番外編・ジュールとサニー、それから怪しい男
孤児院の子供たちのリーダー、ジュールのお話です。
本編『27・2変化』の直後になります。
(文中にわざと文法の間違いを入れてあります)
足音を立てないように注意しながら、教会に入る。能天気なサニーは新しい遊びだと思ってて、顔いっぱいの笑顔だ。つないだ手をもにゅもにゅとされていて、くすぐったい。
おんぼろ参列席のあいだを通り、アイツに近づく。いつもと同じで椅子に横になって寝ている。大人の男には狭いはずなのに、器用だ。そして寝ていても顔を隠している。怪しさ全開だ。
ヤツを起こさないで、そばまで来れた。恐る恐る手を伸ばす。絶対にコイツの顔を見てやるのだ。
口元をおおっているスカーフまであと少し。
胸がものすごくドキドキしている。アンヌも見たことない顔を、オレが見る――。
突然、伸ばした手が捕まれた。
「うわぁっ!」
驚いた拍子に尻餅をつく。
ヤツがすっと起き上がり、イスに座る。あっという間の早さだった。
「何か用かい、小僧」
ヤツが言う。どうしよう。怖い。
「んとね、リヒターの顔をみたいの」
サニーの声。全然怖がっていない。
「悪いが、見せらんねえよ」
「やっぱりワルいひとなの?」能天気サニーが訊く。
「イイ人ではねえけど、ワルくもねえよ」
リヒターはそう言って、サニーの頭をぐしゃぐしゃっとかき回した。乱暴だけどイヤな感じじゃない。サニーもデヘヘと喜んでいる。
「なんでリヒターじゃないリヒターが来たの?」
サニーはいきなり、キケンな質問をした。
「俺じゃない俺? なんのことだ?」
だけどリヒターは分かってないようだ。オレはツバを飲み込み、腹をくくって立ち上がった。
「アンヌがバカンスに行ってたときだ。リヒターそっくりの格好をしてたけど、あんたじゃなかった」
「そうだよ! サニーが気づいたの!」
「オレはそんときは分からなかったけど、この前、あんたが大工仕事をしてたときに違うって分かった。バカンスのときのリヒターは、もっとなよってしてた!」
ぶふっとリヒターが吹き出した。問い詰めてるのに!
「ワルいワルい。『なよっ』てのがおかしかった。だがそりゃ勘違いだ。あん時も俺だよ」
「ウソついたらダメってロレンツォさまが言ってるよ!」サニーがぽすんとリヒターの膝をたたく。
「ウソじゃねえよ」
「じゃあ、アンヌとみんなで話し合おう。アンタは怪しすぎる。アンヌに何かあってからじゃ困るんだ。後ろ暗いとこがないって言うなら、何で顔を見せらんないのか、きちんと説明してよ」
サニーがヤツの手をとった。
「リヒターじゃないリヒターは、やわらかい手だったよ。手袋してたけど、ぷにぷにしてた」
「え。手袋してたっけ?」
「うん。おぼえてるよ。サニー、おりこうだもん」
アンヌがいないときのコイツは、パンを神父様に渡すとすぐに帰っていた。手袋をしてたかどうかは覚えてない。夏なのにコイツはいつも長袖を着ている。半袖ならきっと気づいたのに。悔しい。
だけどまだ間に合う。アンヌはオレが守らなきゃ。
「言い逃れはできないぞ、リヒター。アンヌに話すから」
サニーの手を引っ張る。
「待てっ!」ヤツの焦った声。「分かったよ。確かに代理を頼んだときもあった。でも後ろ暗くはねえよ」
「ウソつけ! わざわざ自分そっくりのヤツを寄越して、おかしいだろ! 何を企んでるんだ。まさかアンヌをいつか誘拐しようとしてるんじゃないだろうな!」
「誘拐するなら、とっくにしてるって」
「ちゃんと説明しろよ! しないのなら、サニー、アンヌと神父様を」
「待て待て待て」
あい、とうなずいたサニーの肩をリヒターがつかむ。ドキリとしたけど、殴ったりするのではなかった。ヤツはサニーを抱え上げると、自分のとなりに座らせた。
「……アンヌには、バカンス中に俺が都にいたと思っていてもらいたいんだよ。知られたら、俺は護衛をできなくなる」
リヒターの声はまじめだった。
「なんで?」
「言えねえ。お前たちを信用してねえんじゃなくて、それが護衛を続ける条件だからだ」
なんだかよく分からない話だ。ひとつだけ分かるのは――
「リヒターはアンヌの護衛をやめたくないってこと?」
「ああ」
返事の声は、ものすごく真剣だった。
「なんで? 悪巧みのための護衛?」
「だから違うって」
