最終話・エンド半年後(後編)
それにしても暑い。
夏だから仕方ないけれど日差しが強い。
ここ数日、熱中症で倒れる人が多いようだ。お役人が注意喚起と対処法のポスターをあちこちに貼っている。
「暑いなぁ」
とリヒターが言いながら襟元を緩める。警備隊の制服は格好いいけど、真夏日にはきつそうだ。
でもな。外でそれはやめてほしい。通りすがりの女性がみんな注目してるよ。
悔しいのでリヒターの袖をちょっと掴んで、私の彼氏よ!アピールをする。
いっそのこと、以前の付け髪つき帽子を被ってくれないかな。
私が妬いているのに気付いたのか、リヒターが私の頭を片手で寄せて額にキスをした。
「また怒られちゃうよ」
「知るか。アンヌは俺のだアピールしとかねえと、虫が寄って来るからムカつく」
ん?
リヒターの低い声に、周囲の青年があからさまに視線を反らした。
そうか。私も美少女だったっけ。見られていたらしい。
「えへへ。焼きもち? 嬉しい」
「ポンコツだけど美人だからな。ついでにマーキングもしとくか?」
「絶対に怒られるよ!」
私たちは公式にはまだ、ただの『友達』なのだ。
なにしろ婚約するのはクリズウィッドの結婚が済んだらとの約束だ。
今並んで歩いているのも、デートじゃない。私の護衛という名目の、クラウスの正式な仕事だ。
だから人目があるところでいちゃいちゃしているのがみつかると、先代王妃殿下に怒られてしまうのだ。
ただ、先日リヒターがキレた。あと二年なんて待てないと。そして考えた彼は。
妃殿下のそばで、憂いを帯びた顔をうつむかせて呟いた。
「元気なうちに『孫』を抱かせてあげたい」
これが彼女のハートを見事に撃ち抜いた。
その日のうちに、来月のよき日に婚約することが決まったのだ。
クリズウィッドはずるいぞと地団駄を踏んだ。けどそれは見なかったことにしている。だって姫はまだ十四だもの。がんばって待ってもらわないとね。
一方で先代王妃殿下はすっかりその気になってしまって、もう赤ちゃんグッズを揃え始めている。おくるみも自ら作っていて、どんな柄の刺繍が好きかと聞かれた。
赤いアネモネ、と答えたら隣でクラウスが葡萄酒を吹いた。
私が花の意味に気づいてないと思っていたらしい。残念でした。リヒターがいなくなった後にリリーに教えてもらったし、ジュールも秘密の約束を打ち明けてくれたんだよと話したら、真っ赤になっていた。可愛い。
戦場育ちのリヒターがよく花言葉なんて知っているなと思ったら、なんのことはない、その戦場に来ていた若い兵士たちの恋バナを聞いていたらしい。
ジュールとサニーが彼の秘密を知っていたのにも、ちゃんと理由があった。
私たちがバカンスに行っている間に孤児院へ通っていた『リヒター』は、彼に扮したアレンだったそうだ。その頃はまだリヒターは神父様とも子供ともそれほど親しくしていなかったから、誤魔化せたらしい。
ただ一人騙されなかったのがサニーで、彼女は違う人だと懸命に訴えたのだけど、誰も信じなかったそうだ。ジュールだけ後から、やはりバカンスの時は雰囲気が違ったと気づいて、リヒターを問い詰めたらしい。
それでリヒターは悪意は全くないと信じてもらうために、護衛をしているのは私のそばにいたいだけで他意はないと打ち明けて、約束を交わしたという。
結果、リヒターはジュールに約束を破ったことを、めちゃくちゃ説教されていた。
そんな奴にはアンヌはやれないから俺がもらうと言うジュール。本気で言い訳と抗議をしている可愛いリヒター。そこにサニーが乱入して、リヒターをいじめないでと号泣。ジュールとリヒターが慌ててあやしていた。
ちなみに孤児院には今も週に一回通っている。差し入れるパンの半分はリヒターから。もう半分は、私が稼いだお給金で買っている。ちょっとだけ、自立した気分だ。
話はそれたけれども、とにかく今の妃殿下の生き甲斐は『孫』の顔を見ること。あまりの熱心ぶりにクラウスは恐れをなして、昨日ついに、『孫』の名付けに口を出さないという念書を書かせていた。
