番外編・堅物ラルフの恋
元修道騎士ラルフのお話です。
「ほんと、可愛らしかった」
お嬢さんが何度目になるか分からないセリフを口にする。
先々週にマルコ……ではなかった、ブルーノとニンナの間に生まれた双子を、祝いに行った帰り道。
ちなみに祝いに行ったのは、お嬢さんだ。俺は生まれた日に済ました。もちろん抱っこもした。
ずっと俺とルカは、どちらが先にブルーノの子を抱っこするかで揉めていたが、双子だったので同時にできた。男と女、ひとりずつ。
一度にふたりの赤ん坊の世話は大変そうだが、ブルーノの年を考えると次はないかもしれないから丁度良かったのだろう。
お嬢さん――警備隊長のひとり娘、ジゼラ嬢はよく警備隊本部に顔を出す。緊急の事件や残業で帰宅できなくなった父親に食事を届けたり、母親の言伝てを伝えに来たり、と孝行娘なのだ。
その関係で副隊長であるブルーノとも親しく、今回の祝いとなったわけだ。
そしていつもどおり、何故か俺が彼女の付き添いをやらされている。
……いや、理由は分かっているのだ。
彼女は俺に好意を持っている。十八歳も年上の俺に!
どういう訳か隊長も細君も娘を応援している。俺なら浮気の心配がないからだそうだ。
だがみな勘違いをしている。彼女はファザコンなのだ。俺に父親みを感じているだけにすぎない。この年で独身は珍しいから俺が選ばれただけだ。
そうとでも考えなければおかしいだろう。
父親ほどに年が離れ、なんの面白みもない男に好意を持つなんて。
「ラルフ様、お茶でも飲んで行きませんか。母が美味しいお店があると勧めてくれました」
お嬢さんがキラキラした瞳を向ける。
「いや、今日は屋敷で手伝いを頼まれています」
やんわりと断る。嘘じゃない。誘われることを見越して、ルカの従者ロンサムに仕事をもらった。ロンサムは白い目をして、
「騎士らしくない卑劣さだ」
と断じたけれど。だがどうしろと言うのだ。俺からみたらお嬢さんなんて子供だ。たとえ女が苦手でなかったとしても、範疇外の年齢ではないか。
お嬢さんが頬をふくらませている。
可愛いが、そういうところが幼さを感じさせる。
「ブルーノ様にはお子が生まれ、公爵様はご婚約。私はいつラルフ様の恋人になれるのですか」
「子供とそのような関係になるつもりはないと、何度も申し上げている」
「ブルーノ様とニンナ様は二十五歳差!」
「だけどニンナが結婚したのは二十歳」
お嬢さんの頬がますます膨らむ。そして。
「早くラルフ様のお子が欲しいわ!!」
と叫んだ。
「お嬢さん! こんな往来で何を言うのですか」
「私も女の子と男の子、最低でもひとりずつ欲しいですっ! ラルフ様はいかがですか?」
通り過ぎて行く人々がジロジロ見ている。
『え、親子じゃないの?』なんて声が聞こえる。
「お嬢さん、悪ふざけが過ぎます。そんなお子様の相手はできませんね」
みるまにお嬢さんの目に涙が浮かんだ。
だめだ、怯むな。いつもいつも、ここで退くからいけないのだ。
「俺はロリコンではありませんから。大人の女性にしか興味はありません」
端から見て親子に思われる年の差なんて。ブルーノとニンナのように日常を積み重ねた先の恋ならいいが、俺と彼女は違う。精神が未発達な少女の、一時の迷いだ。
お嬢さんは涙を目にいっぱい溜めていたが、何も言わなかった。
「分かってくださったなら、帰りましょう」
隊長宅に着くまで、彼女は一言も喋らなかった。
◇◇
翌日警備隊本部で隊長やブルーノたちと共に書類仕事をしていると、お嬢さんが隊員たちに連行されて来た。
不満げな表情のお嬢さん。困惑顔の隊員。驚きで固まる隊長。
「報告しますっ」と隊員のひとりが気まずげに、だけど姿勢正しく声を張る。「役所からの通報で駆けつけたところ、お嬢さんが騒ぎを起こしておりましたっ」
「ど、どういうことだ、ジゼラ!」
だけどお嬢さんは不満げな顔でへの字口のままだ。
「それが」と隊員は普段の口調になった。「生まれ年を変えてくれと頼みこんでいたそうで」
生まれ年?
