番外編・ある日、エヴァンス邸のサロンにて
元・残念イケメンのジョナサンの話です。
僕がワイズナリー侯爵からエヴァンス伯爵に変わって一年が経とうとしている。そして来月には婚礼だ。ルクレツィアと。
夢のようだ。
父の書斎で、二十年前の三殿下死亡事故に関する報告書を発見したときは、その意味することに震えた。
それがどうだ。母は出家せざるを得なかったけれど、それ以外はなんと上手く進んでいることか。
先ほど執事長が卓上に置いていった、婚礼参列予定者の名簿を手にする。
一覧に点在する友人たちの名前。
もし僕の結婚が二年前だったら、絶対に招待することのなかった奴らだ。
素直に、ありがたいなと思う。
「何をにやついている」
その声に目を上げると、フィリップがこちらにやって来るところだった。
「見るか? 結婚式の出席者名簿だ」
差し出すと弟は受け取って、立ったまま目を通した。
「そうそうたるメンバーだ。とても大罪を犯した男の息子の結婚式だとは思えない」
フィリップは名簿を返すと向かいに座った。いつもどおり不機嫌な表情だ。
「本当だ。感謝しかない」
弟が険しい目で僕を見ている。昔からこいつは僕が嫌いだ。自分より無能なのに長男というだけで家督を継ぐなんて卑怯だ、と考えているからだ。
確かにそうだと僕も思っていた時期もあったが、今は僕が跡継ぎで良かったのだと自信を持って言える。
「兄さんのおかげだ」
フィリップが放った言葉に耳を疑った。僕たちは仲の悪い兄弟だった。何しろ弟が兄を見下げていたのだ。仲良くできるはずがない。
父が殺された事件や、彼とクラウディア殿下の関係、ワイズナリー家断絶などで、距離は縮まったけど、それでもフィリップが僕を褒めることなどなかった。
「もし報告書を見つけたのが俺だったら、即刻処分していた。西翼の王子と親しくするなんて阿呆のすることだと思っていたし、俺が長男だったら今頃、みんな国外追放されて野たれ死んでいたな」
僕だってあの報告書をどうするかは、かなり悩んだ。思い詰めて、悪夢を見るぐらいに。たまたまタイミング良く、所持を申し出られただけだ。
「……ずっと兄さんを馬鹿にしていた」
「知ってるさ」
「悪かった」
思わず目を見張った。
「頭の良さだけで、自分は全能だと思い込んでいた」
「……どうした急に」
「いつかは謝ろうと思っていたんだ。その名簿を見て、いい機会だな、って」
「ああ、なるほど」
たかが伯爵。しかも父親は罪人。
それなのに友人である公爵、男爵、そして国王が参列してくれるのだ。おまけになぜか宰相ジュレール夫妻も。ありがたいとしか言い様がない。
そもそも王女との結婚が許されたことが、恐れ多いのだけど。
彼女は大層な美人だし性格も良いのに、根拠のない噂が元で縁談と縁遠かった。
……と、僕は思っていたのだが、事実は違ったようだ。それは国内の話にとどまるらしい。
一般的に王女は他国の王族と、政略結婚することが多い。実際、王妃が産んだ第一王女はかなり昔に遠く離れた他国に嫁いでいる。
が。それはゴリ押しした結果。
ユリウスは国際的に有名な愚王で、故に他国の王族は、縁戚関係を結びたいと望まなかったらしい。元王妃殿下が教えてくれた。
ユリウスが愚王で唯一良かったことだな!
