18・4実態
翌朝、まだ陽が出るか出ないかの時刻に散策に出た。クリズウィッドとのことが気になって、ろくに眠れなかったのだ。
離宮の東側には自然の森があって、この時期は様々な野生のベリーが実をつけている。それでも採りに行って、気を紛らわせるつもりだった。
森には大きな湖もあって、ここでのボート遊びも鉄板だ。だけど今年は気を抜いていたら、クリズウィッドと二人きりで乗ることになるかもしれない。
ルクレツィアは助けてくれないだろう。クラウディアに泣きつこうか。だけど彼女は素敵な男性と乗りたいだろうし。
そんなことを考えながらぼんやりと横目で船着き場を見ていたら、人影が目に入った。
こちらに背を向けてもぞもぞ動いている。下働きだろうか。ボートの点検? こんな早い時間に?
立ち止まって見ていると向こうも気付き、こちらに顔を向けた。
クラウスだった。
お互い、驚いた顔をしているのだろう。しばし無言でみつめあう。それから気づいた。
「ごめんなさい! 待ち合わせね」ご婦人と。「失礼!」
すぐさま去ろうと足を出す。と、
「違う!」
と珍しく慌てた声音で否定された。見ると、
「……いや、」
と口ごもって困惑している様子だ。
二人きりで会話をしたくないけれど、困っているなら仕方ない。どうかしたのかと尋ねる。
彼は大きなため息をついた。
「……あなたはボートを漕げるか?」
「……ええ」
意図はわからないけれど、素直に答える。
「すまないが、練習に付き合ってもらえないか」
「練習?」
「ボート遊びもするのだろう? 私は漕いだことが……というよりボートに乗ったことがない。ボロを出さないための練習だ」
ええと。
なんでも器用にこなせるのではなかったのかな? そんな話を聞いた気がするのだけど。
「ブルーノと約束をしていたのだが、来ない」
とクラウスは続けた。
「本当に乗ったことがないのですか?」
「あるわけないだろう」彼はまたため息をついた。「つい数ヶ月前まで修道士だったんたぞ。こんな遊びなどするか」
目前の美しい青年の顔をまじまじと見る。動作のひとつひとつも優雅だと女性たちはもてはやしている。けれど彼は決して手袋を外さない。
忘れがちだけれどこの人は、修道士だったんだ。
「わかりました。付き合いましょう」
シンシアから、彼のルートの各エンドで私がどうなるかは教えてもらっている。
だから今まで努力を重ねて彼を避けてきた。同情したら、命取りになるかもしれない。
だけどそれは彼のせいではない。
色々と心配事はあるけれど、まだゲームは始まっていないと自分に言い聞かせる。
「助かる。内密に頼む」
クラウスは明らかに安堵の表情を浮かべた。
◇◇
なんでもそつなくこなす、というのはある程度真実なのだろう。
クラウスは私が何も言わずとも櫂を上手に操って、ボートを自在に進められるようになった。
「簡単だったな」
ほっとした顔のクラウス。
「お上手です」
と軽めに褒める。三ない運動の、気を持たせない、を忘れてはいけない。
だけど、ダメだ。気になってしまう。
「もしや今まで他のあれこれも予め練習をして?」
「……そうだ」彼は渋々といった体でうなずいた。「仕方ないだろう、貴族の育ちじゃないのだから」
「……見栄っ張りなの?」
クラウスは笑った。やっぱり笑顔は人懐っこい。
「いつものツンケンしたご令嬢の態度はどこへ?」
しまった。つい気が緩んでしまった。
「たまには休むんです」
彼はふうん、と笑みを浮かべたままうなずいて、それから、あ、と声をこぼしてあらぬ方を指差した。
振り返り見ると、水面が朝日を浴びて煌めいている。
「きれい!」
きらきらと瞬間瞬間で様を変えている。どんな宝石よりも美しい。
今まで早朝にボートに乗ることなどなかったからなのか、こんなに素晴らしい水面を見たことはなかった。
「ありがとう! 声をかけてもらったおかげだわ!」
振り向くと、目が合った。
「それはよかった」
再び煌めく水面を見る。
これをリヒターと二人で見られたらいいのに。
ああ、でも興味はないかな。
金にならないと言われちゃったりして。
そもそも見に行く別料金を払わないといけないか。
それでも、二人で並んで見られたら。そうしたらすごく幸せなんだけどな。




