番外編・シェーンガルテンでデート
アンヌのお話です。
日常のひとコマ。
人混みを縫って、待ち合わせの場所に駆けて行く。
すぐに私に気がついたクラウスがこちらを見て笑顔になった。
「お待たせ!」
「待ったぞ。今日も可愛いな。リリーのセンスは抜群だ」
「そうなのよ!」
クラウスが私の額にちゅっとキスを落とす。
振り返ると、ここまで送ってくれた二人の近衛兵が苦笑していた。ジョナサンの師団の人だ。帰宅するついでに私の護衛をと師団長に頼まれたのを、快く引き受けてくれた。
町の青年の格好をしたクラウスが、公爵の表情になって
「ご苦労」
と彼らを労う。そんなクラウスは冷淡そうに見えて、近寄りがたい雰囲気がぷんぷんする。
だけどいくら澄ましたって、街中でデートの待ち合わせをしたのは彼と私のワガママだから、様にはならないと思うのだ。
でも近衛兵はぴしりと最敬礼をして、帰って行った。さすがジョナサン配下。いい人たちだな。
「……街中で集合は昔みたいで楽しいが……」とクラウスが私を見て眉を寄せる。「このアンヌを俺より先にあいつらが見たのかと思うと、面白くない」
「何それ!」
「だって」とクラウスはふわふわに結われた私の髪にそっと触れた。「これは俺仕様だろ? 去年シェーンガルテンに行ったときと同じ髪型だ」
「よく分かったね」
あれから一年も経っているのに。
「そりゃ、最初で最後のデートだと思っていたからな。全部を覚えておきたかった」
「あなたもそう思っていたの? 私もよ」
「手も繋ぎたかった」
「私も」
クラウスは笑みを浮かべて私の手を握った。それを私は恋人繋ぎに変える。
「行こうか」
「うん」
婚約してから二度目のデート。行き先はシェーンガルテン。今回は秋祭りのときとは違って、なんと、お目付け役はいないのだ!
「今日はリヒターって呼ぶかクラウスって呼ぶか迷うな。どっちがいい?」
「そうだな。――リヒターで」
「了解、リヒター」
クラウス改めリヒターは、ニヤリと笑う。
「俺は裏町の悪い男だからな。紳士的ではないかもしれない」
「でも世間でその顔は、裏町のリヒターじゃなくて警備隊員のフェルグラート公爵と認識されてるよね」
チッと舌打ちをするリヒター。
「せっかく二人きりのデートなのに。こんな顔は嫌いだ」
「私は好きよ。クラウスの顔も。リヒターの見えない顔も。ルカ僧の仮面姿も。全部」
「そっか。俺もアンヌの全てを好きだがな」
握りあった手に力が籠められる。
「へへっ」
「でも」とリヒターが空いた手でまた私の髪に触れた。「このアンヌが一番だな」
「そうなの?」
「城にいるときのお前はいかにも公爵令嬢って感じだろ。街にいるほうがアンヌらしい。ポンコツになるけどな」
「リヒターの前でだけだもん」
と、道の向こうに仲良しの主婦さんをみつけて手を振る。
「アンヌちゃん、デートかい!」
「そう!」
「いいねえ! たくさん遊んできなよ!」
叫び合う私たちにリヒターが苦笑している。
「公爵令嬢のかけらもねえ」
「お互い様だよね」
「このふわふわの可愛さはさ、格別」
リヒターが話を戻す。
「リリーを褒めてあげて」
「そりゃそうなんだけど。去年のシェーンガルテンのときは、リリーは何を考えてんだと腹が立った」
「何で?」
「こんなに可愛くして、俺を血迷わせたいのかと思ったんだよ」
「リリーはリヒターを信頼してたよ」
「甘い!」
でもあの日一日、リヒターはいつもどおりだった。なんともない風を装いながら、そんなに私を可愛いと思っていてくれたんだ。
「へへっ」
嬉しくて思わずにやけると、リヒターが剣呑な目を向けた。
「……喜ぶポイントが分からねえ」
「血迷いそうなくらい、私が可愛かったんでしょ? リヒターにはずっと子供扱いされてたからね、嬉しいんだよ」
「外のアンヌがポンコツガキなのは否めねえぞ」
「うん!」
今日のクラウスはリヒター感が強い気がする。二回目のシェーンガルテンだからかな。乱暴な口調が、リヒターがリヒターでしかなかった頃みたいで懐かしい。
「お、カードをやってる」
小さな広場のベンチでふたりのおじいさんが向かいあってカードをしている。その周りにはギャラリーがちらほら。
「見てくか?」とリヒター。
「うん。私、左のおじいさんに賭ける。勝ちそうな顔をしてるから」
「ひでえ根拠。じゃあ俺は右な」
「あ」とギャラリーのひとりがリヒターを見て声を上げる。「警備隊の公爵様!」
「おう。右のオヤジ、絶対勝てよ。お前に賭けるからな」
「任せろ兄ちゃん」とおじいさん。
