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番外編・怯える王子

第二王子クリズウィッドの話です。


本編のレセプション舞踏会から2ヶ月が経った頃になります。


 会議が終わり、雑談が始まる。

 ちらりと私と同じ新参者、警備隊副隊長のブルーノ・ランツを見遣る。彼はまるでずっと昔からのメンバーかのように、この場に馴染んでいる。


 月に一度の軍部合同会議。近衛連隊、警備隊、そして軍隊全てのトップが集まる。これに臨席するのも、王の仕事だ。


 私は次期国王として国王代理と共に出席している。はっきり言って私は『お客様』程度の扱いだ。それに比べて、あいつはどうだ。


 ブルーノは聖リヒテン修道騎士団の元精鋭騎士だった。だけれど、それだけ。国の軍部のいずれかに所属したことはない。

 それが入隊と同時に、いきなりの副隊長就任。普通だったら反感を買う人事だ。だが実際は逆だ。各方面から強力なプッシュがあったための人事なのだ。


 特に軍隊。それは勿論ブルーノのかつての勇姿を知っているから。そして意外だったのが警備隊。ここ一年ほどの付き合いで信頼をつちかっていたようだ。


 ブルーノ・ランツという男はいかにも騎士らしい逞しい体躯にいかつい顔つきをしている。普通ならば近づきにくいタイプの人間だろう。

 だが彼は見た目に反して雰囲気が柔らかく、話しやすいらしい。警備隊は隊長から平隊員まで、酒場で一緒に飲み明かしたりと深い交流があったようだ。


 とはいえ、それと仕事は別だろう。彼の副隊長就任の案が出たとき、大丈夫なのかとクラウスに尋ねた。彼はうなずいて、

「ブルーノだ、問題ない」

 と軽々と言った。


 それはまだ夜が冷える時期のことだった。久しぶりに二人だけで酒を酌み交わしていた。


 クラウスの返答に対し、私が余程、信用していない顔をしていたのだろう。彼はブルーノから話す許可は得ていると断りをいれた上で、

「あいつはリヒテンで諜報活動もしていた。警備隊を含めて都中のことを調べ上げているし、人心掌握術も優れている」

 と打ち明けたのだった。


「人心……?」

 頷くクラウス。

「そう。どこからが無心でどこからが策なのか、俺でも分からない。尤も、あいつ自身ももう分からないらしいがな」

「……修道騎士に必要なことなのか?」

「必要だったから、だろう。前線にいるのはリヒテン修道騎士団だけじゃない。別の修道騎士団、ノイシュテルンを含めた各国の軍隊。打倒異教徒の理念は同じでも、それぞれ自軍に有利に動きたいから軋轢が生まれる。ブルーノはその点トップレベルの優秀な交渉係だ。豊富な情報と巧みな話術でリヒテンを優位に持っていける」


 クラウスは一旦酒を飲み、再び話しを始めた。


「あいつはそれだけじゃない。ま、そっちは俺を引き取る前の話だから割愛するが、そういう男だ。警備隊員として問題なくやっていける人間だし、すぐに隊員の尊敬を集めるだろう」


 ブルリと震えた。

「……案外、恐ろしい男なのか?」

 クラウスは笑った。

「恐ろしいとも。ついでに告白するが、俺は剣であいつに勝てない」

「だってお前、『死神』なのだろう?」

「対外的にはな。ブルーノは俺の剣術を完全に理解しているから通用しない。力では圧倒的に負けるし、勝ちようがないんだ」


 そう言うクラウスはどこか嬉しそうに見える表情だった。心底あの男を尊敬しているのだ。


 その時ふと、心に引っ掛かっていたことを思い出したが、怖くなったので口には出さなかった。そして未だにそのことについては触れていない。


 以前、一度だけブルーノに声を荒げたことがある。アンヌローザと二人で部屋を出てくるのを見たときだ。今となっては、どうしてあれぐらいのことで礼儀を忘れて彼女、ブルーノ、そしてクラウスに怒りをぶつけたのか不思議でならない。


 確かに未婚の彼女が男性と部屋に二人きりというのは良くないし、私は婚約者として諌めてよい立場だった。

 だが相手の言い分も聞かずに頭ごなしに怒るようなことじゃない。


 ましてやブルーノは彼女の命の恩人で、彼女がどれだけ彼に感謝をしているか知っていた。

 更にあの部屋の前にはクラウスが待機していた。

 つまりはどうしても二人で話す必要があることで、クラウスから見ても正当なことだったのだ。


 それなのに私は子供のように自分の怒りをぶちまけた。


 あの時のアンヌローザの哀しい表情は忘れられない。だが彼女には謝り、既に禍根はない(はずだ)。

 問題はブルーノだ。


 クラウスをも責めた後にブルーノの目を見て背筋が凍りついた。それは憤懣に満ち満ちていたのだ。視線だけで息苦しくなるほどだったが、彼自身を詰っていたときはそんな目をしていなかった。