妃殿下の話では、僕の求婚のタイミングは絶妙だったらしい。
ユリウス断罪が行われたレセプション舞踏会。あれでノイシュテルンの王家は良くなると認識された。ほどなくしてルクレツィアとクラウディア殿下に縁談がもたらされるようになった。
もし僕がノロノロしていたら、彼女との結婚は難しくなっていただろう。何しろこちらはただの伯爵だ。クラウスのように王族に連なる血統でもない。
執事長がやって来てお茶を入れ、また下がる。
「だけどよく結婚が許されたよ。正直、羨ましい。俺はどうなるか分からん」
フィリップは珍しく弱気な表情だ。
「会社は立ち上げたし、見通しは明るい。だけどどんなに頑張ったって、俺は商人にしかなれない。クラウディアを貰える身分じゃない」
「まあ、そうだな」
入れたてのお茶を口に運びながら、頷く。
フィリップとクラウディア殿下の仲は公然のものとなっているけれど、婚約はしていない。殿下は二度の結婚歴があるけれどまだ十分に若いから、先ほども言ったとおりに諸国から縁談が幾つも来ている。
「今できる事に注力するしかないが……。不安だよ」
「真面目にやっていればどうにかなるさ」
「そんな楽観視はできない」
「この一年、彼女の縁談はまとまってない。何でだと思う? 陛下は妹に幸せになって欲しいんだよ。相手がお前ってのは微妙な心持ちみたいだが、クラウディア殿下のために頑張っているのは買ってくれている」
「……そうなのか?」
「そうさ。殿下の二度の結婚は酷かったからな。挙げ句に死神なんてあだ名までつけられて」
彼女の夫たち二人ともが結婚後二年ほどで亡くなったため、そんなあだ名が付けられた。だが。
「それは相手がジジイだったからだ」
忌々しそうな表情をするフィリップ。本当に彼女を好きなのだなと、微笑ましくなる。昔の性悪フィリップとはまるで別人だ。
「だがそのあだ名が今、役立っている。縁談を断るのに、そんな不吉な姫を嫁がせるのは申し訳ないと言っているそうだ」
「へえ。それは良かった」
「お前はそんな噂、気にしないのだろう?」
カップを手にしていたフィリップは、一口飲んでから笑った。
「いや、結婚から二年で死ぬ予定だ。例え二年だけでも一緒にいたいとプロポーズしたから」
「はあ!?」
思わず身を乗り出し大きな声が出る。
「だって『俺はそんなジンクスに縛られない。二年以上生きる』なんて約束をして、万が一死んだらどうする? クラウディアが苦しむだろう? だから死ぬの前提。二年が過ぎたら、『愛の力だ』とドヤッてやるよ」
弟の顔をまじまじと見る。
「……信じられん。お前、本当にまともな男になったな。いや、いい男になった」
「クラウディアに釣り合う男になるんだよ」
「……彼女に感謝しきれないな」椅子の背にもたれる。「僕はお前が大嫌いだった。酷い扱いをした女の子にでも刺されてくたばってしまえと思っていたよ」
「え? ……え?」
フィリップがうろたえる。それはそうだ。僕はその感情を表に出さないでいた。寝耳に水だろう。
「お前は子供の頃から鼻持ちならない嫌な奴で、成長すればするほどクズまっしぐら。いずれお前の尻拭いを毎月のようにさせられて、僕の足を引っ張るだろうと思っていた。僕は切れ者じゃない、自身の能力ぐらい見極めている。野心はない。静かに平凡で楽しい人生を送りたい。そんな僕にとってお前の存在は、どう考えてもマイナス要因でしかないだろう?」
「……ごめん」
「いいさ、今のお前は自慢できる弟だ」
「ありがとう」
「念のために言っておくが」
「なんだ?」
「お前はクラウディア殿下。ルクレツィアは僕の妻だからな」
フィリップは瞬きをひとつしてから、相好を崩した。
「分かってるって。兄さんだってかなり変わったじゃないか。あんなに女の子を侍らしていたのに」
「あれがあったからこそ、ルクレツィアの素晴らしさがわかる」
「よく言うよ」
お茶を口に運ぶ。
ルクレツィアと結婚したら、ここでこうやって向かい合わせに座って過ごすのだ。彼女の好きなお茶と菓子を用意して、穏やかなひとときを堪能する。なんて幸せなことだろう。
誰かを好きになって、そして僕を好きになってもらって。そんな結婚をするなんて思ってもみなかった。
「二人で何をお話しているの?」
その声と共に妹のマーガレットがやって来た。笑みを浮かべて、ふわりと椅子に腰かける。
すかさずやって来た執事が新しいお茶を入れる。
「結婚の話」とフィリップ。
僕は名簿を彼女に渡した。
マーガレットもずいぶんと変わった。僕に似た面立ちの美少女だけれど、昔はもっとキツイ顔つきだった。そりゃ仕方ない。周囲から美少女と持て囃され甘やかされて育ったのだ。
亡き父は、美しいマーガレットは絶対に他国の王族に嫁ぐと信じていた。だから彼女が擦り傷ひとつ作らぬように、微かにも日焼けせぬように細心の注意を、小間使いたちに強いていた。
彼女はフィリップとは別の意味で、自分を全能だと思っていただろう。
それが父の件で、あっけなく終わりを告げた。彼女の周りで追従していた友人は背を背け、小間使いたちは退職届けを叩きつけて去った。
マーガレットは一時期人間不信になったけれど、そのおかげで現実を見られるようになった。
……ちょうどその時期に、クラウスが彼女のデビュタントの見届け人になり、優しくされて恋に落ちる、なんておまけがあったけど。
「……ベルナール様もいらっしゃるのね」