公爵様だぞとギャラリーが慌てるけど、おじいさんは気にしていない。クラウスの顔は貴族的でも言動は下町風だから、《公爵》があだ名だと思っている市民も結構いるらしい。きっとおじいさんもそのひとりなのだろう。
リヒターは
「勝たねえと橋から吊るすぞ」
なんて脅している。どこからどう見ても下町の兄ちゃんだ。いやその前に警備隊員として、そのセリフはいいのかな。真面目なラルフが聞いたら怒りそうだ。
私は自分が賭けた人に
「がんばって! 私はあなたに賭けたからね」と声を掛ける。
「おうよ!」とおじいさん。「別嬪さんに応援されちゃあ、負けらんねえ」
ギャラリーからやいのやいのと声が上がり、クラウスも私もするっと仲間に入れてもらえる。まるでここの町の人みたいに。
リヒターを見ると微笑まれた。
「楽しいね」
「これを楽しめるアンヌが可愛い」
またしてもちゅっと額にキスされる。今日はペースが早い。彼もきっと、ふたりきりのデートに浮かれているんだ。
ギャラリーたちから飛び交う冷やかしさえも、嬉しく感じてしまう。
◇◇
カードゲームは私が賭けたおじいさんが勝った。リヒターは悪態をつきながら掛け金を払い、ついでに居合わせた全員にお酒を奢った。
『また来てよ』と誘われるのに対して『二度と来るか』と楽しそうに返すリヒター。
こんなとき、公爵位に留まらなければならなかったのは辛かったかなと、心配になる。だけどクラウスは切り替えが上手で、王宮にいれば貴族然としてクリズウィッドたちと楽しそうにしているのだ。
「『一粒で二度美味しい』。違うな。『一挙両得』。これも違う」
「なんの話だ?」とリヒター。
「あなたって貴族社会でも庶民世界でも馴染んでいるから」
「人に恵まれたおかげだな。マズかったのは親だけ。家庭教師とかブルーノとラルフとか。他人の俺を大切にしてくれた」
そうかな。亡き子供たちの名前を付けた先々代国王とか、暗殺しようとしたユリウスや私の父とか。そんな人もいっぱいいただろうに、この人は『人に恵まれた』って言うんだ。
「それからアンヌな」
「私も、ルカ僧」
お互いに、あの時に出会わなければ、全然違う人生になっていたはず。
「そうだ、聖リヒテン修道騎士団のお土産は何にしよう」
一昨日、騎士団から私にワインが三樽も届いたのだ。元ルカ僧との婚約を祝ってのことらしい。
全てが終わったら再び出家する予定だった彼やブルーノ、ラルフというリヒテンが誇る三騎士が、都に俗人として残ることを騎士団は受け入れてくれた。国王との太いパイプが出来ることを歓迎しているからというのが、主たる理由らしい。
だとしても、ルカ僧やマルコ僧の結婚を喜んでいるのは本当みたいだ。ご祝儀を届けてくれた修道騎士たちの様子から、間違いない。
ちなみに一昨日、フェルグラート邸で同胞たちは一堂に会し、朝まで酒盛りをしていたらしい。シンシアが呆れていた。
エドワルドが、修道騎士なのだからこんなことはさすがに稀らしいと、フォローしていたけどね。
とにかくも。やって来た修道騎士たちに、何か手土産を持たせてあげたいのだけど何がいいのか分からない。ご祝儀のお返しはもう元王妃殿下が用意したから、本当に軽いお土産。
「うちは基本的に個人の財産は持てねえからな」とリヒターが言う。
彼にとってリヒテンはまだ『うち』らしい。
「食い物が一番妥当。でも贅沢品、嗜好品はダメ」
「……了解」
クラウスはそんな厳しいところで十年も生きてきたのだ。父とユリウスのしたことのせいで。
でも私が罪悪感を感じたからといって、過去がなかったことにはならない。クラウスだって正当な復讐だったとはいえ、私の父を死刑台に送った。彼は隠しているけど、そのことに引け目を感じているのを私は知っている。
お互いに消せない傷を抱えているけど、でもそれは、私たちの障害にはなり得ない。
「そうだ!」とリヒター。「アンヌが焼いたパンをやったらどうだ。あいつら、お前の才能に脱帽するぞ。本当はアンヌのパンは俺が全部食いたいけど、仕方ない。アンヌの素晴らしさを知らしめるためだからな、今回はガマンしてやる」
どうだ、と言わんばかりにキラキラの笑顔をしているリヒター。
「ポンコツってすぐ言うくせに!」
「ポンコツなのは事実だ!」
リヒターはそう言って、繋いだ手を持ち上げてちゅっとキスをする。
脇を通りすぎたおじさんから、『お熱いねえ』とヤジが飛ぶ。
「それなら親方に頼んで、明日は多めに焼かせてもらうよ」
「多めか。それなら俺の分もあるな」
ほくほく顔のリヒター。私を好き過ぎるリヒターだってポンコツだと思うのだ。だってゲームでは冷静キャラだったのだから。私といるクラウスにはそんな面影は一切ない!