 どうしてブルーノがそれほど怒ったのか、その時の私は分からなかった。

 あの件は冷静になってみると情けなく恥ずかしく、そしてブルーノが恐ろしくてうやむやのままになった。


 今ならブルーノがクラウスを守ってきたと知っており、あの怒りは、私がクラウスまで責めたせいだと分かる。

 分かるが恐ろしさは変わらないので、触れないでいる。


 いつかはクラウスに対してもブルーノに対しても無礼だったと謝らなければならないが……。


 そんな思いでブルーノを見ていると、目が合った。慇懃に会釈される。


 私は次期国王らしく鷹揚にうなずくが、内心はびくびくものだ。彼はきっと私を嫌悪している。

 クラウスは彼を父としても師としても崇敬しているが、逆に見ればブルーノはそれだけクラウスを手厚く守り育ててきたのだ。


 あの怒鳴った一件だけじゃない。

 アンヌローザがクラウスに惹かれるのが怖くてしてしまった、彼を貶めるような言動の数々。あいつの恋心を知りながら行った意地の悪い牽制の数々。それをブルーノは知っているのだ!


 絶対に私を許していないだろう。


 思わず口をついて出そうになったため息を飲み込んで、会議室を後にした。




 ◇◇



「ブルーノ?」

 とウェルナーが聞き返した。

「いい奴ですよ。彼もラルフも、クラウスのかけがえのない家族だ」

「どうかしたのか、突然そんなことを」とはジョナサン。


 会議を終えての昼食。たまたま彼らと約束していたので、ブルーノとはどんな奴なのかを、私よりはよく知っているだろうウェルナーに尋ねてみた。


 普段話題にのぼらない男に対する質問に、何かあったのかと不思議そうな二人。

「……いや、私はアンヌローザに関してはクラウスに酷いことをしたから」

「なるほど」得心顔のウェルナー。「不安になったのですね。そういう点ならば、彼はあなたを嫌いでしょうね」

「うっ!」


 ウェルナーのあまりにストレートな言葉が胸に刺さる。


「彼らはなかなかに過保護ですよ。クラウスを守るためだけに還俗している」

「クラウスを守るためだけ?」ジョナサンがおうむ返しに尋ねた。

「そう。二人は妃殿下チームじゃないから、私たちのためには一切動かなかった。チームのために動くクラウスのためになら、何でもしたようですけどね」

「そうなのか!」

「てっきり妃殿下の仲間なのかと思っていた」


 ジョナサンと顔を見合わせた。確かに思い返して見れば、妃殿下のそばに集まる顔ぶれにはいなかったかもしれない。


「むしろクラウスに夫や子供たちの面影を重ねる妃殿下から守ろうとしていた節がある」

 その言葉に頭を抱えた。

「だから私を見る目があんな風なのか!」

 いつだって私に向けられるブルーノの目は冷ややかだ。


「気にすることはない」とジョナサン。「最終的に自らアンヌローザとの婚約を解消したじゃないか」

「そうですよ。問題ありません」

「……解消してなかったら、どうなっただろうか」

 私のその一言で、沈黙が降りた。二人とも考えこんでいる。


「ま、仮定の話をしても意味はありません」

 しばらくしてウェルナーが言った。

「そうそう。だがクラウスを異教徒の姫と無理やり結婚させなくて良かったな」とジョナサン。

「ああ、それは本当に」とウェルナー。「ブルーノとラルフが怒り狂ってるから何とか阻止してくれ、とエドに頼まれましたから」


 怒り狂っていたんだ、と苦笑するジョナサン。

 こちらは笑い事ではない。冷や汗が流れた。クラウスにその結婚を無理強いしようとしたことがある。ブルーノたちはそれを知っているだろうか。


「尤もレセプションでは婚約発表が強行される前にこちらが告発を始める手筈でしたから、回避できることは二人も承知していた筈です。それでも我慢ならなかったのでしょうね」