コックウェルさんに促され、口を尖らせながら渋々サインをする妃殿下は、ただの可愛らしいおばあちゃんだった。私を弟の養女にゴリ押ししながらも、パン屋への弟子入りを許してくれたし、慣れない国王の仕事に四苦八苦しているクリズウィッドのサポートもしてくれているし、実はとても優しい方だ。
リヒターはこっそり狸ばばあと呼んでいるけどね。
「さっさと婚約しちまいたい」リヒターがため息をつく。「そうすりゃ堂々と手を繋いで歩けるのに」
「そうだね。早く来月になってほしいね。秋祭りもあるし」
去年は大嵐で行けなかった秋祭り。予定ではその前に婚約出来るから、今年は恋人同士として参加できる。めちゃくちゃ嬉しい。えへへ。
「祭りは俺からはぐれるなよ。危ねえからな」
「大丈夫だよ。リヒターが手を離さなければ」
剣呑な目を向けられる。
「幼児か!」
「だって手繋ぎデートが楽しみなんだもん!」
「……すげえ殺し文句」リヒターは私の頭を撫でた。「もう絶対離さないから安心しろ」
「うん」
「帰ったらたんとキスしてやる。覚悟しとけ」
リヒターがとんでもない色気を漂わせた笑みを浮かべる。
どうやら煽ってしまったらしい。
以前のリヒターと今のリヒターと最大の違いがここ。すぐにスイッチが入るので迂闊なことを言わないように気をつけてはいるのだけど。
まあ、嬉しいからいいんだけどさ。
ただ、リリーに見つかったらリヒターが叱られてしまうのだ。リヒターはまったく懲りてないけどね。
リリーは私が嫁に行くまで自分は結婚しないとごねていたのだけど、ニ年も待たせたくなかったので泣いて頼んで結婚してもらった。だけど結局、私を心配して通いで小間使いを続けてくれている。
心配の種は、リヒターがちゃんと順番を守るか、らしい。以前の彼は信頼していたけど、今は全くしてないんだって。普通は反対じゃないかな。
王宮へ帰りつき、二人で建物内に入る。
と、そこには不安そうな表情のルクレツィアとシンシア、それからルクレツィアの侍女のシャノンが待っていた。
「大変なのよ、アンヌ」とルクレツィア。
「やっぱり第ニシーズンよ」とシンシア。
「本当に!?」
私の言葉に三人がうなずく。
「シャノンが熱中症で一昨日倒れたでしょう?」とルクレツィア。「意識が朦朧としている中で前世を思い出したのですって。主人公はまたジュディット。一作目が全てノーマルエンドで終わった状態からのリスタートという設定らしいの」
なんてことだ。せっかく無事にゲームエンドを迎えたと思っていたのに。
「よく分からないが、またまずい状況なのか?」
とリヒターが尋ねると、シャノンが小さくうなずいた。
「まさかまた彼は攻略対象なの?」
シャノンは首を横に振る。
「ジュディット以外は総入れ替えですって」とシンシア。「攻略対象はベルナール・ジュレールと彼の帰国に付いてくるシュタルク第三王子、私の従兄、新近衛連隊長の息子」
「それからフィリップ!」とルクレツィア。
「フィリップ? ジョナサンの弟の?」
うなずく三人。
「お姉さまとラブラブだから大丈夫と信じたいけれど……」とルクレツィア。
「まさかクラウディアが悪役令嬢?」
「いいえ」とシャノン。
「ジョナサンの妹と」とシンシア。
「姫なんですって!」とルクレツィア。
「ええっ! 私の可愛い姫が!?」
もはや泣きそうな顔のルクレツィア。
「お兄さま、またフラれるなんて可哀想すぎるわ」
「まだ回避できるわよ」
シンシアの言葉にシャノンが何度もうなずいている。
本当の本当になんてことだ。
「みんなで頑張って回避しましょう!二人を悪役令嬢になんて絶対にさせないわ!」
「……あとね、今回はラスボスがいるのですって」シンシアが眉尻を下げる。
「ラスボス?」
三人が顔を見合わせる。
ルクレツィアが真っ直ぐに私を見た。
「あなたなのよ、アンヌローザ」
私?
