番外編・手を繋いで
どこからともなく賑やかな音楽が聞こえてきた。なんだろうと首を巡らせると、脇道から派手な衣服をまとった人々が出てきた。手にした紙を笑顔で配っている。
「リヒター!」
彼のそでを引っ張って、一団に視線を向ける。
それで彼に伝わったようで、彼は「ああ」とうなずいた。
「大衆劇場の俳優たちだな。公演の宣伝をしているんだよ」
「楽しそう!」
一団が私たちのほうへ向かってくる。リュートや太鼓、笛で音楽を奏でる演奏チームと、ビラを配る俳優チームに分かれているみたい。
賑やかな彼らを避けるひとたちもいたけれど、私は自分から近寄って、町娘の格好をした女性からビラをもらった。
「可愛いお嬢さん! ぜひ見に来てね! 絶対に楽しいから!」
「ありがとう」
曖昧に返事をしてから、ビラに目を落とす。公演時間は夜。
「さすがに夜は、連れてけねえぞ」
私がなにかを言う前に、リヒターが予防線を張った。
「まあ、そうだよね」
リヒターだって、夜は恋人さんと過ごすはず。うちだって晩餐の時間があるから、抜け出すのはきっと難しい。残念だけど、諦めるしかない。
「ほら」と、リヒターが手を出した。「そんなもん、持って帰れねえだろ。俺がもらう」
「うん……」
彼に渡しながら周りにそっと目をむける。あちこちにビラが落ちている。もらったはものの、思っていた内容と違うと感じた人たちが捨てているのだろう。
だけどリヒターは私から受け取ったそれを丁寧に四つ折りにして、ポケットにしまった。
やっぱり、リヒターは優しい。
「そんなにしょぼくれるなって。昼公演をみつけたら、声をかけてやるから」
「やった! さすがリヒター!」
「金な! チケット代を倍もらうからな!」
「いっぱい用意しておく!」
えへへと笑うと、リヒターは「ほんと、いい金づるだぜ」と呟いた。
◇◇
結局、大衆劇団の昼公演に行けないままリヒターは姿を消し、私は街歩きを卒業することになった――。
◇◇
すっかり陽が落ちた、夜の街。大通りにはまだ多くの人がいる。
「まさか、待望の夜公演を見に行けるとは思わなかったよ」
そう言うと、となりを歩くリヒターが
「めいっぱい感謝しろよ」と答える。
「許可してくれた妃殿下にな」そう続けたのは、私たちの後ろにいるお目付け役のアレク。「でもなんで毎回毎回、俺がお目付け役なんだ」
「俺に遠慮なく物申せる貴重な人材だからだろ」
「そうか、しまった!」
ちらりと振り返ると、アレクは「今から敬うしかないか?」と、ぶつぶつ呟いている。
「でも本当に、よく妃殿下が許可してくれたとは思う。いくらアレクがいるとはいえ」
「アンヌさん! 許可しないと、こっそり行くってわかっているからですよ!」
後ろからアレクが叫んだ。
「なるほど?」
「当然だな」
リヒターが深くうなずく。
今日のクラウスはクラウスではなく、リヒターなのだ。完全に。リヒターの服を着て、リヒターの帽子をかぶっている。髪は黒く、顔は見えない。
「えへへ、このリヒターすごく懐かしい。一緒にお出かけできて、嬉しいな」
「劇場のある場所がちょっとな。この姿のほうがチンピラが寄りつかなくて、いいんだ」
理由がどんなものでも構わない。
「リヒターと手を繋いで歩くのが夢だったから。叶っちゃった!」
「ポンコツな夢だな。ま、俺もだけど」
そう言ってリヒターは手を持ちあげると、私の手の甲にちゅっとキスをした。
今日のクラウスは、リヒターの装いのせいで、かなりリヒター味が強い。えへへ、懐かしくて嬉しい。私の好きになった人は、このリヒターだもの。
「あれ、アンヌちゃん! デートかい!」
通りの向こうから、仲良しの主婦さんが声をかけてきた。
「そう! デートなの!」
