裏話57・クラウスのささやかな告白
公爵クラウスの話です。
本編57の裏話になります。
肖像の間に入ると僅かな月の光を頼りに長椅子に向かい、それに身を沈めた。
どんな風の吹き回しなのか、クリズウィッドが俺たちにむかって、誰かアンヌローザのダンスの相手をしてやってほしい、と言った。
聞き間違いかと思った。今まで奴は徹底して彼女に男を近づけないできた。許されるのは会話まで。身体が触れあうダンスなんて、言語道断だった。
もし俺が彼女にダンスの特訓をしてもらったと知ったなら、怒り狂うだろう。それだけ彼女を溺愛しているし、俺を警戒している。
彼女のことさえ除けば、気のおけない親友同士なのに。
一緒に踊ったことがあるとはいえ、上達に必死になっていただけの特訓と、夜会は違う。
正式の場で楽団が奏でる素晴らしい演奏にのって、正装をした美しい彼女の手をとり瞳を見つめて踊る。
決してそんなことができる日は来ないと思っていたのに、まさかクリズウィッドから提案してくるなんて。きっと最初で最後の機会だ。これは奴の気まぐれだろうし、俺は近いうちに王宮を去る。
この機会を逃してなるものか。
私と、と名乗り出ようとして、アンヌローザが複雑な表情をしていることに気がついた。
俺にとって千載一遇のチャンス。
だけれど彼女にとっても、そうなのだ。
クリズウィッドが牽制していたのは俺だけじゃない。ウェルナーもだ。当然二人で踊ったこともない。
彼女が今誘って欲しいのは、俺じゃなくてウェルナーだ。
それなら俺に出来ることは……。
片思いの辛さは身に染みている。
彼女には少しでも笑顔でいてもらいたい。
彼女とウェルナーが踊れるように声をかけたものの、嫉妬で胸は苦しく普段の表情を保てもしない。
逃げるようにここに来た。
……先日、彼女との約束を破った。リヒターの俺は最後まで面倒を見ると約束したのに、都を出ることになったなんて嘘をついて彼女の前を去った。
突然の別れに彼女は泣いていたと聞く。泣かせたくないと思っていたのに、俺は泣かせてばかり。最後までも。
だからその分、笑顔になってもらいたい。
だからウェルナーに譲って良かったんだ。
と、扉が開閉した。
誰だ。
今の俺は完璧な公爵を演じる余裕はない。
苛立つ相手でなければいいが。
そう思って乏しい明かりの中で目をこらすと、そこにいたのはアンヌローザだった。
心臓を鷲掴みにされる。
どうしてこのタイミングで彼女なんだ。
しっかりしなければならない。
完璧な公爵は無理でも、完璧な王子の親友でいないとまずい。余計なことは口走らないように。態度に出さないように。
取り繕って無難な会話をするはずが、なぜか彼女は答えられない質問ばかりする。原因はシンシアらしいが、『本命はいるのか』なんてあんまりだ。
それはアンヌだと言えたらどんなにいいか。
反面、こんなに好きなのに、全く気づいていない彼女の鈍感さが腹立たしくもある。そもそも密室で男と二人きりになるな。クリズウィッドに叱られているだろうが。少しは警戒しろ。今の俺には余裕がないんだ。
「ねえ、公爵」
優しく呼びかけられる。
「私、破滅するのは嫌よ。だけどあなたに会えて楽しかったわ。殿下とのことも沢山フォローしてもらったし、とても感謝しているの。万が一のことがあっても気にしないでね」
彼女を見る。半月の月明かりじゃ、彼女の表情なんてわからない。だけどきっと穏やかな笑みを浮かべているのだろう。
こんなセリフをさらりと言ってのける彼女が好きだ。
「……お人好し」
これが今言える精一杯の賛辞だ。それに対して
「あなたもね」
と優しい声が答える。
広間からの音楽が聞こえている。
彼女に手を差し出す。
「アンヌローザ。私と踊ってもらえないか」
好きだと言えない代わりの、ささやかな告白。心優しい彼女は何故かと尋ねることもなく、そっと手を重ねてくれた。
微かに聞こえる音楽に合わせて踊る。
貴族の生活なんて馬鹿馬鹿しいものばかりだったけれど、このダンスだけは良かった。束の間の夢を見られる。
全てが終わって、まだ彼女が俺の話に耳を傾けてくれるようだったら。王宮を去る前に全てを告白して謝罪しよう。
ルカもリヒターも俺なのだ、と。
クリズウィッドも最後なら、もしかすれば想いを伝えることを許してくれるかもしれない。そうしたら、多くの嘘をついたけれど、アンヌが好きだったと伝えるのだ。
ああ、だけど。こうして身体を寄せて踊っていると、全ての嘘が暴かれる。
親友を慮って焦がれる想いを伝えないなんて、きっと嘘だ。
俺はそんなに物わかりのいいお人好しじゃない。
全く望みがないと分かっているから、親友に配慮して想いをひた隠す男を演じているんだ。
だって彼女に俺を見てもらいたくて、好きになって欲しくてたまらない。
突然扉が開いた。
アンヌが素早く俺から離れる。
夢の時間は終わりだ。
彼女を婚約者の元に返さなければいけない。
俺には頭を冷やす時間が必要だ。
タイミング良くやって来たブルーノに彼女を頼み、さっと肖像の間を出る。
危なかった。
ブルーノが来なければ、彼女を抱きしめ好きだと言ってしまっていただろう。




