裏話36・リヒターの言い訳
裏町のリヒターの話です。
本編36の裏話になります。
いつもの待ち合わせ場所にいつもと違う曜日に立ちながら、ひたすら頭の中で繰り返す。
俺は裏町の小金が欲しいだけの男。
アンヌが弱っていたから元気づけるのを理由に金をふんだくろうとしている、ずるい男。
だから、これはデートじゃない。
疚しい気持ちなんてこれっぽっちもない。
何度も何度も繰り返し、繰り返しすぎて虚しくなった。
どんなに誤魔化したって、がっつり疚しい気持ちがある。
沈んでいる彼女を励ましたいのは、本当だ。少しでも気晴らしになればと考えてシェーンガルテンを提案した。
だけどやっぱり、下心はある。
彼女ともっと一緒にいたい。
元気づける役は俺がやりたい。
彼女を得られる可能性はないんだ。
それぐらい望んだっていいじゃないか。
頭に浮かぶ親友の顔を追い払う。
ずるいことをしているのは百も承知だ。だけどあいつは、いずれ彼女と結婚できる。
しかも俺の気持ちに気付きながら、彼女の婚約者は自分なのだと、わざと見せつけている。
いや、気づいているからこその牽制だ。横恋慕している自分が悪い。
先日の会話が思い返される。
彼女は沈んだ表情で
「王子の妃にならないとダメなのかな」
と言った。
クリズウィッドの親友として、俺は模範的な返答をしたと思う。たとえそんな立場じゃなかったとしても客観的に見れば、実ることのない恋は忘れて、好人物の彼と結婚したほうがいい。
本心を偽って彼女に対しても的確なアドバイスをした俺に、彼女は複雑な表情を向けて尋ねた。
王子との結婚が私の幸せだと、リヒターも思っているの?
そんなはずねえじゃないか、と叫びたい気持ちを必死に押さえ込んだ。
俺は自分でお前を幸せにしたい。
そう言えたらどんなに楽だろう。
だけど彼女は親友の婚約者だ。
あいつがどんなに彼女を好きか知っている。
大事な人を失う辛さも身にしみている。
横恋慕の俺が本心を言葉にしていい筈がない。
向こうから小走りに駆けてくるアンヌローザが目に入った。いつもあいつは走ってくる。楽しそうな笑みを浮かべて。
その度に勘違いしたくなる。彼女は俺に会うのを楽しみにしてくれている、と。
そうじゃない。彼女が好きなのはウェルナーで、楽しみにしているのは孤児院に行くことだ。
今日楽しみにしてるのは、シェーンガルテンの散策。俺とのデートじゃない。忘れるな。
……違った。そもそもデートじゃない。間違えるな。
駆け寄った彼女は、頬を上気させておまたせ、と言った。
可愛い。
いつも髪はシンプルにひとつ結びにしているだけなのに、何やらふわふわしていて飾りまでついている。
町娘の格好のときは全く化粧気がないのに、唇に紅でも差しているのかやけにプルンとしている。
なんだこれ。可愛いすぎるだろう。
昼の王宮で見かけるご令嬢の姿とも、夜会で見かける正装とも違う。
「リヒター?」
掛けられた声にはっとする。アンヌローザは狙ってやってるのかと聞きたいぐらいに、可愛く目を瞬いている。
「……可愛いじゃねえかよ。ポンコツガキのくせに」
なんとか平静を装ってそう言うと、彼女は破顔した。
「本当!?」
と嬉しそうにする。
くそっ、本当に決まってる。今すぐ抱きしめたいぐらい可愛い。
「もう一回言って!」
なんだ、その可愛いセリフは。ここはあれだ。
「ポンコツガキ」
わざとそう言ってやると、彼女は思った通りに、顔をしかめて
「違うよ! 意地悪!」
と怒る。予想どおりすぎる。なんでこんなに可愛いんだ。これだからポンコツはタチが悪い。
「……可愛いよ」
なるべく普段どおりの声で。
俺はただの小金稼ぎの男だから。
というか、リリーに問題があるんじゃないか? いや、もしや彼女は知らないのか?
「お前、今日のことをリリーに話してあるか?」
「もちろん。こんな可愛い髪型、私には出来ないよ」
「……そうかい」
何を考えてんだ、あの女は!
男と出かけるんだぞ。彼女をこんな可愛くして俺が変な気を起こしたらどうすんだ。まるでデートに行く娘みたいにするな。
いや、彼女も俺がただの金目当てだと思って安心しているのだろう。彼女専属の小間使いならもう少し警戒心を持ってくれないと困るな。
……そうだ、今の俺は裏町のリヒターだ。
ちらりとアンヌローザを盗み見る。彼女は、路上でカードゲームに興じている老人たちを興味津々に見ている。
裏町の男に王子の友人なんていない。
それに慣れない道で彼女とはぐれたら大変だ。
だから、手を、繋いでも、いいんじゃないか?
そのぐらい、たいした事じゃない。
迷子防止のためだしな。
彼女は俺の視線に気づいたのか、こちらを見てにこりとした。
……バレないようにそっとため息をつく。
詭弁もいいところだ。
どんなに誤魔化したって、俺はクリズウィッドの親友で、手を繋ぎたいのは疚しい気持ちからだ。
何より彼女は好きでもない男と手を繋ぎたくはないだろう。
「リヒター」アンヌが顔を寄せてきて囁く。「誰が勝つと思う? 見ている人たちも賭けているんだって。私たちも賭ける?」
「賭ける前にお前はルールを分かってんのかよ」
「へへっ。知らない」
「ポンコツ!」
楽しそうに笑うアンヌローザ。
こんな笑顔を見せてもらえることに満足しないとな。
今日は彼女の気晴らしだ。
デートじゃない。
俺はただ小金稼ぎが目的の男だ。