「なら、お金をのためか?」
「……」
リヒターは答えなかった。その代わりに
「もういいだろ。俺は何も企んじゃいねえよ。話せねえことはあるけど、アンヌを困らせることじゃねえから。ほら、行った行った」と言った。
「わかった!」サニーが嬉しそうに叫んだ。「リヒターもアンヌさまに会いたいんだ」
リヒターはまた何も答えないで、サニーの頭をぐしゃぐしゃした。
そうなのか? この怪しくてワルいうわさのある裏町の男が、アンヌに会いたい? さっきの返事は真剣だったけど。
「やっぱり信用しきれない。どうすればいいんだ」
嵐で壊れた孤児院を一生懸命直してくれたりと、良いとこもある。だけど護衛ができなくなる条件とかは、意味がよく分からない。
「そりゃそうだよな」とリヒター。
「だってアンヌの父親は嫌われ者の宰相だ。裏町のアンタの目当てが宰相のほうって可能性もあるだろ?」
心臓がドキドキうるさい。こんなことを言って大丈夫だろうか。企みを見破られた消してしまえ、なんてことにならないだろうか。
「ジュールは賢いんだな。イイ着眼点だ」
なんと、リヒターに褒められた。オレの名前も知ってるし。教えたおぼえはないぞ。
「約束をしよう。俺は最後までアンヌを守る。絶対に危険な目に遭わせないと神に誓う。だからお前たちは、俺のことを彼女に話さないでくれ」
ものすごく真剣な声。
「サニー、話さないよ」
能天気なサニー。彼女のことはほうっておいて、
「『最後』ってなんだよ」
と訊く。イヤな響きの言葉だ。
「アンヌは、王子と……結婚すんだ。そうしたら今みたいにお忍び町歩きはできなくなる。だからここに来る『最後』だ」
アンヌがそのうち結婚するのは知っている。ここに来られなくなることも。あまり考えたくないけど、近い未来のはずだ。
「そのときまでアンヌを守る?」
「守る」
「絶対に?」
「絶対に、だ。俺がアンヌの隣にいられるのは、護衛しているときだけなんだ」
なんで、とサニー。リヒターはそっちを見た。
「……俺は王子との結婚に割り込めねえからな」
リヒターはまたオレを見た。
「だから最後まで護衛としてあいつを守る。頼むから、邪魔しないでくれ」
それってつまり。
「リヒターはアンヌを好きなのか?」
ヤツはまた答えなかった。『そうだ』とも『そうじゃない』とも。
長いだんまりのあとに、リヒターは
「……アンヌには言わないでくれ。知られたら、会えなくなっちまう」
と言った。すごくつらそうな声だった。
「分かった。信用はちょっと置いといて、何も言わないとは約束する。だから、そっちもちゃんと最後まで守ってくれよ」
ああ、とリヒター。
「サニーもだぞ。今日の話は誰にも話しちゃダメだ」
「あい!」
ニコニコ顔のサニーが本当に分かっているとは思えないから、あとでしっかり言い聞かせよう。
リヒターが怪しい男であることは変わらない。でもアンヌを守るという気持ちだけは信用してもよさそうに思う。
「ありがとよ。サニー、ほら遊びに行け。早くしねえとアンヌが帰る時間になっちまうぞ」
「やだっ」
サニーが駆けて行く。彼女が教会を出るとリヒターはオレを見た。
「約束の証、な。お前は秘密を守れそうだから」
ヤツはそう言って長い前髪をほんの少し、指で動かした。できたわずかなスキマから、緑色の瞳が見えた。すぐに前髪で隠される。
「こんだけだ。絶対に他言すんなよ」
「……しない。男と男の約束だ」
リヒターが立ち上がり、右手を差し出した。握りしめると、ゴツゴツとして固かった。
「じゃあ、もうひと眠りさせてくれ」
「うん」
オレは手を離して、素直に出口に向かう。
ヤツの目は、思ってたのと全然違った。力強くてキレイだった。悪人って感じじゃない。
それにオレと対等に握手してくれた。
本当にワルいヤツじゃないのかもしれない。
あいつの全部まるごとを信用してやってもいいかな。
外に出る前に振り返ると、ヤツの姿は見えなかった。もう寝たらしい。教会は昼寝する場所じゃないのに。
リヒターは怪しいうえに、ヘンな大人だ。
――だけどアンヌを好きなのか。
それが叶わない恋であることは、オレだって分かる。それでも会えるギリギリまでとなりにいたいなんて。案外、健気だ。
オレは足音を立てないように、そっと教会から出ていった。




