番外編・14歳の王女と婚約者様《後編》
私の婚約者、クリズウィッド王子は十一歳上だ。
だけど三十以上も年上の初老国王の側室になると思っていたのだから、十一歳上ぐらい気にならない。しかも彼はハンサムだ。
髪は波打つ茶色で柔らかそう。瞳は鳶色で優しげな目をしている。その目の下の泣きぼくろはセクシーな印象だけど、全体的な雰囲気や物腰は穏やかだ。
美男度で言ったら、王族を離れたという甥のほうに軍配が上がるけれど、私は彼のほうが落ち着く。
結婚相手が甥の方でなくて、幸運だ。
だから。アンヌローザ様に『今度』と言われた翌日、顔を見に来てくれた殿下にストレートに言ってみた。
「私は殿下のことを何も知りません。もう少しお話してみたいと思っているのですが、お忙しいでしょうか」
すると殿下は目を見張って、それから笑顔になった。
「忙しくはあるが時間は取れる。お誘い、とても嬉しいよ」
◇◇
それから徐々に、殿下との時間は増えていった。たくさんの話をして、庭園を散歩したりボート遊びをしたり。
彼は殿下から陛下に変わったけれど、私への態度は変わらず優しいままだった。
彼の考え方や好きなものを少しずつ知り、知ればそれだけ彼に好感を持った。
単なる駒に過ぎなかった私が、こんな良い人と結婚できるなんて幸せすぎる。
そう思っていた矢先のことだった。
陛下は週に一度、何かのレッスンを受けている。その教師はやけに色っぽい妙齢の美女だ。
一体何の授業なのか気になったけど、幾度尋ねても、陛下は笑って誤魔化すばかりだった。
それがあるとき、だいぶノイシュテルン語を理解できるようになった侍女が耳に挟んで来たのだ。あの女性は、私が来た頃に廃業した元高級娼婦だ、と。業界内での人気はトップ、たくさんの紳士が彼女の復帰を望んでいるらしい。
ここから導き出される答えは?
彼女は陛下の愛人。
週に一度の逢い引きを楽しんでいる。
その事実は思った以上にショックだった。
陛下があまりに優しいから、私は当初の覚悟を忘れて甘い夢を見ていたらしい。彼は大人だ。棒切れのような小娘より、肉感的なご婦人との時間の方が楽しいに決まっている。
どんなときも毅然としていると決めてこの国にやって来たのに、その事実を知った後の私は、陛下の前で普段通りでいられなかった。
せっかく庭園の散歩に出たのに私は挙動不審で、彼はお困りになり、
「一体どうしたんだ?」
と三度も尋ねた。最近かなりくだけた口調で話すようになった陛下。それだけ距離が縮まったと思っていた。
質問の度に何でもないと繰り返す私に、彼はついにため息をついて悲しそうな顔をした。
「私に愛想を尽かしたのか? それとも好きな男ができたのか?」
「まさか!」
驚きのあまりそれしか言えないでいると、彼は無理をしなくていいんだ、と言った。
「せめて誰かを教えてほしい。ベルナール・ジュレールか?」
「……誰ですか? それは?」
「違うのか。ではクラウスか」
それはあの美男の甥、というか陛下の従弟のことだろうか?
