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番外編・パン屋の弟子と警備隊員の日常

「なんだぁ、やんのか!?」

 怒声が耳に届く。が、声の主を探すまでもない。

 ひとがささっとよけるように動いている。その中心にふたりの男。大柄と小柄と体格の差はあれどどちらも見るからに血気盛んで、言われた小柄男も、

「あぁん?」と睨み返している。


「まずいな」

 と、となりにいるクラウスが呟く。彼も私も午前中の仕事が終わり、王宮へ行くところ。

「行ってきなよ。私はここで待ってるから」

「ひとりにはできねえよ」

 クラウスは困ったような顔をしている。


「大丈夫」そう言って、すぐそばの八百屋の店先を示す。「お店をのぞいているから」

「いいっすよ!」と、私たちの会話を聞いていたらしき店員のお兄さん。「公爵様のカノジョさんはオレがしっかり見ときますんで!」


 クラウスの顔がとたんにデレる。端正な美貌が台無しだ。『カノジョ』と言われて喜んでいるとみた。ま、私もだけどね!


「そうか。じゃあ、悪いが」

「うん、いってらっしゃい!」


 クラウスは踵を返すと、今まさに殴り合いを始めようとしているふたりのもとに駆けつけて、小柄男の腕をつかんだ。

「やめろ、リッツ! 今度警備隊のお世話になったら、仕事クビになんだろ?」


 なるほど、確かにそれはまずい。


「でもさあ!」と反論する小柄男。

「ほうほう、逃げるのか?」と嫌らしい顔で煽る大柄男。

 クラウスが仲裁しているけど、男たちは言い争っている。


「公爵様は優しいよなぁ」と八百屋のお兄さんが話しかけてきた。

「やっぱりわかる?」

「ああ、だって逮捕しちまえば簡単に終わりじゃん。あのふたりぐらい、片手だけで捻りあげられるだろうし。なのにリッツの事情を考えてやんだもんなあ」

「へへっ。いい人でしょう!」

「のろけてんなあ。でも当然だよな、いい男だ」


 うんうん、どんどん褒めてくれていいよ!


「あっちのデカいのは、都の人間じゃねえな」とそばにいた見知らぬおじさん。

「だよな」と八百屋のお兄さん。「祭りの時期になると、外からヘンな輩も大勢集まってくるからなあ」



 そういえば去年のこの時期に、クラウス――というかあのときはリヒターだ――が、そう言っていたっけ。あのときは行けなかったけど、今年は行けるもんね。えへへ。


「お! すんげえ美人!」

「よ、姉ちゃん、オレらとあそぼうぜ」

「姉ちゃんてば!」

「無視すんなって!」


 肩をぐいと掴まれ、聞こえていた声が自分に向けられていたものだと気が付いた。

 粗野な雰囲気の若い男がふたり、にたにたしながら私を見ている。


「おい! その娘はダメだ!」

 八百屋のお兄さんが店の中から出てくる。

「手を離してください。あそびません」

「そう言わずにさあ」


 私の肩を掴んでいた男の手を、おじさんがつかむ。

「命がおしければ、離せ」

「そうだぞ、よそ者。都中の人間が、この娘に手出ししちゃいけねえって知ってる」と八百屋のお兄さん。


 そうなの!?

 ……いや、大げさに言っているだけだよね。


「うっせえぞ、老いぼれ!」

 男のひとりがおじさんをどつこうとする。が、それより早くおじさんは離れた。

 ほっと胸を撫でおろす。

 けれど、これはまずい。


「ほら、姉ちゃん、行くぞ」

 男が肩を離してくれた代わりに、手首を掴んで引っ張る。

「やめてください、恋人を待っているんです」

「だから? オレらのほうが絶対に楽しいぜ?」

 男たちが下卑た笑い声を上げる。八百屋のお兄さんとおじさんが、首を横に振っているけど、気にもしていない。


「それなら見てください」

『あそこに』と指を指そうとしたとき、ひとが近寄る気配がして、私の手首を掴んでいた男の手が捻りあげられた。


「っ! い、い、いっ……!」

 男は苦悶に顔を歪めて、悶えている。彼の動きを片手で封じているのは、クラウスだった。めちゃくちゃに怒っている。


「なんだ、てめえ!」

 もう一人がクラウスの胸倉を掴もうとしたけれど、すぐに動きを止めた。顔に見惚れているみたい。


「離せと言われているのに従わなかったな。婦女暴行に値する」

 男はクラウスが警備隊の制服を着ていることに今やっと気づいたようで、息をのんで後ずさった。


「私の恋人です」と彼らに紹介する。

「公爵様なんだぞ!」とおじさん。

「そのカノジョに暴行を働いたんだ! 重罪だな」八百屋のお兄さんも言う。

 男たちは蒼白になってガタガタ震えだすと、必死に謝罪の言葉を繰り返した。


 結局クラウスは彼らに、『次に悪さをしているのを見つけたら、問答無用で逮捕するからな』と警告するに留めて解放した。

「すんません、すんません」と平謝りする八百屋のお兄さん。

「お前が謝ることはない。精一杯やってくれたのはわかってる」


 クラウスはそう言いながら、私をぎゅっと抱きしめた。往来なのに!

「リヒター!」

「ん」

 ぎゅううと、私にまわされた腕に力入る。

「こんなとこで! 妃殿下に知られたらまた叱られるよ!」

「だってアンヌ、怖かったんだろ? 表情がこわばってる」

「……うん」


 さすがクラウス。お見通しだったか。

 素直に答えると、クラウスの背に手をまわした。


「絶対助けてくれるとわかっていたけど、体を掴まれるのは、ちょっとね」

「ごめん」

「私、町のひとたちに好かれているリヒターが大好きよ」

「俺はそんなアンヌを大好きだ」


 思わず顔がゆるむ。毎日『好き』と言ってもらっているけれど、何度言われても、嬉しい。


「公爵様、往来でのろけすぎじゃねえですか」とおじさんの声がする。

「うるさい、邪魔するな。可愛いアンヌを堪能しているんだ」

「……リヒター、目的が変わっていない?」

「一挙両得ってやつだ」

「なるほど。私も!」


 耳元でクラウスのささやかな笑い声がする。

 王宮でも妃殿下とかリリーとかの目があって、なかなかいちゃいちゃできないものね。

 せっかくだから、私もクラウスを堪能しておかなくちゃ。



 どうかこのことが妃殿下に密告されませんように!

《ゲームエンド後の時系列》

本編・「悪役令嬢になった訳」

番外編「リヒターの変装道具」

番外編「キスとジョナサン」

番外編「怯える王子」

番外編「ウラジミールの幽霊」

本編・「エンド半年後」

番外編「エドの家族と初対面」

番外編「パン屋の弟子と警備隊員の日常」←このお話

番外編「14歳の王女」

(アンヌとクラウス婚約)

番外編「元修道士と息子」後半

番外編「秋祭り」

番外編「シェーンガルテンでデート」

番外編「狭量クリズウィッド」

番外編「警備隊員の幸せ」

番外編「堅物ラルフ」前半

番外編「エヴァンス邸」

番外編「堅物ラルフ」後半

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