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番外編・秋祭り

最後はアンヌローザの話です。





「リヒター! おまたせっ!」

 待ち合わせ場所に駆けて行くと、警備隊の制服を着たリヒターが笑顔で返事をしかけて、止まった。


「リヒター?」


 リヒターは無言のまま頭を傾けて、私の頬にキスをした。

「可愛いな!」

「本当!?」

「本当に決まってるだろ。めちゃくちゃ可愛い。リリーか?」

「うん。初デートだからって、リリーの方が気合い入ってたよ」

「あいつのセンスは最高だな」

 リヒターの手がするりと腰にまわされる。


「お前」私の後ろから来たジョナサンが声をかけ、リヒターの肩を拳で小突いた。「いつも僕に溺愛ぶりが鬱陶しいと文句をつけているくせに、自分もじゃないか」

「外は妃殿下がいないからな」

 ニヤリとするリヒター。

「なるほどな」とジョナサン。

「ケッ」とリヒターの隣にいるモブ君。


「いつもこうなのか?」

 ジョナサンがモブ君に尋ねる。

「そう。イラってするでしょう?」

「ひたすら耐えていたクラウスが懐かしくなるな」

「うるさい」と顔をしかめるリヒター。



「ジョナサン、送ってくれてありがとう」

 三人の間に割って入り、きちんと彼に礼を言う。


 今日は秋祭り。リヒターと私は婚約も済み、恋人同士として参加する許可も得ていたのだけど、落とし穴があった。

 警備隊員であるリヒターの、勤務日に当たってしまったのだ。


 勤務をずらすとか休むということも、可能だったろう。彼はヒラ隊員ではあるけど、警備隊の誰よりも高い身分だ。頼めば一発で要望は通るに違いない。だけどしなかった。

 お祭りは夜までやっているから、彼の退勤後から参加すればいい。


 で。ジョナサンが王宮からの帰りに、私を待ち合わせ場所の警備隊本部前まで送ってくれたのだ。


「アンヌローザ。くれぐれも気をつけるんだよ」と真面目な顔のジョナサン。

「クラウスがいるから心配ないわ」

「そいつが一番危険だから忠告してるんだ」

「お前と一緒にするな」

 とリヒターがジョナサンを小突き返した。

「『外は妃殿下がいない』と言ったのは自分だぞ」とジョナサンが笑う。「まあ、本当に気をつけて。門限を守らないと一ヶ月接見禁止と妃殿下が仰ってたからな」

「「聞いてない!!」」

 私とリヒターの声が重なる。

「こっそりボート遊びなんかしていちゃつくからだよ」

 カッと頬が熱くなる。

「アレのどこがいちゃついてた」不満げなリヒター。「お前のほうがよっぽどだ」

「僕は妃殿下の可愛いクラウスではないからね。じゃ、モブ君、二人をよろしく」

 ジョナサンが笑いながら馬車に戻っていく。


「……なんでエヴァンス伯にまで『モブ君 』て呼ばれるんだ……」

 モブ君のぼやきと深いため息が聞こえた。



 ◇◇



 じゃあ行くか、という所で本部からブルーノが出て来た。

