番外編・地獄のレッスン
修道騎士マルコ僧(後のブルーノ)の話です。
還俗するより前、ルカ(クラウス)が先代国王妃と手を結んでからのことになります。
ヤコブ → ラルフ
エド → アレン
「そうじゃない! どうしてすぐ忘れる! あなたは世界一優雅な青年貴族! そのイメージを忘れるな! もう一度!」
エドの辛辣な声が響き渡る。
それに対して、強張りのある笑みを浮かべたルカが『優雅』に歩いてきて、『上品』に長椅子に腰かける。
「さっきよりはマシ。そのけったいな笑顔はダメ。せっかくの美男が台無し。もう一度!」
ルカは立ち上がって再び同じ動作を繰り返す。
「これ、間に合うか?」
ヤコブが声を潜めて俺に囁く。
「ルカなら間に合わせるだろう」と俺。
「そこ! うるさい!」
エドの叱責が俺たちに飛び火する。ヤコブは肩を竦めた。
◇◇
俺とヤコブがルカことフェルグラート公爵家の長男クラウスを偶然助けてから九年が経とうとしている。この長い年月の間には随分と色々な出来事があり、彼は別人かと思うほどに変わった。
そんなルカの生きる支えは、家族同様だった家庭教師たちを殺した犯人に復讐すること。
当初は文字通りの『復讐』に彼は燃えていたが、根気強く対話を続けて、今は犯人を法の下での告発という目標におさまった。
犯人と目されるラムゼトゥールの娘に会ったことも良かった。彼女は悪徳宰相の娘とは思えないほど善良で、おかげでルカの心は随分と平穏になった。
ただ告発となると、力任せの復讐より難しい。実行犯なら既に全員捉えて修道騎士団本部にある捕虜用の牢にぶちこんである。
だが黒幕が正確に判明していないし、一介の修道騎士には国王や宰相を告発できる力はない。
だから。ルカは先代国王妃の力を借りることを選んだ。
俺はそれだけは避けたかった。ルカの家庭教師が近くの教会に万が一の場合の遺書、というか指示書を残していて、それによれば先代国王妃はルカを夫や子供の身代わりと考えている節があるという。
俺はそんな危険な人物にルカを近づけたくなかった。
繊細で心優しい彼には普通に幸せになってもらいたい。
だがルカは先代国王妃と手を結んだ。心配でたまらないが、幸い天敵である異教徒の国に内紛が起こり、修道騎士団は暇になった。だからヤコブと俺にはルカの支援をする許可がおりた。全てが終わるまで彼を守ることができる。
しかし、その最初の試練がまさかのマナーレッスンだとは……。
妃殿下の作戦ではまずルカは、彼女の姪であるシュタルクの公爵令嬢と婚約するそうだ。そうしてかの国の貴族社会に入り、のちに両親への挨拶という口実でノイシュテルンに帰国。
その王宮には彼女の仲間がいるようで、彼らにうまく動いてもらって王宮への出入り許可をもらう作戦らしい。
そのためにルカは貴族としての立ち振舞いを身につける必要があるのだそうだ。
確かにルカは変わった。会ったときは完璧な上流階級の言葉を話し、天上の天使もかくやというほど優雅な身のこなしだったのに、今やすっかり下町の兄ちゃんだ。
恐らく心理的なものが原因だろう。
自ら捨てた貴族のマナーを再び取り戻す覚悟まで決めて、ルカは復讐に臨むのだ。
なんとも言えないやるせなさが募るが、もしかしたら全てが上手くいけば彼の心の重しがとれて味覚障害が治るかもしれない。
そうなったらいいなという希望も込めて、彼を守る。
◇◇
「ほら! マルコ僧とヤコブ僧も席につく!」
エドが俺たちを険しい目で見ている。
「なんでだ?」とヤコブ。
「お茶の飲み方レッスンです」とエド。「あなたたちは彼の従者になるのでしょう? 必要最低限のマナーは会得しておかないといけません」
「いや、必要ないだろう」とヤコブ。
「笑われるのはクラウスです」
ヤコブと顔を見合わせる。
俺たちの可愛いルカが笑われるなど、もっての他だ。
立ち上がると言われた通りに席につく。
ルカが申し訳なさそうな顔で、付き合わせてすまん、と謝る。
「これを会得したら逆玉に乗れるかもしれませんよ」とエド。「あなたたちは美男だ」
「とんでもない」とヤコブが目をつり上げる。「還俗するのは一時的だ。そんなことにうつつを抜かすような我々ではない」
エドが肩をすくめる。
「なんだって構わない。完璧にこなしてくれるならね」
このエドという男。父親はノイシュテルンの近衛連隊長だったらしいが、今はシュタルク帝国でそれなりに力のある商家の一員で、本人は貴族も顧客に抱えるエリート弁護士らしい。
ルカがノイシュテルン王家の血を引き、先代国王妃にすっかり気に入られているというのに、気にすることなく熱血指導をしている。
……というより彼は嗜虐傾向があるのではないかな。ルカを苛めて楽しんでいるように見える。一方でルカは生真面目なものだから、真剣に尚且つ必死に取り組んでいる。
まあ、いずれルカには還俗をして一般的な幸せを手に入れてほしいと願ってきたから、このマナーレッスンも役に立つだろう。
彼は生来の器用さと常人離れした努力で死神なんて異名を持つ騎士になってしまったけれど、俺は騎士になどしたくなかったのだ。
彼をリヒテンに匿い俺とヤコブで守るのが一番の得策だろうと考えてしまったばかりに、そうなってしまった。あの家庭教師は今頃俺を恨んでいるかもしれない。
優雅にカップを口に運ぶルカは、装いは修道騎士だがそれを忘れさせるほどに高貴さが漂っている。これが本来の彼の姿なのだ。
もっとも彼を貴族に戻したい訳でもない。ただただ普通の幸せを得てもらいたい。それだけだ。
「マルコ僧! ボンヤリしない! 従者は常に周囲に気を配る!」
「すまん」
「マルコを怒らないでくれ。俺に付き合ってくれるだけで有難いんだ」
そう助け船を出したルカをエドが鋭い目で睨む。
「『私』! 次に『俺』と言ったら庭園十周全力疾走!」
「喜んで行くよな」ヤコブが俺に囁く。
「……そうか」とエド。「ならば逆に鍛練禁止!」
ルカが情けないうめき声をあげる。
「……悪い、ルカ」
ヤコブが申し訳なさそうに謝る。
「連帯責任であなたたちもです」とエドは澄まし顔で宣告する。
「鬼!」とヤコブが糾弾する。
「鬼で結構。私は彼を世界一優雅な青年貴族にするよう、彼女から頼まれていますからね」
そう言うエドは、明らかに楽しそうだ。
とんでもない性癖だ。
王妃殿下もずいぶんな教師をつけてくれたものだ。
「もう一度! カップを手に取るところから! 指先まで神経を尖らせる!」
鬼教官エドワルドの指示が飛ぶ。
俺にはさっきの動作のどこが悪かったのか全くわからないが、ルカは真剣にやり直している。
ルカの性格上、還俗までにエドが納得する振る舞いを身につけるだろうが……。
これだけ頑張っているんだ。復讐の成功プラスαで褒美がないと可哀想じゃないだろうか。
例えば素敵な伴侶に巡り会うとか、な。
エドのレッスンをエド視点で見てみたい、とのご要望をいただいたのですが、残念ながらこうなってしまいました。
すみません!