「彼はいい男だからな」
私が困惑していると、陛下は勝手に納得した。
「それはフェルグラート公爵という方のことでしょうか? でしたら私はあの方は苦手です」
「そうなのか!? あれだけのいい男だぞ!」
心底驚いている様子の陛下。むしろ私がびっくりだ。
「冷淡そうだしキラキラしてるしで怖いです」
「冷淡……。まあ、君には近づけなかったから、わからないか」
陛下の呟きの方が意味が分からない。
「となると。ジョナサンか? それともウェルナーか?」
「陛下。私は陛下以外の男の方はろくに話したことがありません。その方々が誰なのかも分かりません」
そうなのだ。陛下とそのご姉妹、友人のご令嬢たちとは仲良くしているのだが、その他の人、特に男性は挨拶を交わすぐらいしか交流がない。
陛下はなぜか顔を赤らめた。
「確かにそうだな。失礼した」
「好きな男性などおりません」
少しだけ不満を口調に乗せてしまった。
「そうか。では私に愛想を尽かしたか」
「どうしてそうなるのですか? 私は陛下を尊敬しております。長く敵対していた異教徒の私を邪険にするどころか、もてなしてくれている。なんて寛大な方なのかと感激こそすれ、愛想を尽かすなどあり得ません!」
「そうか」
彼はうなずくと吐息して、近くの階段に腰かけた。促されて私も隣に座る。
「最初に会ったとき、クラウスが王族から離籍した話をしたが覚えているか?」
「はい。暗殺されかかったとか」
「幾度となく、な。彼は難を逃れたが、大事な人たちが代わりに殺された。犯人は私の父だった」
陛下の顔を見る。私を見返す彼は困ったような表情だった。
「私は何も知らなかったが彼はそれを知っていた。それでも私たちは気があって親友といえる仲になった。彼は『赦す』ことを教えてくれたんだよ。そのことがなければ、君を平静な気持ちで迎え入れられなかったと思う」
「そうなのですね」
「それに君自身によるところも大きい。君ならば、たとえ元敵で元異教徒だろうとも仲良くやれそうだ」
告げられた言葉に嬉しくなる。
「私もそう思っています」
「そうか。嬉しいな。それならば今日は一体どうしたんだ?」
私はこの人に、嫌われたくない。呆れられたり面倒に思われたくない。
そう強く望んでいることに、今更ながら気がついた。
だけれど、だからこそ誤魔化し続けてはいけないだろう。
「陛下には素晴らしい愛人様がいらっしゃるそうですね。当然のことなのですが、今までそのような素振りが見られなかったので、少しだけ動揺してしまいました。申し訳ありません」
すると彼は明らかに困惑の表情を浮かべた。
「私に愛人などいない」
「ですが陛下が受けているレッスンの教師がそうなのでしょう?」
「アイーシャか? 彼女はただの教師だ」
「でも……それなら、一体何の授業を受けているのですか?」
『元娼婦に』という言葉だけは辛うじて飲み込む。
陛下はばつが悪そうに顔を背けた。
そのまましばらく黙っていたが、やがて大きく嘆息した。
「彼女は学校を開いている」
「学校? 房術のですか?」
「ぼっ!?」陛下は驚いた衝撃で、私を見た。「違う、彼女が教えているのは……端的に言うと異性へのモテ方だ!」
そう言い切ると、殿下は再び嘆息した。
「……モテ方?」
「そう。白状するが、私は君に尊敬してもらえるような男ではない。どうにも女性への接し方が悪い」
「全くそんなことはありません!」
思わず意気込むと、陛下は苦笑した。
「いや、本当にダメだ。友人としてなら上手く行くのだが。実は前の婚約者――」
「アンヌローザ様?」
「そう。彼女とも私が空回りして困惑させてばかりだった」
ふっと。その時の陛下の表情でピンと来た。彼はアンヌローザ様がお好きなのだ、と。胸にじくじくとした痛みが広がる。
「婚約を解消して、ようやく以前のような友人に戻れたがな」
「何がそんなに上手くいかなかったのですか? 陛下はお優しくて気遣い上手で、悪いところなどありません」
「買いかぶりだ」
彼はまたため息をついたけれど、微かに笑っていて、だけどそれは自嘲には見えなかった。
「今ならわかるが、私は傲慢なのに臆病で自分に自信がなかった。だから私は彼女に他の男を近づけたくなくて、ダンスすら許さなかった。そのくせ、例えば、彼女が寒そうな格好をしていても自分の上着も貸さずに他の男が貸すのを見ていた。なかなかに駄目だろう?」
「……なぜ貸さなかったのですか?」
「そういう頭がなかった。上着は侍従が着せてくれるものだと思っていたからな」
「それならば仕方ないのではありませんか?」
「傲慢だし、矛盾している」
うーんと首を捻った。
「私はまだこちらの文化をよく理解してませんので、それが傲慢な態度なのかは分かりません。ですが矛盾している気はします」
そう答えると彼は、だろう?と笑った。
「どう考えても、さっと自分の上着を脱いで肩にかけてあげる方が格好いい」