 彼に会うのは一週間ぶりだ。

「ブルーノ!」

 と手を振ると、彼は仲間から離れてこちらへやって来た。


「お久しぶりです、アンヌ殿」

「奥様はどう?」

「元気にしてますが、相変わらず今にも生まれそうですよ」

「ああ、楽しみだわ! 抱っこの約束を忘れないでね!」

「三番に誰が抱くかで喧嘩中らしい」

 そう言ったモブ君を見る。

「三番?」

「そう。一番は奥さん。二番は副隊長。三番の座をラルフ副官とそいつで」とモブ君はリヒターを顎で示す。「争い中」

「だって抱きたいだろ」と不満げなリヒター。

「そこはニンナの親御さんじゃないかな?」

「俺たちが先でいいって」と言うリヒターはちょっと拗ねた子供のような表情だ。可愛い。


「気を使ってるんだ」とブルーノ。「公爵様に抱っこしたいなんて言われたら、お先どうぞとしか言えんだろうが」

「だから爵位なんていらないって言ってるのに!」

「はいはい」とブルーノ。「いい加減諦めろ。で、ラルフといつまでも喧嘩するな。くだらなさすぎる」

「仕方ない、ラルフに三番を譲る。俺は二番な」

「駄目に決まってる!」

 普段柔和なブルーノの顔が、途端に険しくなった。

「とにかく!」とブルーノ。

「喧嘩するな、な。分かったよ」とリヒター。

「それから念願の秋祭りだからって調子に乗ってアンヌ殿を暗がりに連れ込むなよ」

「しねえよ! さっさとニンナの元に帰れ!」


 ブルーノが、それではと帰っていく。

「自分こそデキ婚のくせに」

 リヒターが不満そうに言う。

「余程信用がないんだな」とモブ君。「で? ボート遊びで何をやらかしたんだ?」

「やらかしてねえよ! ……俺的には」とリヒター。


 それはつい三日ほど前のことだった……。



 ◇◇



 クラウスと私の婚約が済んだらやりたいこと、というものが幾つかあった。シェーンガルテン・デートや秋祭りの参加。そしてボート。


 昨年のバカンスで偶然クラウスのボート漕ぎ練習に付き合ったとき、早朝の光を浴びて煌めく湖面に感動した。

 あの時、リヒターと一緒に見たいと思ったのだと彼に告げたら、いくらでもボートを漕ぐぞと言ってくれた。


 だけど今年はバカンスがない。それならプチ・ファータの池で、となったけれど、いくら王宮の広い敷地の端とはいえ人目はある。

 早朝二人きりのボートだから、妃殿下に叱られないように婚約が済んだら、と決めていた。


 そしてその儀は、予定通り良き日に先代国王妃を立会人として執り行われた。

 ブルーノとラルフが瞳をうるうるさせ、実母から『今度の相手は絶対逃すな!』という手紙が届き、妃殿下にこれでもかというほど宝飾品で飾り立てられた以外は、いたって通常の式だった。


 晴れて婚約者同士になった私たちは、日を置かずプチ・ファータに出掛けてボートに乗った。

 ちなみにちゃんと、リリーやルクレツィア、シンシアには話してあった。決して『こっそり』ではない!