「婚約発表?」とジョナサン。

「高官の策略を知っていたのか? そうか、ジュレールか!」

 内務大臣であるジュレールはその策略を聞かされていた筈だ。


「クラウスと姫の婚約発表をする予定があったのか?」とジョナサン。「あなたはどうするつもりだったんだ?」

 二人の視線が集まる。

「その前に、私が宣言するつもりだった。アンヌローザとの婚約を解消して新たに姫と婚約するとな」


 ジョナサンが手を伸ばしてきて、私の肩をポンポンと叩いた。

「ブルーノに話しておきますよ。きっとあなたの評価が上がる」とウェルナーが穏やかな笑みを浮かべる。


「まだ会うことがあるのか?」

「ええ。うちの子たちと遊んでくれるのですよ。子供好きなのでしょうね。クラウスもですが。おかげで長男は騎士になるなんて言い始めましたよ」

「む。そこは近衛を勧めろ」ジョナサンが顔をしかめる。「人材不足が深刻なんだ!」

「ダメダメ」苦笑するウェルナー。「私の子だぞ? 剣のセンスなんてからきしない。クラウスたちも必死に止めているぐらいだ」

「残念!」


「……やはり早めに関係改善をしておこう」

 すっかり冷めきった料理を見ながら呟くと、ウェルナーは大丈夫ですよ、と言った。

「ブルーノたちは親バカな訳じゃない。あなたはクラウスの親友だと、ちゃんと分かっています。ただ気に入らないだけで」

「……お前、わざと余計な一言を付けているだろう?」

「あなたが、どう思われているのか気にしているから」

 そう答えるウェルナーに悪意はなさそうだ。つまり誤魔化しようなく、負の感情を持たれているということか。


「気にするなと言っただろう?」とジョナサン。「あなたはこれから間違わなければいい」

 となりの元残念イケメンを見る。

「本当にお前がそんなまともな意見を言える男だとは思わなかった」

「男なんかに意見などしない。そもそもプライベートまでむさ苦しい男たちと過ごす気はなかったからな。未来の兄に言うセリフではないが」

「いっそ潔い」と、ウェルナー。

「ルクレツィアはお前のどこに惹かれたんだ?」

「それは僕も不思議だ」


 ウェルナーが声をあげて笑った。


「楽しそうだな」

 との声と共に真新しい警備隊の制服を来たクラウスがやって来た。

「お疲れ」とジョナサン。「遅いじゃないか。何か事件でもあったか?」

「ただの小競り合いだ。仲裁して解決」

「お前が仲裁に来たら黙るしかないだろう」とウェルナー。

「公爵の肩書きはいい抑止力になるな」とジョナサン。

「ブルーノがそこのところをよく分かっているから、こき使われているんだ」


 そう言うクラウスは楽しそうだ。

「ちょうど今、ブルーノの話だった」とジョナサン。「我らが次期国王は彼が怖くて仕方ないようだ」

「どうしてだ?」

 向かいに座ったクラウスが不思議そうに聞く。

「お前に対していろいろやらかしているからだろう」ジョナサンが答える。


「ああ、なるほど。ブルーノは身内に甘い。俺やラルフの敵は徹底的に叩き潰したい、って考えだ」

「やっぱり」

 ブルリと震えた。

「でも、やらない。心配するな」

「全然安心できん」


 クラウスは手にしていたグラスを置いた。

「どうしてだ? お前は彼女との婚約を解消してくれたし、即位も引き受けてくれた。ブルーノも以前はともかく、今は感謝しかないぞ」

「そうか? どうにも目が冷ややかな気がする」

「まあ、人間として好きか嫌いだったら嫌いだろうからな」

「結局、そうなるのか!」

 今度はジョナサンも声をあげて笑った。


「ブルーノは俺の最悪の時を知っているからだ。気にするな。どのみちもう、昔の話だ。だろう?」

「そう、昔の話」とジョナサン。

「いや」と否定したのはウェルナーだった。「お前たちが結婚するまでは気が抜けないと思っているようだぞ」

「それはまた……信用ないな」とジョナサンが私を見る。「そんなにあなたは酷いことをしていたのか?」


 ちらりとクラウスを見る。彼は穏やかな表情だった。

「そうでもない。お互い様だ。ただブルーノは、いや、ブルーノとラルフは俺贔屓だからな」

 ジョナサンは、ふうん、とだけ言ってグラスに手を伸ばした。

 ウェルナーも笑みを浮かべながら、グラスに口をつけている。


「奴に言っておく。お前を冷たい目で見るな、と」

「いや、次の機会に直接話す。今日は怖じ気づいてしまったが、次回こそは必ずだ。即位する前に、過ちは正しておきたい」

 私は棚ぼたで来月、国王になる。せめて父のような愚王にならないようにせねばならないし、その為には今までにおかした過誤は精算するべきだ。



「お前は良い王になるよ」

 クラウスの言葉にジョナサンとウェルナーも同意の声をあげた。

「そうだろうか。お前のほうが余程適していると思う。仕方なしの即位だぞ?」

「いや、あなたは必ず良い王になる」とウェルナー。

「必要なら僕たちがサポートする」とジョナサン。

 クラウスとウェルナーがうなずく。


「僕たちの友人であり善良なる次期国王に」

 ジョナサンがそう言ってグラスを掲げた。二人が倣う。


 そっと揺れる三つのグラス。


 そうだな、私に恐れるものはないかもしれない。助けてくれる友人たちがいるのだ。


「信頼する友人たちに」

 私はそう返してグラスを掲げた。






書く機会がなかったのですが、ラルフもブルーノ同様にルカを姑息な手口で牽制しているクリズウィッドに腹を立てています。

本編『31・1狭量』で、ラルフがアンヌローザに


王子は他の男にあなたの誕生日を祝わせたくないようだ


とチクっているのも、意趣返し☆

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