「陛下はそのままで十分格好いいので問題ありません」
「買いかぶりだと言っているだろう? 私は他にもたくさんやらかしているんだ」
「どんなことをですか?」
アンヌローザ様の顔を思い浮かべながら尋ねた。
「……今更見栄を張っても仕方ないな」と陛下は苦笑した。「一番酷かったことは、彼女を頭ごなしに怒ったことだ」
「アンヌローザ様を?」
うなずく陛下。この穏やかな方がそんなことをするとは思えないのに。
「男と二人で部屋から出て来るのを見てカッとした。理由も聞かず、二人に怒鳴り散らした」
「陛下がですか!?」
「そうだ」
「……だけどそれはアンヌローザ様にも落ち度があるのではないでしょうか」
「そうだな。だが、だからといって私が感情に任せて怒り狂うのは、礼儀にのっとってない。多分、何かしらの理由があったのだ。しかもその男は元騎士で国の為に何十年と戦に身を投じていたし、彼女の命の恩人だ。そんな相手にする態度ではなかった。酷い振る舞いだろう?」
きっと陛下は、それだけアンヌローザ様をお好きだったのだ。
「……そんなに嫉妬をしてもらえるなんて、羨ましいことです」
「羨ましい?」
「私の国では男性は妻を七人まで持てるのです。王公貴族の場合、みな政略結婚です。気に入っていただけなかったら夜のお越しはなく、他の妻に嘲笑われるだけ」
「なかなかに厳しいな」
「はい。ですから嫉妬して貰えるなんて、夢のように素敵です」
夢のように素敵、と陛下は繰り返してから笑った。
「安心してくれ。この国は一夫一妻制だし、私は君を大切にする。その為にアイーシャのレッスンを受けている。クラウディアが心配してくれてな。私はきっと同じ過ちを繰り返すから、君に厭われないよう、学んだほうがいいと」
「だけど嫉妬してもらえたら嬉しいです」
「……私はとても狭量で卑怯なんだ」
「陛下は完璧なのだと思っていました。だからちょっと残念なところがあってほっとしてます。私がこの国の完璧な淑女になるにはまだ時間がかかりますもの」
「……それなら二人で少しずつ完璧を目指そうか」
「はい!」
『二人で』という言葉を心の中で繰り返す。すごく嬉しい。
「実は来週、身内のパーティーがある。君を連れて来るよう言われているのだが……私の婚約者として参加したいか?」
「勿論です! 私がご迷惑にならないのならば」
「……その。参加するのは、いい男ばかりだ。私の粗が目立つかもしれない」
「問題ありません。もう陛下の残念具合は理解しましたから」
そうか、と陛下が笑う。目尻が下がり優しい顔だ。どうしてこんな素敵な陛下とアンヌローザ様が上手くいかなかったのか不思議だ。とてもお似合いなのに。
そう考えると、また胸がじくじくと痛んだ。
「何のパーティーなのですか?」
痛みを無視して尋ねる。
「お祝いだ。来週、アンヌローザとクラウスが婚約をする」
また胸が痛んだ。
陛下はそれで良いのだろうか。
「参加するのはクラウディア、ルクレツィア、シンシアとそれぞれのパートナーだ。皆、恋愛して結ばれている。そうでないのは私たちだけだ。君は羨ましくなるに違いない」
「まあ」
ということは、アンヌローザ様は恋愛をして陛下の従弟と婚約に至ったということだ。お辛くないのだろうか……。
「陛下。私たちも恋愛しましょう」
「は?」
陛下が素頓狂な声を出した。
「誰にも負けない恋愛をするのです!」
「君と私で?」
「陛下と私で。私は陛下に恋してもらいたいです」
するりと出た言葉で、私は彼を異性として好きなのだと気がついた。良い結婚相手だからじゃない。
「私は十一も年上だ。まだ十四歳の君がこんな男に好かれたら気持ち悪くないか?」
「今は十四でもじきに二十五になります!」
「そうしたら私は三十六だ」
「いつまで経っても陛下には追い付けませんが、その頃にはきっと、ないすばでぃで色っぽい女性になっています。いいえ、必ずなってみせます! アイーシャ様よりも、アンヌローザ様よりも!」
陛下がぷっと吹き出した。
「私は女性を体型で選ばない。だけど楽しみにしておくよ」
それから優しい目で、
「となると、私は君に恋してもらえるのか?」
と尋ねた。
「はい」
もうしています、という言葉は飲み込んだ。陛下は私をまだ子供だと思っている。好きですと伝えても、まだ十四歳の子供だからとかわされるに違いない。
「私、絶対に陛下に恋しますから、陛下も私に恋して下さいね」
「よし。時間はたっぷりある。のんびり恋愛をするとしようか」
「はい!」
喜んで返事をして。
「陛下の婚約者になることができてとても幸せです」
そう伝えると陛下は満面の笑みを浮かべた。
「私も。君のような素敵な婚約者に巡り逢えて果報者だ」
どちらからともなく手を繋いで。
再び庭園の散歩を始めた。
きっと私たちは誰もが羨むおしどり夫婦になる。
そんな予感がした。