「無理なことだと役人がどんなに説明しても引き下がらないものだから、通報したそうです」
「どういうことだジゼラ!」と再び隊長。
俺の背中を冷たい汗が流れる。
「……だって」また涙目になるお嬢さん。「大人になりたいの」
「はあ?」と目を剥く隊長。
「十六歳じゃ子供だからダメだというのだもの」
ゆっくりと皆の視線が俺に集まる。
「言いたいことは分からないでもない」と隊長の副官が呟く。
「唐変木」とブルーノ。
隊長は何も言わずに、悲しげな顔をした。
「ごめんなさい」うなだれるお嬢さん。「こんなことをしているから、子供なのよね。分かってる。でもどうしていいか、分からないのだもの」
「……こればかりはな」隊長が吐息する。「お前をもっと早くに生まれさせてやれずに、すまん」
ああ。皆の視線が突き刺さる。
「許してやってくれ。ラルフは頭が固いんだ。年の差が大きいことは不道徳だと考える。真面目で融通のきかない修道騎士だったからな」
ブルーノが一応助け船を出してくれたが、お嬢さんはますますうなだれただけだった。
「被害届けは?」
隊長の問いかけに、隊員がありませんと答える。ほっとする。
「では厳重注意だ。所定の手続きを踏め」
うなだれたままのお嬢さんは、全く顔を上げない。俺を見ようとしない。こんなことは初めてだ。
良心がズクズク痛む。
「せめて十八歳」
そんな言葉が口をついて出る。部屋を出て行こうとしたお嬢さんが足を止めて俺を見た。
十八歳はルカと婚約したアンヌローザ殿の年齢だ。そのぐらいなら子供でないと言える気がする。
「あなたが十八歳になったときにまだ私に好意があるというのなら、お付き合いしましょう。それまではあなたは私にとって上司の子供に過ぎません」
とたんにお嬢さんの顔が輝く。
「キスはしてもいい?」
「話を聞いてましたか!?」
「手繋ぎは?」
「しません!」
「残念だけど分かりました。ラルフ様に嫌われたくないもの。十八歳までおとなしくしています」
ほっと息をつく。
元気を出してくれたようだ。お嬢さんの沈んでいる姿なんて、見たくない。
それに十八までには、お嬢さんの目は覚めるだろう。俺がただの中年だと気付き、彼女に相応しい若い男と恋に落ちるはずだ。
◇◇
ちらりと通りに目をやる。家路を急ぐ者が多い夕暮れ。見知った顔はないと確認すると、警備隊本部に足を踏み入れた。今日は夜勤だ。
隊員たちと挨拶を交わしながら、副隊長室に向かう。
中には誰もいない。
入って机の上の書類に目を通す。
だが頭に入って来ない。
もう一度、読み直す。
……今日はお嬢さんの十八歳の誕生日だ。まだ、彼女には会っていない。
十七の誕生日のときは、アンヌローザ殿にアドバイスをもらい、可愛い(とお墨付きの、俺にはよく分からない)髪飾りを贈った。
今回はどうしてよいか分からず、何も用意していない。
二年近く前に交わした約束をお嬢さんが覚えている様子はない。あの日以来、彼女は俺に好意があるような言動を一切していないのだ。隊長の娘と隊員としてならば親しくしていたけれど、それ以上ではなかった。
だから父親の部下の顔をして、普通にプレゼントを贈ればいいのだろう。
多分それが正解だ。
だけど『十八歳』と決めた俺がプレゼントを持ってお嬢さんの元へ行くのは、彼女の答えを期待しているように見えるのではないだろうか。
そう不安になり、何もしないことを選んだ。
開け放した扉のそばに人の気配。
さっと顔を上げる。
「なんだラルフ、立ったままで」そう言ったのはブルーノだった。「俺は日暮まで鍛練場に行っている。お前は?」
「……あとで行く」
「どうかしたか? 不景気な顔をして」
「何でもない」
「そうか? それならいいが」
ブルーノの姿が消え、三度書類に目を落とす。
もう、普通の市民は家に帰る時間だ。
お嬢さんの十八歳の誕生日。それが終わる。
いや、誕生日と約束をした訳ではない。
いや、お嬢さんは目を覚ましたのだ。俺の目論見通りに、ラルフはただの中年でしかない、恋なんて気のせいだったと分かったのだ、そうだ、良かったではないか。
胸がキリキリと痛むのは、きっと食べ物に当たったのだ。そのうち吐いて、楽になるだろう。
廊下を駆ける足音がする。隊員にしては軽いから、メッセンジャーボーイかもしれない。
見ないぞ。顔は上げない。
目で確認しなければ、がっかりすることはない。
だが足音はこの部屋に入った。
