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裏話・出会い

(旅の途中で襲撃されたアンヌローザが、ルカたちに助けられたときの、ルカのお話です)



 旅の最中(さなか)に、盗賊に襲撃されている民間人を助けるというのは、よくあることだ。

 今回も、偶然遭遇したから救援に向かった。いつもどおり。なんの変哲もない日常。


 その思いが崩れ去ったのは、被害にあった馬車についている紋章を見たときだった。

 金の盾に鷲の図柄。見間違えようがない。この世でもっとも憎い男のひとり、ラムゼトゥール公爵の家紋だ。


 世界が、止まる。

 俺は、仇かもしれない人間を助けてしまったのか……?


 トン、と軽く背中を叩かれた。それと同時に、

「息を吸え」と、耳元で囁かれる。「いるのは女だけだ」

 脳裏に、襲撃に気づいたときからの一連の流れがよみがえる。貴賓が乗っていると思われる馬車は一台のみで、そこから引きずり降ろされていたのは、確かに女性だけだった。


 憎いあの男はいない。


 小さく息を吐く。

 あいつを助けなくて済んだ。

 それにもし生き残った中にいたなら、俺は自分を律することができなかったかもしれない。それも、困る。


 ようやく止まった世界が動き出し、俺に声をかけたヤコブが盗賊を縛り上げているのが目に入った。背後ではマルコが、女性に向かってなにやら話している。

 ならば俺がするべきことは、無事な矢を集めることだ。新しいものを調達する前に、また襲撃現場に居合わせることもあるのだ。『冷静になれ』と自分を叱咤しながら、矢を探す。


 ――だが。


 俺の家族を惨殺したのは、国王か、ラムゼトゥールか、その両方か。たとえどちらか一人だったとしても、もう一方がまったくの無関係ということはない。そこまでのことが判明している。


 だというのに、惨殺犯の縁者を助けてしまった。

 なぜ、という苦い思いが湧き上がる。

 あいつらの関係者はみな、無残に死ねばいいのだ。俺の家族が強いられた死にざまのように。

 恐怖と絶望の中、生を奪われる理不尽さを骨の髄まで味わってほしい。


 矢を拾い終え、遺体を道の外に運び始める。通行の妨げにならないように。盗賊も公爵家の護衛も同じように扱い、地に横たえる。道に散乱した荷物から察するに、女たちは遠方に輿入れするための旅をしていたみたいだ。それでこの盗賊多発地帯を通るとは、愚かなことだ。


 ラムゼトゥールの縁者なんて、ここで野犬の餌になればいい。

 ラムゼトゥールは見るに堪えない家族の遺体を見て、泣き叫べばいい。

 かつての俺が、そうだったように。

 遺体を並べ終えると、先を急ぐヤコブはマルコと連れ立って出発した。俺はこの地の官憲が来るまで、生き残りたちを守らねばならない。

 

 なんで、俺が。

 マルコらしくない判断だ。

 死者に祈りを捧げる。

 ――だがこれほど、気が進まない祈りは初めてだ。あの男の関係者のために、祈りたくなんてない。


「アンヌ様!」


 怯えたような女性の声がしたかと思うと、自分に近づいてくる気配を感じた。

 そっと目を開き、狭い視界のなかで目を動かす。すると若い娘が俺のとなりに並ぶのがわかった。顔面は死人のように色がなく、強張っている。旅行中とは思えない、豪華なドレス姿。

 あの男にはアンヌローザという名前の娘がいる。きっと、そいつだ。

 あと少し襲撃現場に遭遇するのが遅ければ、彼女を助けなくて済んだのに――


 そう思い、唇を噛んだときだった。


「……ごめんなさい……」

 かすかな震え声が耳に届いた。

 どこから発せられた声だ?

 戸惑い、視線を巡らす。すると俺のとなりの娘が、震えながら手を組み、熱心に祈っていた。目からはとめどもなく涙が流れている。


 なぜ、泣いている? ラムゼトゥールの娘なんかが?

 理解できない光景だった。あの男のことは調べ上げてある。非道で悪辣、自分が殺した屍の山の頂上に、平然と座っているような人間だ。使用人なんて、取り替えのきく道具程度にしか考えていない。

 なのに娘は犠牲者のために祈り、涙を流すのか?

 

 呆然としているうちに、彼女は祈りを終えたらしい。

 侍女らしき女が、娘の肩を抱く。

「……アンヌ様。悪いのは盗賊です」

 娘はふるふると、頭を横に振る。

「母様と私の判断が間違っていたの」


 ……今、なんと言った?

