番外編・王子が友に出会うとき
第二王子クリズウィッドの話です。
クラウスが王宮に来たばかりの頃になります。
サロン蝶の間の前を通りかかると、中からやや激しめの罵倒が聞こえてきた。声からすると宰相のようだ。どこかの間抜けが逆鱗に触れたのだろうか。
が。
それに答えたのは、怯えきった謝罪ではなかった。玲瓏な声で紡がれる言葉は慇懃無礼な揶揄。
王宮を牛耳っている宰相に歯向かう人間がいる!
驚いて中を覗くと、ひとつの長椅子に宰相が周りを手下に囲まれてふんぞり返り、別の長椅子に先日王宮に出入りし始めたばかりのフェルグラート新公爵が綺麗所に張り付かれて優雅に座っていた。
口論は明らかにこの二人。怒りをあらわにしている宰相、蔑みの表情を浮かべている新公爵。
「相手が宰相と知らないのか」
呟くと、近くにいた男が首を横に振った。
「分かった上であの態度ですよ。あの若造、世間知らずの田舎者僧侶なんかじゃない。とんだ猛獣だ」
その隣の男がうなずく。
「かしづくのは陛下だけと断言してます」
改めて新公爵を見る。先代国王に瓜二つという美しい顔はどちらかと言えば女性的で、昼間の太陽よりも真夜中の月のような冴えざえとした冷たいものだ。
だけれど中身はなかなか苛烈らしい。
「嵐を呼ぶのか、早々に葬られるのか」
男たちは密やかに笑って、賭けようか、なんて話している。
興味をそそられて蝶の間に入り、新公爵にして私の従弟、そして本来ならば王であったはずの青年のそばで足を止めた。
気づいた彼が珍しい翠色の瞳で私を見上げる。
彼の隣にいた女性が慌てて、「こちらは……」と言いかけるのを手で制し、
「第二王子クリズウィッドだ」
と簡潔に名乗った。
さて、彼はどうするか?
すると彼はさっと立ち上がって臣下の礼をした。
「大変なご無礼を。フェルグラート家当主クラウスです」
へりくだり過ぎず、絶妙な加減での挨拶だ。すぐさま宰相が鼻を鳴らした。
「西翼の王子になぜ私以上に礼をとる」
私はいずれ義理の息子になるのに、ひどい言い様だ。だがいつものこと。しかしクラウスは
「あなたのその言い方だと王子より公爵の方が身分が上と言っているように聞こえる」
と冷めた声で返した。
「王子だが西翼だ」と宰相。
彼にとっての王子は兄オズワルド一人だ。そしてオズワルドの母はもう亡くなっているが、正妃で宰相の従妹だった。
「西翼だから何だというのだ」とクラウス。
「そんなことも知らんのか」馬鹿にしたような表情の宰相。「西翼三兄妹の母親は……」
宰相は口をつぐんだ。まだ耄碌していなかったようだ。
『西翼三兄妹の母親は正妃ではない』なんて口にしてしまったら、国王を否定することに繋がる。いくら宰相でも直裁に言えば、まずい。
クラウスは冷めた目を向けていたが、
「分別はあるのだな」
と、のうのうと言った。……なかなか面白そうな男だ。彼は私の視線に気づいたのかこちらを見る。
「もう王宮の中の案内は受けたか?」
そう尋ねると、彼はまだと答えた。
「今、どうだ?」
「では、お願いしたい」
途端に綺麗所が眼光鋭く睨んでくる。その気持ち、分からないでもない。彼は多少人生の背景に問題はあってもこの美貌に公爵位、しかも適齢期なのに婚約者がいない。がっつきたくなるのも仕方ないだろう。
飢える肉食獣たちにクラウスは、失礼するとの一言と笑みをくれてやり、私と共に蝶の間を出た。
「彼女たちは案内を買って出なかったのか?」
「出ましたよ。結果、葡萄酒の掛け合いからどつき合いになったので諦めました」
思わず吹き出す。
「男どもは微妙な立場の私に関わりたくないようだし、侍従に頼んだら女たちがまたうるさく騒ぎだし収集がつかなくなった。お誘い下さり、助かりました」
隣を歩くクラウスを見る。造作が整いすぎて感情がなさそうに見える。
「そうか。私も微妙な立場だ」
言いながらふと気配を感じて振り返ると、離れて男が一人いた。見ない顔だ。目が合うと丁寧に頭を下げる。服装は従者のようだが、体格はかなり良い。まるで騎士だ。
「私の従者兼護衛です」
その声にクラウスを見た。
「陛下からの許可はいただいています。なにぶん『微妙な立場』ですから」
「護衛?」
「還俗してますが、元は聖リヒテン修道騎士団の精鋭です。彼はブルーノ」
男が再び頭を下げる。
「……危険を恐れているわりには、宰相への態度はなかなかなものだったな」
「彼は王族ではないし、爵位は同じ。しかも敬うに値しない人物です」
「だがそれでも普通は波風を立てないよう、おとなしくしているものだ」
「申し訳ありません。長く修道院にいたので『普通』がわかりません」
しれっと言う顔を見て、また吹き出した。
この男への興味がどんどん沸いてくる。
「とりあえず従兄弟同士だし、本来は正妃の血筋のお前が身分は上のはずだった。敬語はやめてくれ」
クラウスは何故か小さな吐息を漏らした。
「……『本来は』というのは好きではない。今あるこれが現実だ。従兄弟同士という理由だけ受け入れる」
「十分だ」
これはなかなかに予想外だ。
つい先刻まで、『本来』王であるはずの男には興味などなかった。
私が望むのは、邪魔者扱いされていても静かで平和な日々。愛しいアンヌローザと穏やかな新婚生活を送れればそれでいいと思っていた。
だがこの男と一緒にいたら、楽しくなりそうだ。
「公爵……いや、クラウスは飲めるクチか?」
「勿論」
「それなら案内が終わったら、付き合わないか?」
「構わないが、私より強い人間はブルーノしか知らない。自分でペースに気を付けてくれ」
「ははっ。分かった」
軽く答えて。
その後元修道士のあまりの酒豪っぷりに当てられペースを誤った私は、翌日二日酔いで一歩も動くことができなかったのだった。