「そんな怪しい男が相手じゃ、おばさん心配だけど」主婦さんが笑っている。「せっかくだから、たんと甘えておいで!」
「うん!」
「怪しくなんてねえよ!」
リヒターがノリノリで怒鳴り返す。主婦さんは大笑いし、そのとなりではリヒターのことを知らなさそうな旦那様が、心配そうに私たちを見比べている。
「ちゃんとダンナに説明してやれよ!」
「説明されても、信じるかなあ」
私はそう言って、リヒターを見上げる。顔を隠した不審者コーデ。私は大好きだけど、普通の人はこの格好をして、これだけ口が悪い人が公爵様だとは信じないと思う。
「そのとおり。職質案件ですよね」
後ろからアレクが言うと、
「俺に職質する警備隊がいたら、モグリだろ?」と、リヒターが笑う。
「そのとおりなんだけ――」
私が言いかけたとき、すっと目の前に人が割り込んできて、止まった。ブルーノくらいに逞しい体格をした中年男性だった。
険しい表情で、リヒターをにらんでいる。
「お前、怪しい風体だな。こんなお嬢さんをかどかわしてどうするつもりだ」
「「えええ??」」
私とリヒターは顔を見合わせる。
「ちょちょっと、あんたこそ誰だよ」
アレクが慌てて前に出てきた。
「俺は警備隊のアレックス・フォンタナだ。こっちのふたりは俺が身元を保証する。けど、あんたは? 警備隊でも近衛でも見ない顔だけど?」
「前線帰りの少佐だ。近衛に入隊するために都に来たばかりだ。お前こそ、本当に警備隊か? どう見てもこの男」と、彼はリヒターを顎で示した。「怪しいだろうが」
「怪しいのは否定しねえけど」そう言って、リヒターはため息をついた。「面倒なのに絡まれちまったな」
「むう。認めるのだな。では連行する」
リヒターが私の手を握る力を強めた。黒いウィッグ越しに視線を感じる。
「よし、アレク!」
私から視線を外さないままのリヒター。
「なんだよ」
「あとは任せた! 行くぞ、アンヌ!」
「うん!」
リヒターと私は、駆け出した。後ろでなにやらわめき声が聞こえるけど、振り返らない。
必死に、全速力で走る。手を繋いだまま。
◇◇
目的の劇場についたところで、ようやく私たちは足を止めた。エントランスの階段に座り込んで息を整える。私と違ってリヒターは、まったく息が上がっていない。いつもどおりの様子だ。
「あとで、アレクにたんまり礼をしてやらねえとな」
「……うん……!」
「大丈夫か? 中に入ったら葡萄酒くらい売ってるはずだ」
「全然大丈夫。楽しかった!」
「「初めて会った日みたいで」」
リヒターと私の声が重なる。
「ふふっ」
「はははっ」
思わず笑いがこぼれる。
リヒターに突然抱き上げられ、そのまま抱きしめられた。
「好きだ、アンヌ」
「私もよ、リヒター」
あの日からずいぶんといろんなことがあった。
けれど私たちは、多くのひとの協力の元、とても幸せになって。
きっとこれからもずっと、この幸せは続くのだ。
《おしまい》
《ゲームエンド後の時系列》
本編・「悪役令嬢になった訳」
番外編「リヒターの変装道」
番外編「クラウスの美味しいチョコの食べ方」
番外編「キスとジョナサン」
番外編「怯える王子」
番外編「ウラジミールの幽霊」
本編・「エンド半年後」
番外編「エドの家族と初対面」
番外編「パン屋の弟子と警備隊員の日常」
番外編「14歳の王女」
(アンヌとクラウス婚約)
番外編「元修道士と息子」後半
番外編「秋祭り」
番外編「シェーンガルテンでデート」
番外編「手を繋いで」 ←このお話
番外編「狭量クリズウィッド」
番外編「警備隊員の幸せ」
番外編「堅物ラルフ」前半
番外編「エヴァンス邸」
番外編「すてきな女子会」
番外編「堅物ラルフ」後半