「ラルフ様!」
はっと顔を上げる。
息を切らしてそこに立っているのは、お嬢さんだった。
「仕事中にごめんなさい! 業者が受け取り日時を間違えていて」
受け取り日時? ぎゅっと手を握りしめる。お嬢さんは何かの連絡に来たらしい。
「何の受け取りですか? 隊長からは聞いてませんが」
「ラルフ様」
お嬢さんは俺のそばまで来ると、手を差し出した。何やら小箱を持っている。
「何ですか、これ?」
「私、今日で十八歳になったわ」
心臓が大きく跳ね上がる。
お嬢さんは小箱の蓋を開けた。指輪が入っている。
「ラルフ様が大好きです! もう子供ではないわ! 私と結婚して下さい!」
初めて会ったときよりずっと大人びたお嬢さんが、変わらないキラキラした目で俺を見ている。
だけれどその顔は次第に翳っていった。
「まさか約束を覚えていないの? 私、がんばっていい子にしていたのよ? ラルフ様を素敵な大人の女性にとられないかって不安と戦いながら、がんばったのよ?」
何故だか分からないけれど、泣きそうな気分だ。
「……そうか」
ようやく分かった。俺はどうしようもない臆病者だったのだ。彼女がいつか俺をただの中年男だと悟り見捨てるのではないか、親と変わらぬ年齢の恋人など気持ち悪いと気づくのではないか。そんな不安があったから俺は、彼女はまだ幼いからなんて理由をつけて己を守っていたのだ。
それぐらいに俺はジゼラに惚れていたのだ。
彼女が俺をまだ好きでいてくれたことが、泣き出しそうなぐらいに嬉しい。
「俺も怖かった」
「ラルフ様に怖いものなんてあるの?」
「お嬢さんにフラれることです。怖くて誕生日の祝いに行く勇気すら出なかった」
「ラルフ様!」
お嬢さんが俺の胸に飛び込む。
「今すぐ教会に行きましょう! ラルフ様の気が変わらないうちに。あとになって、やっぱりあれは気の迷いだったなんて言われたら、私、心臓が潰れてしまいます」
「言いませんよ。お嬢さん。俺はくたびれた中年男だけど、もらってくれますか?」
「もちろんです。うちにお持ち帰りしていいですか? 父と母が心配して待っています」
「いや、夜勤ですよ」
「そうですよね」
シュンとするお嬢さん。恐る恐るその背中に手をまわす。
女の子というものは、柔らかいものらしい。
「あぁ」
と廊下から聞き覚えのある声がした。そうだ扉は開け放してある。目をやるが人影はない。だが次の瞬間、
「ラルフ副官、体調悪そうなんで帰宅させまぁす!」
そんな大声が響き渡る。恐らく窓から外の鍛練場に向かって叫んだのだ。
「分かった」と遠くからブルーノの声。「くれぐれも順番守れって言っとけ!」
「あんたがそれを言うか!」
どっと笑い声が上がる。
ひょい、と廊下からルカが顔を出した。
「てことでお嬢さん、ラルフを持ち帰って大丈夫だから。二年も待たせた詫びに、たんとワガママを聞いてもらうといい」
んじゃ、と去るルカ。
「ワガママ……」お嬢さんが熱を孕んだ目で俺を見る。「ひとつあるの。いいですか?」
「何でしょう?」
どうしよう、口から心臓が飛び出そうだ。
「帰り道、手を繋いで歩いてくれますか? ずっと憧れていて」
「……」
手繋ぎ。
そうか。
なるほど。
まずはそこから。当然だな。
「分かった。手繋ぎですね」
「良かった! ラルフ様は親子に見えることを気にしているようだから、絶対に嫌がると思っていたのです。嬉しい!」
晴れやかな笑顔でそう言ったお嬢さんは、伸び上がると俺の頬にチュッとキスをした。
「あと、早く指輪をはめて欲しいです。それから『好き』って言ってもらいたいし、ラルフ様からキスもして欲しい。結婚式はなる早で……」
「ちょ、ちょっと待って。忘れないようにメモを取ります」
「大丈夫、何度でもいいますから」
「ならば指輪をもらっていいですか」
お嬢さんは満面の笑みを浮かべると俺の手を取り、金色の指輪をはめた。
「すごいな、ぴったりだ」
「ちゃんと調べました」
「どうやって?」
「種明かしはまた今度。早く帰りましょう。ラルフ様と手を繋いで歩きたいのです」
分かったとうなずいて、勇気を振り絞り可愛らしい恋人にキスをした。
「お嬢さん、勘違いしないで下さいよ。これは俺のワガママですからね」
指輪がぴったりだった理由。
お嬢さんに頼まれたクラウスが、オーダーメイドの手袋を仕立てるからと言ってラルフの手・指を採寸しておいた。




