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おまけ小話42・3その晩の元修道騎士たち

報告書(ワイズナリー事件)のあとの話




☆その晩の元修道騎士たち☆

(ブルーノののお話です)


 一日の仕事を終えて部屋に戻ると、先に上がっていた仲間が早々に酒の用意をしていた。

「早いな」と笑えば

「俺は明日は休みだから」

 と返される。


 ラルフと俺は相部屋だ。フェルグラート邸の使用人は基本的に二人でひと部屋を使うらしい。

 俺たちの若い主人となった奴は、個室を用意してくれようとしたのだが固辞した。今はあくまで『従者兼護衛』。特別扱いは必要ない。

 それに長く従軍していたのだ。雑魚寝や夜営が普通の生活だった身には、毎日室内で、しかもベッドで眠れるなんて贅沢この上ない。むしろ毎日個室では淋しくなってしまうだろう。


 小さな卓につき、ラルフが注いでくれたグラスを持つ。

「今日もお疲れ」

 お互いに労いあい、酒を口に運ぶ。飲み慣れたリヒテン特製ワインだ。


 若き主人は俺たちにかなり気を遣っている。このワインはわざわざ取り寄せているし、用事さえなければ早い時間で仕事を終わりにさせてくれる。彼を守るために還俗した俺たちへの精一杯の誠意なのだろう。


 もっとも。早く上がったって、たいていは主人と三人もしくは四人で飲んでいる気もする……。


 だがそんな主人は、今夜はアレンとサシで飲むらしい。


 先週の舞踏会にシンシア殿が参加した。社交界デビューというらしい。憂鬱な事件が起こったことは置いておいて、あの翌日から彼女へのお見合いがちょこちょこ舞い込んでいるようだ。


 シンシア殿は、申し訳ないが異母兄と血が繋がっているとは思えない平凡な顔立ちだが、決して可愛くない訳じゃない。性格も良い。そりゃ見合いぐらいくるさ、と考えたけれど違うらしい。今来ているのは、彼女が社交ができるならば政略結婚したい、という思惑のものだという。


 あの兄は一応妹に縁談が来た報告はしているけれど、すべて不可と勝手に決めている。妹が幸せになれない結婚はさせないと息巻いているのだ。


 政略結婚だった母から生まれた自分が、どんな人生を辿ったかを考えてのことだ。お人好しにもほどがある。彼の不幸の元凶の一翼を担う父と義理の母から生まれた妹に、恨みをぶつけもせず幸せを願うのだから。

 もっともその境地に至るのも容易ではなかったようだ。


「アレンと何を話すのだか」

 ラルフも同じことを考えていたらしい。口の端が笑っている。

「外堀を埋めるのに必死だな」

 こちらも笑って返す。

 兄は可愛い妹のアレンへの片思いを成就させたいと、いつも画策している。


 アレンははっきりとは口にしないが、それなりにシンシア殿を愛しく思っているようだ。ならば背中を押すだけだと、若い主人は考えているらしい。


 普通貴族社会はやれ身分だとか家柄だとか政略だとかにうるさいらしいが、奴はそんなことは全く意に介さない。

 国王の甥として生まれ、その身分のせいで遭った様々な出来事が、彼をそんな思考にさせているようだ。


「アレンはまだクラウスという人間を理解できてないな」

 俺の言葉に仲間はうなずく。

「まあ、わからないでもない。このお屋敷にあの領地。こんな所に住まう主が、身分なんて気にしないなんて言ったところで、せいぜいが低爵位のことを指していると思うさ」

「シンシア殿は兄と違って生粋の貴族育ちだからな」

「……その割には気取っていないらしいがな」


 ラルフの言葉にうなずく。小間使いたちの話だと、そうらしい。

 もっとも俺たちが知るご令嬢は、アンヌローザ殿や二人の殿下ぐらいだ。彼女たちもどちらかと言えば規格外だろう。


「上手くいくといいな」とラルフ。

「いくさ」


 お互い静かに酒を口に運ぶ。現在、若き主人を取り巻く状況はあまりよろしくない。だからこそ奴は、妹が幸せになることに必死なのだ。


「ひとよりまずは自分だろうに」

 ラルフがぼそりと言う。

「まったく、歯痒い。とっちまう、というアタマがないんだからな」

「それは道徳的にいかがなものか」

 俺の言葉にラルフは真顔で抗議した。本当にお堅い。俗世間に一年も揉まれているのに、まだかっちこちだ。


「苦労してきたんだ。褒美ぐらいいいだろう」

「あんたは本当にいい加減だよな。修道騎士だったころから、緩かった」

 ため息をつくラルフ。

「お前こそ、俺に付いていたくせに、なんでそんなに固いんだ」


 ラルフがリヒテンに入ったのは九才の時で一年の修養期間ののちに俺付きの騎士見習いになった。あの時俺は二十一。年の離れた弟が出来たように思ったものだが、ラルフは父親が出来たように感じていたらしい。

 俺はまだ二十一の青年だったのに!

 あれから付かず離れずで、もう二十四年も経った。


 まさか二人して還俗して貴族の従者になる未来がやってこようとは、予想にもしていなかった。

 だがこれはこれで悪くないとは思う。



「せっかくだから俗世を楽しめ」

「楽しむために還俗した訳じゃない」

 ラルフは顔をしかめる。

 そりゃそうだが。どこまで真面目なんだ。

「だいたいあんただって楽しんでないじゃないか」

「いや、俺は楽しんでいる。ダンスレッスンだっておもしろかった」


 ラルフはげっそり顔になる。

「あんなのが必要になる日なぞ来ない」

「わからんぞ。お前は美男だ」

「あんただって!」

「俺はもう中年だからな」

「俺だって若くはない」


 その言葉にふと若かったころの彼を思い出した。彼が若き主人と同じ年の頃は、異教徒との争いが激しかった。彼も我も望んでこの道に入った。とはいえ明日の身も知れない日々は、時に逃げ出したい衝動に駆られるときもあった。


 今も決して平穏な日々ではないが、隔世の感はある。

 不思議なことにこれだけ俗世に長くいると、一般的な中年のように妻と子と共に過ごす生活も良いように思えて来る。


 ……あくまで思うだけで、それを願っているわけではないが。

 だがまだ三十代も前半のラルフは、そんな人生にシフトチェンジをしてもよいのではないだろうか。ただ……


 ふと思い出し笑いがこぼれた。

「なんだ?」とラルフ。

「いや、思い出しただけだ。王宮に行き始めたころは、ずいぶんと狙われたよな」

 その言葉に彼は顔をしかめた。


 主人同様に美男のラルフは、下働きから暇をもて余した貴族のご夫人まで、幅広く口説かれた。

 彼女たちはまったく脈がないとわかると、強硬手段に出た。酔わせて既成事実を作ってしまおうとしたのだ。


「酒が強くて助かった」


 そう、彼は(俺もだが)酒には滅法強い。今にして思えば、それだけが楽しみであり贅沢であり生き甲斐だったのだろう。

 おかげでラルフは貞操を守れた。そして完全な女嫌いになってしまったのだった。


 まったくもって、融通の聞かないお堅い奴だ。

 そういう据え膳は食い散らかしてやればいいのに、とはアレンの言だ。

 余計な苦労をさせてすまん、は表向き女好きである奴の弁。


「まあ、いろいろ経験ができて俗世もおもしろいじゃないか」

「それは否定しないがな」

 ラルフが吐息して酒をあおる。


 と、突然扉が開き、アレンがずかずかと入ってきた。ひと目で何か良くないことがあったとわかる顔だ。


 俺たちはグラスを置き傍らの剣を掴んで立ち上がった。


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