 二人で一年ぶりのボート。宝石のように輝く湖面を堪能して、思い出話に花を咲かせて。気づいたらボートは池の中心から離れ、柳の垂れ下がる静かな陰に移動していた……


 ……で。クラウスがとなりに移動してきて。まあ。ちょっと。キスをしていたら。


「いつまでキスしているの! 外よ! 丸見えよ!」

 との声が素晴らしく良く響き渡った。

 慌てて身を離したらボートが大きく揺れて転覆。当然私たち二人とも池に落ちた……。


 岸に上がった私たちを仁王立ちで待ち構えていたのは妃殿下だった。後で分かったのだけど尼僧で尚且つ高齢の彼女の朝は早く、プチ・ファータへの散歩が日課だそうだ。


 彼女は目を吊り上げて、雷を落とした。可愛いクラウスに。

「いくら婚約をしたからといって、節度を持ちなさいと話しているでしょう! 女性の名誉を傷つけるようなことをするのはなりません!」


 それから私はコックウェルさんに回収されて王宮に連れ戻された。クラウスは濡れ鼠のまま延々とお説教されたらしい。


 妃殿下とクラウスって、なんだかんだでお母さんと息子みたいだな、と時々思うよ。


 ◇◇


 その件のせいなのか、今日のデートではモブ君がお目付け役として同行している。


 リヒターによると、モブ君は最近フラれてフリーだから選ばれたという。警備隊員はそれなりにモテるけれど、あまりの忙しさからフラれることも多いらしい。

 むしろフリーだからこそ今日はがんばりどころだろうに、私たちに付き合わなければならなくて、申し訳ない。


 ちなみにモブ君曰く、リヒターが警備隊に入隊して以降、彼は運に見放され続けていてろくなことがないそうだ。


 だけどそうぼやきながらも、彼は扱いにくい立場のリヒターと仲良くやってくれている。この人もきっとお人好しなのだ。


 三人で屋台をのぞいて、お祭りにあやかった幸運グッズを買ったり、B級グルメに舌鼓をうったりして進む。

 もちろんリヒターと私はずっと手を繋いでいる。えへへ。


 進むにつれて、まるで前世の通勤ラッシュのような人混みになる中を、リヒターはしっかり私の手を握って先導してくれる。なんて頼もしいのだろう。

 斜め後ろから彼の顔を見上げると、きれいな稜線を描く鼻。それから形良い唇と美しい目。


 素顔を見たい、手を繋ぎたい、そばにいたい、との全ての願いが叶ってしまった。


「アンヌさん!」

 後ろからモブ君の叫び声がしてはっとする。

「彼氏の顔に見惚れてないで前を見ろ! 危ないから!」

「ごめんなさい!」と私。

 リヒターが振り返り、ニヤリとした。

「俺の顔が見やすいよう、抱っこにするか」

「さすがに遠慮するわ!」

「バカやってると上に報告しないといけないんだぞ!」と怒鳴るモブ君。

「報告しなきゃいいだろ!」と返すリヒター。

「俺がしなくても噂になる! 自分が目立つことを忘れるな、バカ公爵!」


 リヒターが、そうかと納得している。こういうところが素直で可愛い。


 と、視界に見慣れた顔が入った。思わず

「あ」

 と声をあげて足を止める。

「どうした?」とリヒター。

 私は、あそこ、と遠くを指し示した。


 ラルフが可愛らしい女の子を必死に人波から守って歩いている。女の子は警備隊長のお嬢さんだ。

 気づいたリヒターとモブ君が、ああとうなずいた。


「隊長に頼まれたんだとよ」とリヒター。

「隊長は今日、当直だから」とモブ君。「って理由づけしたくて、当直を買って出たらしいぞ」

「外堀を埋められてんな」とリヒターは嬉しそうだ。

「隊長はお嬢さんに激甘だからな。ラルフ副官はちょっと年が離れてるけど、真面目だし出来る男だし、何より絶対浮気はしなさそうだから父親としては安心物件らしい」

「お似合いだよね」

「似合いだよ」とリヒター。「あいつ、今朝は必死に身だしなみを整えてたらしいからな。意識しまくりだぞ」


 ということはラルフの春も近いのか。やったね!


「となると、あと心配なのはモブ君だけか」

「そうだな」とリヒター。

「やっぱり小間使いを紹介しようか?」

「遠慮するって何度も言ってますよね? 自分の恋人ぐらい自分で見つけられる!」

「そうかなあ」

「あんまり苛めるな、アンヌ。可哀想だ」

「分かった!」

「畜生、何で俺がお前たちのお目付け役なんだ!」


 リヒターが笑みを浮かべて拳でモブ君の肩を小突き、モブ君がしかめっ面で同じようにやり返す。


 リヒターの居場所が警備隊にちゃんとあって良かったとみんな思っているんだよ、と心の中だけで言う。


 それはモブ君への感謝であり、リヒターへの安堵でもある。



 ◇◇



 夕暮れに沈む大聖堂前の広場は芋を洗うような状況だ。

 息苦しさを感じる混雑をなんとかすり抜けて広場に面したアパルトマンに入る。細く急な階段をのぼった先、三階の扉をリヒターがノッカーで叩く。


「おお、来たか」

 開いた扉から顔を出したのはパン屋の親方。ここは親方の姉一家の家らしい。祭りのクライマックスが見えるからと、弟子を毎年一人二人招待してくれるんだそうだ。


 室内にお邪魔して親方一家や姉一家、ご両親、謎の友人たちに挨拶したり手土産渡したり、和気あいあいと過ごす。リヒターもモブ君もすぐに馴染んで意味もなく乾杯を繰り返してお酒を飲みまくっている。


