番外編・キスとジョナサン
クラウスのお話です。
時期はレセプション舞踏会のひと月後くらい。
クリズウィッドが侍従に呼ばれて席を外すと、ジョナサンがグラスを持ってやって来て、となりにすわった。
晩餐後のひととき。男女で部屋を別れていて、クリズウィッドが出ていった今、このサロンにはジョナサンと俺しかいない。
だというのに、わざわざそばに席を移動したということは、他人に聞かれたくない話があるということだ。
「なあ、クラウス」
そう声をかけてきたジョナサンはやけに真剣な表情だ。
「なんだ?」
酒の入ったグラスに口をつけながら尋ねる。
「アンヌローザとはもうちゃんとしたキスをしたか?」
「っ!!」
思わず酒を吹き出しそうになる。なんとかこらえて、意味もなく手の甲で口を拭った。
「どうしてだ?」
「いや。……で、したか?」
ジョナサンは言葉を濁しながらも、前のめりになって更に聞いてきた。
「してるが?」
「そうだよな。あれだけ、いちゃついているのだから」
体勢を直し、吐息するジョナサン。
「場所はわきまえているつもりだ」
アンヌローザとクリズウィッドの婚約が解消されてから、まだひと月も経っていない。
「分かっている」とジョナサン。
「俺はちゃんと答えたぞ。質問の意図はなんだ」
「……僕はまだしていない」
「は? 嘘だろ?」
空耳か?
「本当だ」とジョナサン。「そりゃ挨拶として額や頬なんかにはしているが」
「めちゃくちゃ手の早いお前が?」
「いけないか? 実はキスすら未経験だったクラウス?」
機嫌を損ねたのかジョナサンは嫌味たらしい口調でそう言った。が、すぐに吐息する。その表情は複雑だ。この様子だと、だいぶ悩んでいるのかもしれない。
「もしかして、拒まれたのか?」
恐る恐る尋ねる。
「違う」とジョナサン。
「じゃあ、どうして」
「分からないんだ」
「なにが」
「僕はずっと軽い女の子としか遊んでこなかった。だけどルクレツィアは真面目で素敵な女の子だ。婚約もしていないのに、キスをしていいのかどうか分からない。それこそ拒まれでもしたら、立ち直れない」
「……なるほど」
酒をひとくち飲み、グラスをテーブルに置いた。
「まず確実に言えることが、ひとつある」
「なんだ?」
ジョナサンの顔がパッと明るくなる。
「相談相手を間違えている。敬虔な修道士だった男にする質問じゃない」
「……言い方はかっこいいが、つまり女性についてはまったく分からないということだな」
「そのとおり」
自信を持ってうなずく。なにしろアンヌの好きな相手を一年近く誤解していたくらいだ。ジョナサンはため息をついた。
「仕方ないだろ。僕には相談できる友人がクラウスとクリズウィッドとウェルナーしかいない。失恋間もないクリズウィッドにはできないし、ウェルナーは参考にならなさそうじゃないか」
「確かに」
ウェルナーは奥方しか目に入っていないからな。
「先月までキスすら未経験だった俺の意見でいいのなら」
「根に持つな」
「信頼性は低いってことだ」
「……だな。でも構わない。頼む、意見をくれ」
「ルクレツィアはめちゃくちゃジョナサンを好きだ。これは間違いない」
途端にヤツは相好を崩した。
「好きならキスをしたいと思うものじゃないか」
「ルクレツィアも?」
「第一、」と話を変える。「彼女はお前がどういう男か知っている。他の女たちとはしていただろうに、なんで自分にはしないのかと考えている可能性はある」
「なるほど。――それはマズイような気がする」
「結論。俺に訊くより本人に訊け。『キスしてもいいか』と」
「雰囲気ゼロじゃないか」とジョナサン。
「拒まれるのが心配なら、そうするしかないと思うが。それともアンヌづてに意思を確認するか?」
「もっとマヌケだ」
ジョナサンは息を吐いた。
「僕はキスをしたい。拒まれたくもない」
「まあ、そんなことにはならないだろ」
「彼女に訊いてみる。婚約まで待てと言われたら、死ぬ気で我慢するしかないな」
覚悟を決めたような顔をしているジョナサン。
手を伸ばし、その肩を叩いた。
「お前はいい男だよ」
「ルクレツィアは大切にしたいからな」
そう言ったジョナサンはグラスを置いて立ち上がった。
「ちょっと行ってくる」
「今か!?」
「ひと月も悶々としているんだ」
ジョナサンは言葉の情けなさとは裏腹の凛々しい表情で、『じゃ』と一言、サロンを出ていった。
「ジョナサンは?」
入れ違いで戻ってきたクリズウィッドが尋ねる。
「決死の覚悟で――」
「は? なにがあった?」
「ルクレツィアの元に行った。お前は詳細を聞かないほうがいい。兄としても、独り身としても」
「後半はお前のせいじゃないか。婚約を全力で邪魔してやろうか」
「それは困る」
クリズウィッドは笑いながら向かいにすわった。
◇◇
そろそろお開きという時間にジョナサンが戻ってきた。素晴らしい笑顔だ。俺と目が合うと、親指を立て、一言。
「した!」
「良かったな」と祝ってやる。
「よく分からないが、腹が立つ!」とはクリズウィッド。
今日も平和に夜が更けていく。
《おしまい》
《ゲームエンド後の時系列》
本編・「悪役令嬢になった訳」
番外編「リヒターの変装道具」
番外編「キスとジョナサン」←このお話
番外編「怯える王子」
番外編「ウラジミールの幽霊」
本編・「エンド半年後」
番外編「エドの家族と初対面」
番外編「14歳の王女」
(アンヌとクラウス婚約)
番外編「元修道士と息子」後半
番外編「秋祭り」
番外編「シェーンガルテンでデート」
番外編「警備隊員の幸せ」
番外編「堅物ラルフ」前半
番外編「エヴァンス邸」
番外編「堅物ラルフ」後半




