9・2花売り
教会に着いてロレンツォ神父にカゴを差し出すと、山盛りのフルーツに目を見張られた。
「いただいたの」と説明する私。「だけど父が送り主を気に入らなくて捨てようとしてしまって。もらって下さいますか?」
もちろんとうなずく神父と喜ぶ子供たち。
「さすが、悪名高い宰相。狭量だな」
「いただいたカゴごと窓から放り投げたのよ。酷いでしょう」
「ガキか」
と笑うと、いつも通り教会の扉へ向かうリヒター。その後ろ姿を見送る。
「どうしたの、アンヌ様」
服を引っ張られて我に返る。
「遊びましょうか」
満面の笑顔でうなずく子供たち。
いつもと変わらない光景。
それなのに、心が晴れない。
◇◇
子供たちの読み書きを見ていると、ロレンツォ神父がやってきて隣に座った。
「何かございましたか?」と穏やかな口調。「目が赤いのは誤魔化せませんよ」
私は手にしていたペンを置いた。
「……以前お世話になった修道騎士様がお亡くなりになったのです」
「そうでしたか」神父は泰然とうなずいた。「きっと地上でのお役目を全うされたのでしょう。どうか御霊の安らかなことを」
なぜなのか、すっと気持ちが冷えた。
『地上でのお役目』って何? 異教徒と戦うこと? 火事で焼かれた身で? 優しい心根を持ちながら、死神と呼ばれるほど敵を倒すこと?
私の掌をなぞった彼の指先は硬かった。私やクリズウィッドの指とは違う。
思い出す。
彼は変わった袖の服を着ていたっけ。リヒテン修道騎士団の制服なのだろう。灰色の長い袖は掌と甲を覆い、指だけが肌を見せていた。
その指は節くれだって無骨で、それまでの私の生活の中では見たことのない指だった。騎士らしくない細身の体とはアンバランスな気がした。
あの彼はもういない。
あなたの言葉に救われたと、手紙を送っておけばよかった。
なぜそうしなかったのだろう。
◇◇
帰り道。リヒターと並んで歩きながら、ふと彼の手に目がいった。
大きな傷のある左手。
彼の手も無骨だ。指はやはり節が目立つ。
行きに見えた口元とは、雰囲気が違う。口元は口調のようなガサツな感じではなかった。
そういえば顔のパーツで唯一見えている鼻は形良い。
……そうか。
女の人に養ってもらえるのだから、それなりに整った顔をしているのかもしれない。
「いかがですかー」
少女の花売りが声をかけてきた。まだ十くらいに見える。
「お兄さん、素敵な恋人へのプレゼントに!」
「恋人じゃねえ」
そう言いながらリヒターは花売りの手に銅貨を落とした。
「毎度っ!」
と少女がかごからガーベラニ、三本を取ってリヒターに渡す。
彼はそれを
「ほらよ」
と私に差し出した。
受け取って、私がもらっていいの?と心に浮かんだ言葉を飲みこむ。
泣きそうだ。
何事もなかったように歩いていくリヒター。
胸の中がぐちゃぐちゃしている。
立ち止まり振り返るリヒター。
「どうした?」
泣くな。行きに散々泣いたじゃない!
「お前、また泣くのか?」焦った声。「今度はなんだよ?」
「違うよ!」
見えないリヒターの目を見つめる。
「嬉しいだけ。ありがとう」
精一杯、にっこりと笑う。
……どうしよう。
こんなついでのようにくれた花が、泣きそうなくらい嬉しい。
それなのに、悲しくて胸が潰れそう。
私、リヒターが好きなんだ。




