿兄になっているようだ。彼が納得する男はまだ見つかっていないらしい。
ウェルナーは性格は申し分ないが、爵位と財政状況が問題だという。
「でなければお前が女遊びをしない誠実な男だったら……」
「無理」
即答すると、友人はまたまた深いため息をついた。
それを言われるのも何度目かわからない。これに関しては今日だけじゃない。よかった不誠実な男で、とこっそり安堵する。ルクレツィアは可愛いけれど、それだけだ。夫婦になりたいなんて微塵も思ったことはない。
「彼女がジョナサンがいいと言ってるんだ。応援してやれ」
これも今日、何度も口にした言葉。
「だがなあ」とまた酒を口に運ぶクリズウィッド。グラスを持つ手は女のように白く華奢だ。「ワイズナリーは嫌いだ」
「あの男を好きなのはザバイオーネぐらいだろう」
「あんな家に嫁入りしたって苦労するのが目に見えている」
「お前が選り好みしているうちに、碌でもない政略結婚をさせられるか、行き遅れるかのどちらかだ」
グラスの酒を飲みきってしまい、手酌で注ぐ。
「聞いたか?」と揶揄を含んだ声をかけられる。「今年は酒の消費が早すぎるらしいぞ。慌てて追加注文をしたとか」
ふうんと相づちをうつ。
クリズウィッドはびしりと指を差した。
「犯人はお前だ!」
「そりゃすまない」
「なんでそんなに飲めるのか不思議だ。食は細いくせに」
「さあ」
「お前に勝とうとして兄上や貴族たちまで飲みまくるからな。例年に見ない醜態だらけで、おもしろいがな」
クリズウィッドはくつくつと笑った。ここのところ晩餐後のサロンでは、どちらが先に潰れるかをかけた飲み比べサシ勝負が繰り広げられている。もちろん全勝だ。
「お前がダメなら従者で勝負してやろうとなったらしいな」
それは聞いた。ブルーノとラルフが、他家の従者たちに勝負を挑まれたらしい。それも主人連れで。もちろんこちらも全勝。
聖リヒテン修道騎士団は現役を引退した騎士たちが丹精込めて葡萄を育て、良質のワインを作っている。現金収入目的だが、半分以上を内で消費しているようだ。
「腕も性格も素晴らしい人材を、リヒテンはよく付けてくれたな」
そのとおりとうなずく。
それもこれも国境を接する異教徒の国が内紛中で、ノイシュテルンに戦争をしかけるどころではないからだ。でなければ剣豪のあの二人を手放しはしなかっただろう。
「あの二人がいなければ、お前はとうに骸になっていた」
しみじみとした呟きにまたうなずく。
「実際何度だ? 王宮に出るようになってから、刺客を送られたのは」
「二度」
友人はうろんな目を向ける。だがそれが、記録に残る正式な回数だ。
まあいい、と彼は吐息した。
「くれぐれも気を付けろよ」
「ブルーノとラルフが守ってくれる」
そう答えてから、胸の中だけで礼を言う。まさかユリウスの息子に命の心配をされる日が来るとは思ってもいなかった。
「……やはりいつ何があっても後悔がないように、お前も結婚したほうがいい」
おや? 新しい展開が来たようだ。
「節操がないのは我慢するから、どうだ? ルクレツィアと?」
思わずため息がこぼれた。
「ジョナサンよりお前の方がマシだ」
「彼女の結婚だぞ。なぜお前が決める。幸せになってほしいのだろう?」
「ジョナサン、お前、なら、お前だろう!」
どうやらクリズウィッドはかなり酔いが回っているようだ。
「ルクレツィアは誰を好きなんだ?」
「……あいつを嫌いにさせられないかな?」
「最低だぞ」
ダメかと肩を落とす友人に、やれやれと息を吐く。素直に妹の恋を応援してやればいはいのに、シスコンを拗らせすぎている。
もっともそんなところも憎めない。
「ジョナサンはお前が思っているより良い男だぞ。ルクレツィアはちゃんと見ている」
んな馬鹿なと呟く友人に、笑みがこぼれた。