 と、教会の鐘が鳴った。

「始まるぞ!」

 誰かの声でみんなが窓辺に近寄る。

「アンヌ! こっち来い!」

 親方が私を最前列に引っ張る。


 秋祭りのクライマックスは、町内対抗山車対決だ。

 山車は高さ数メートルの細い塔のようで上には必ず火の灯った燭台を持つ聖人像が乗る。

 鐘の音を合図に丘の上の教会前広場から各山車が一斉にスタート。一番に大聖堂前広場についた町は、この先の一年、多くの幸運が訪れるという。


 ただ、早ければいいというものじゃないらしい。燭台の火が消えたり聖人像が落下したらその町は不運しか訪れないという。

 それでも各町、走って殴って(?)先を争う激しいレースなんだそうだ。


 波頭が押し寄せるかのように、歓声がやって来る。

「来たぞ!」と誰かが叫ぶ。

 路地からひとつの山車が猛烈な勢いで飛び出して来た。

「うちだ!」と興奮する親方。「やった! 火もある! 一位だ! うちの町だ!」

 親方が私を強烈に抱き締めた。

「アンヌが来てからうちは幸運ばかりだ!」

「おい親父」リヒターの低い声が頭上から降る。「死にたくなかったらアンヌを離せ」

「ああ、悪い悪い、つい」

 頬を紅潮させた親方が私から離れるとリヒターは、

「全く油断も隙もない」

 と言いながら私を抱き込む。

「どっちがだよ」とモブ君の突っ込み。「げ。うちの町、最下位だ。くそっ、本当にお前が来てからろくなことがない」

「仕方ない。ツテを使って近衛に栄転させてやろう」ニヤリとするリヒター。

「ゴメンだね」とモブ君。「俺は生涯、警備隊だ」

「俺も」とリヒター。

「生涯の付き合いになっちまう」

 とモブ君が深いため息をついた。だけどその表情はそんなに嫌そうじゃない。

「リヒターをよろしくね、アレク」


 私がそう言うと、モブ君は仕方ないなと答え、リヒターは額にキスを落とした。



 ◇◇



 日がすっかり落ちて広場にはランタンが灯り、軽快な大衆音楽が奏でられている。室内ではその音楽にあわせて踊っている人あり、お酒で陽気になっている人ありで楽しいカオスだ。


 親方たちと盛り上がっていたリヒターがやって来て、私を外に連れ出した。誰もいない階段に並んで座る。


「どうしたの?」

「ああ」

 リヒターは言葉を濁しながら内ポケットから何やら取り出した。

「前に『マーキングがほしい』って言ってたろ?」

 彼の手の中にあったのは宝石も何もついていないシンプルな金の指輪だった。

「親父に確認済み。これならパン捏ね以外なら着けてても問題ないってよ」


 リヒターの顔を見る。暗いからはっきりしないけれど、赤面しているようだ。

「ありがとう! 嬉しい!」

 正直なところ、マーキングの話はすっかり忘れていた。彼はいつもしっかりと私のことを考えてくれている。


「あのよ」とリヒター。「俺たち色々あったし、当然のように婚約しただろ」

「うん」

「ちょっと、良くなかったな、と」


 どういうことだろう。

 リヒターは息をついた。


「アンヌローザ」

 彼の真摯な目が真っ直ぐに私を見ている。

「ずっと一緒にいたい。俺と結婚してくれ」


 思わぬ言葉に目を見張る。


 それから身体の奥底からじわじわと悦びがやって来た。


「私も。あなたとずっと一緒にいたい。求婚、お受けします」


 リヒターであるクラウスは顔をくしゃくしゃにして笑顔を浮かべると、私の手を取り指輪をはめた。

 それからギュッと抱きしめられる。


「大好きだ、アンヌローザ」

「私も大好き、……クラウス」

「……最近、クラウスの名前にも慣れてきた。アンヌが呼んでくれるからかな」

「私も、シンシアも、クリズウィッドたちも」

「そうだな。だけど」


 クラウスは私を離した。優しげな笑顔。

「アンヌに呼ばれるのが一番好きだ!」


 唇が重なる。







 ここは妃殿下がいないもの。

 ちょっとくらい、長いキスでも構わないよね?






お読み下さり、ありがとうございます。


次話以降は、おまけ小話の再掲載です。

実質的最終話はこの話となります。


長いうえ、暗い回あり、ヒーローの顔もわからないという拙作にお付き合い下さり、本当に本当にありがとうございました。


読んで下さった皆さま全員に感謝をしております。

また、感想を書いて下さった方々には特にお礼を申し上げます。

何度も読み返したというお言葉が多く、有りがたくてそれこそ平伏叩頭でお礼申し上げます。


本当にありがとうございました。



新 星緒



追記

ボートをリクエスト下さった方。

結局コメディになってしまいました。

すみません!


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