◇◇
シェーンガルテンの小路をのんびり歩く。同じように散策をしている人やピクニックをしている人がいれば、大道芸人や絵描きもいる。
時々街中では見られない小動物や小鳥をみつけては、そっと眺めて楽しむ。
「リヒターじゃなかったら、こんなデートはできなかったな」
「うん?」
「私も一応、公爵令嬢でしょ? 公園に行くときは護衛やら小間使いやらがたんと付けられていたの。ちっとも楽しめなかった」
「そのくせ屋敷を抜け出して街を独り歩きをしてたのか。とんでもねえ公爵令嬢だな」
「いいじゃない。おかげでリヒターに会えたし、こんな素敵なデートができているんだもん」
「まあ俺も、アンヌじゃなかったらやろうとも思わなかっただろうしな」
「でしょでしょ?」
「アンヌがヘンなんだぞ! ――そこがいいけど」
「私、冬になったらスケートデートもしたい」
「滑ったことがあるのか?」
「ない! でもシンシアが楽しいって言っていたから」
「ああ」と優しげな笑みを浮かべるクラウス。「冬にエドと行ったんだよ。シンシアがなかなかあいつを誘えなくて、やきもきした」
「そうなの。――そうだ、ダブルデートもいいね。ルクレツィアも誘いたいけど、難しいかな」
「クリズウィッドよりジョナサンがうるさそうだ。常に惚気、のろけ、ノロケだぞ。しかも過保護」
「そんな感じだね」
「まあ、エドも別の意味でうるさいがな。あいつはシンシアをからかいすぎる」
「過保護にどSか」
さすが攻略対象。個性が強い。
と、こちらを見ているピクニック中の一団に気がついた。マリーとテレーズ、それからジュディットがいる。他に青年が三人。マリーのお兄さんと男爵家の青年たちだ。
手を振ると女子三人はふり返してくれた。男子チームはかしこまって頭を下げている。クラウスに対してだ。
「彼女たちもデートかも。グループデート」
マリーとテレーズは一緒にいる青年と婚約をしているし、ジュディットはマリーのお兄さんと婚約がまとまりそうだと聞いている。
「そうだな。俺がいると気を遣うだろうから、さっさと離れよう」
優しいクラウスがそう言って、会釈をして歩みを早める。
「スケートの前にここでデートもいいね」
「ああ。だがスケートにしてもここにしても、クリズウィッドには難しい」
「――そっか」
私にとっての親友はルクレツィアとシンシアだけど、クラウスにとってはクリズウィッドだった。
「それならまずはプチ・ファータね」
昨年ルクレツィアとジョナサンの距離を縮めるために行ったピクニック。
「でもそうなるとクラウディアも誘いたいし、そうしたらフィリップもでしょ。クリズウィッド殿下のために姫もね。それならヒンデミット男爵夫妻も呼ばなきゃ。結構な大人数だわ。心して準備をしないと!」
「もうデートじゃねえな」
「グループデートよ!」
「そうかあ? ま、いいさ、やろう。シンシアは喜ぶはずだ」
「楽しみ!」
デートをしながら次のデートの企画を考える。
こんな幸せなことってあるかな?
「屋台がある」とリヒターが目ざとく木陰に出ているそれをみつける。「白ブドウジュースでも飲むか」
「うん」
去年はリヒターが奢ってくれたなと思い出す。あの時私はベンチで彼を待っていた。
でも今は手を繋いでいるから、一緒に買いに行くんだもんね。
リヒターの、隠れていない横顔を見上げる。視線に気づいて私を見るクラウス。
「何だよ?」
乱暴な口調と裏腹に表情は柔らかい。
「楽しいなと思って」
「俺も」
と額にキスが落ちてきそうになったので、素早く身をかわしてよける。
そうして呆然としているクラウスの頬にちゅっとキスをした。
「されているばかりじゃないんだから」
クラウスが破顔する。
私もきっと同じ顔。
番外編の時系列が分かりにくいので、一覧にしました。
《ゲームエンド後の時系列》
本編・「悪役令嬢になった訳」
番外編「怯える王子」
番外編「ウラジミールの幽霊」
本編・「エンド半年後」
番外編「14歳の王女」
(アンヌとクラウス婚約)
番外編「元修道士と息子」後半
番外編「秋祭り」
番外編「シェーンガルテンでデート」←このお話
番外編「警備隊員の幸せ」
番外編「堅物ラルフ」前半
番外編「エヴァンス邸」
番外編「堅物ラルフ」後半