 この女はラムゼトゥールの娘、アンヌローザではないのか? あの男の娘が、そんな愁傷なことを言うとは思えない。


『憎むのは、本人だけにしろ。家族が同様の悪人とは限らない』

 脳裏にマルコの声が蘇った。火事ですべてを失った日から、何百、いや何千回と聞かされてきた言葉だ。

 あれは。あの言葉は……。


 ふと気づくと、目前に娘が立っていた。涙のあとのついた顔で、俺を見上げている。

 思わず、たじろいだ。仮面をつけている俺を、たいていの女は気味悪がる。真正面から、まっすぐに俺の目を見る女など、いない。


「お祈りを邪魔してごめんなさい。短剣を貸していただけませんか」

 短剣?

 あまりに予想外のことが続き、思わず、『なにに使う?』と声に出して尋ねそうになった。

 寸前で踏みとどまり、声を出す代わりに首をかしげる。すると彼女は、「ダメですか?」と眉を寄せて情けない顔になった。


 彼女はラムゼトゥールの娘だという嫌悪感と。そうとは思えない言動の数々への興味と。

 それらがわずかな間、俺の中でせめぎあった。

 そして頭で結論を出す前に、勝手に手が動いていた。彼女の手のひらに『なにに使う?』と文字を書く。


 指先で触れたそこは、白く柔らかかった。なんの苦労もしたことのない手だ。俺の周りにいた女性は、侍女も乳母も、メイドの仕事も兼ねていたからこんな手ではなかった。


 なんとも言い難い黒い感情が湧き上がりかけたとき、娘は、

「『なにに使う』と訊いているのね」と、声に出した。

 このやり取りを面倒くさがる人間は多いのに。彼女は厭わないらしい。

「みんなの遺髪を持って帰りたいの。……都に連れて帰ることは、難しいかもしれないから。せめて」


 遺髪。

 すっと遠い過去が蘇る。燃える屋敷。倒れ伏し動かなくなった家庭教師たち。

 生きていると信じたくて、必死に彼らにしがみつく俺。

 そんな俺にマルコは、彼らの遺髪を握らせた。『彼らはここに共にある』と言って。

 彼女は、マルコと同じようなことを考えるのか? ラムゼトゥールの娘なのに?


「お、お嬢様。それなら私がいたします」

 侍女の声に、意識が現実に戻る。

「いいえ。これは主人としての私の仕事よ。私と母様の判断ミスのせいなのだから」

 娘はきっぱりと言い切った。

 だけど手は震えている。それを両手を握りしめて、必死に押さえつけている。

 当然だ。


 俺は並んだ遺体に目をやった。どれも、どこかしらが斬られ肉をあらわにし、血にまみれている。普通の女性なら一目で卒倒するような惨状なのだ。

 なのに彼女は、自分で遺髪を集めるというのか?


『憎むのは、本人だけにしろ。家族が同様の悪人とは限らない』

 マルコの言葉が、胸にストンと落ちた気がした。目の前の彼女は、俺の家族を殺した男本人じゃない。別の人間だ。


 俺は彼女に返答せず、代わりに犠牲者のひとりから髪を一房切り落とした。それを娘に差し出す。

「私がします」

 娘は、震えながらもまっすぐに私の目を見る。

 申し出を断り俺は、ラムゼトゥール関係者の遺髪を集めた。あんなに震える手では、怪我をしかねない。それを喜ぶような気持は、俺にはもうないようだった。


 むしろ、彼女の今後が気になった。彼女が父親のような人間ではなく、むしろこの状況に責任を感じているのなら。生き残ったことを辛く感じるだろう。かつての俺がそうだったように。

 あの時俺は、喋ることができなくなった。マルコとヤコブが根気強く支えてくれていなかったら、声を取り戻すことはできなかったはずだ。


 最後の遺髪を娘に渡すと、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。

 善良そうに見える。

 最初俺は、この一行が憎い男の縁者だからという理由だけで、助けたことを後悔していた。理由なく殺される人間がいていいはずはないのに。

 詫びる代わりに、せめて――


 彼女のてのひらに書く。

『あなたの心に安らぎが訪れることを祈ります』

 俺のように心が壊れないように。


 書き終えると娘は、顔をあげた。視線が合う。

「御心に感謝します。お優しい修道騎士様に、神のご加護があらんことを」


『善良そう』じゃない。『善良』なんだ。

 彼女が遠方に嫁ぐのなら、二度と会うことはないだろう。それならば、俺の復讐に関わることはない。

 よかったという思いが、胸の内に自然と生じた。







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