マーガレットが名簿を見ながら白皙の頬を薔薇色に染め、可愛らしく呟いた。
フィリップと僕は揃ってため息を吐く。
彼女のクラウスへの恋はあっさり終わった。彼がアンヌローザと婚約したあと、人目も憚らずにメロメロなのを見て、自分には全く望みがないと分かったらしい。
そこにやって来たのがベルナール。彼が弱っているマーガレットに優しくして、彼女は新しい恋に落ちた。
我が妹よ、チョロすぎる……。
問題は、ベルナールもただの八方美人だということ。マーガレットに全く興味がないのだ。
しかも。シュタルクで彼と親しかった第三王子の話では、ベルナールはかなりの年上好きらしい。以前、良い相手なんていないと話していたが、それも当然。彼が好きになるのは年上の人妻ばかり。だから何も始まらないうちに恋が終わるそうだ。
僕としては他にお勧めの奴がいるのだが。こればかりはマーガレット次第だから仕方ない。
「あの男はやめた方がいいって」とフィリップ。「ルパートと女性の好みが丸被りなんだぞ。どう考えてもお前は眼中にない」
どうやらそれは本当の話らしく、二人は変なところで意気投合して仲良くしているらしい。一方で大臣が、孫は結婚出来るだろうかと不安がっている。
「だけど人妻とは結婚できないでしょう? ジョナサン、なんとか政略結婚に持っていけないかしら?」
「どうだろうな」
苦笑がこぼれる。彼女はずいぶんと変わったけれど、ふてぶてしさは健在だ。
「やめておけって。そんな考えの女はわんさかいる。ベルナールは今、結婚相手として一番人気だぞ。キズモノのうちが選ばれる訳がない」
フィリップの言葉にマーガレットが吐息する。
「フィリップは黙っていて。いいの、ルクレツィア殿下がお義姉さまになったら、彼女に相談するんだから」
「ダメだな!」
思わず出た言葉に弟妹が目を丸くする。
「ルクレツィアは僕と過ごすのだから、マーガレットには貸せないね」
フィリップが声を出して笑う。
「……ジョナサンが仕事に行っている間はいいでしょう?」とマーガレット。
「ああ。そうか」
それは考えが至らなかった。僕が仕事に行っている間、彼女はこの屋敷で留守番をしているのか。
……疲れて帰宅したら、ルクレツィアの笑顔に出迎えられる。
うん。いい。
「気味悪い。にやついているわよ」とマーガレット。
「何を考えているか、想像がつくな」とフィリップ。「幸せなヤツ。ムカつく」
「二人とも、僕がいない間にルクレツィアをいじめるな。困らせるな」
「分かってる。クラウディアの妹なんだ、丁重にもてなすさ」
「そんなつもりは微塵もないけど、ジョナサンの基準は普通じゃなさそうだから怖いわ」
「確かに」とフィリップがうなずく。
「彼女は西翼とはいえ王女として育ったんだ。僕たちと感覚や考え方に違いがあるだろうし、女主人として屋敷を取り仕切れるようになるには時間がかかるはず。だから、頼んでいるんだ」
二人は揃って瞬きをしてから、破顔した。
「クラウディアだと思ってサポートするさ」
「頼まれはするけれど、あんまりラブラブな様子を見せつけられたら、私、拗ねちゃうから」
「なんだそれ」フィリップが吹き出す。
「だって苦しい片思いをしているのに、結婚前からこれですもの!」
「もっと可能性のある男に惚れろよ」
やいやい言い合う二人に、頬が緩む。昔の僕ら三兄弟にはなかった光景だ。
「まあ」ひとしきり議論したあと、マーガレットは再び僕に向き直った。「お義姉さまのことは好きよ。心配しないで」
「ああ。二人とも頼むよ」
カップを口に運ぶ。
正直なところ、以前当たり前のように飲んでいた最高級のお茶は、しばらく買えていない。
領地は半分になり、そこから得る収入も同じく半分になった。フィリップの会社設立、大量に辞めた使用人の退職金で昨年は出費が嵩んだ。マーガレットの結婚資金もキープしておきたい。
新しく頂いた領地には優秀な管理人がいて完璧な仕事をしてくれているが、任せきりにするわけにはいかない。そちらの勉強をしなければならないし、時たま、まとまった休みをとって様子を見に行く必要がある。僕のプライベート時間は減るし、旅の費用もかかる。
ルクレツィアはこれら全てを承知の上で、僕の元に嫁いでくれる。
弟妹たちも、今は信頼できるようになった。
こくりとお茶を飲む。
最高級のお茶ではないけれど、今の僕には十分美味しいお茶だ。
この席にルクレツィアがつけば、もっともっと美味しくなるに違いない。
「兄さん」
「なんだ、フィリップ」
「良い式になるよ」
「そうね、きっと素晴らしい式になるわ」
ちらりと参列者名簿を見る。
もし僕の結婚が父の存命中だったら、これにある名前は確実に彼の腰巾着ばかりだっただろう。そして花嫁は、外見と家柄しか取り柄のない女性だったはずだ。
「当然だ。花嫁と参列者が最高だからな」
僕はそう言って、カップを置いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
☆クラウディアとフィリップの今後☆
不吉な通り名のある姫が王族にいるのは良くないからと、クラウディアは王族から離籍させられて平民の身分になりフェルグラート家預りになる。その後めでたくフィリップと結婚。しばらくはエヴァンス邸で暮らす。
☆フィリップ☆
以前はジョナサンを『兄貴』と呼んでいたけど、成長したので『兄さん』になった。