ラスボス?
驚きすぎて、もう声も出ない。
「脱獄して恨みを晴らすために異教徒の国に寝返って、戦争をしかけてくるそうなの」
「……彼女が危険なのか?」
リヒターの顔が険しい。
「そうよ。クラウスは助けてね!」とシンシア。
「勿論。どうすればいい?」
「全力でラブラブしていて!」シンシアはにんまりとした。「絶対に彼女を泣かさない、離さない、大好きでしょうがないってしていればきっと大丈夫だから!」
本当か!?
だけれどリヒターは真剣な顔で、わかったとうなずいて、手を私の腰に回して引き寄せた。
ラスボスの前に王妃殿下とリリーから鉄槌が下りそうですけど!?
「ゲームは来月、ベルナールの帰国と共に開始ですって」とルクレツィア。
「来月!!」
もうひと月しかない。
「しかもシャノンもさわりしかプレイしてないそうよ」
ということは対策のとりようがないじゃない!
まずはどうすればいい? 主人公は誰ルート?
「ジュディットって今は誰か好きな人はいるのかしら?」
三人は、知らない、と頭を横に振る。
「ジョナサン妹は?」
ルクレツィアとシンシアの視線がリヒターに向かった。彼は目を反らしている。
……なるほど。それはそうか。あんなに親切にすれば当然だよね。
でもリヒターは譲れない。
「ジョナサンは、絶対に叶わないから好きになったらダメだと忠告していたみたいだけれど」
ルクレツィアが剣呑な目をリヒターに向けている。
「もう他のご令嬢に愛想を振り撒かないでね」とシンシア。
「ジョナサンの妹を無下にできないだろう?」ばつの悪そうなリヒター。
「そうね。お人好しだもの仕方ないわ。だけど恋人は私だけの約束は守ってね」
そう言うと、リヒターは勿論と答えて額にキスを落とす。
「だけど妹がリヒター、じゃなかった、クラウスを好きなら悪役令嬢になる可能性は低いかしら」
ルクレツィアとシンシアがうなずく。
「それなら姫ね。回避のためには殿下に恋してもらうのが一番だわ」
「そうね」力強くうなずルクレツィア。「お兄さま、せっかくアイーシャのレッスンを受けているのだから、もう待ちはやめてガンガン口説くべきよね!」
「みんなで力を合わせて二人を守るのよ! もちろん、アンヌもね!」とシンシア。
「それからお姉さまとフィリップの仲も!」とルクレツィア。
「微力ながら頑張ります!」とシャノン。
「ついでにお兄さまには幸せになってもらう! 今度こそ!」とルクレツィア。
「よし!」
私は右手を差し出した。ルクレツィア、シンシアが手を重ねる。ちょっと迷ったシャノンが最後。
「今度もみんなで乗り切るわよ!」
「「「おー!!!」」」
◇◇
そんな元悪役令嬢たちの姿を見つけてクリズウィッドが足を止めた。
「また何かと戦うのか?」
隣のジョナサンを見る。
「さあ。だけど楽しそうだ」
「クラウス、またあんなにアンヌローザ殿にくっついて。妃殿下に叱られるのが好きだとしか思えないな」笑うウェルナー。
「ジョナサン。ちょっと行って私の代わりに殴ってきてくれ」とクリズウィッド。
「いやだね。彼の方が強い」ジョナサンは肩を竦めた。
「王命だぞ!」
「出た、卑怯!」
「ああ、気がついた」ウェルナーが片手を上げる。
向こうでは警備隊の制服を着たクラウスが、笑顔で片手を上げている。
「近衛より警備隊を選ぶとはなあ」とジョナサンがぼやく。「あいつのせいで警備隊志願者ばかり増えて、こちらが閑古鳥だ」
それから笑顔になって、自分に気づいた婚約者に手を振る。
◇◇
私の腰を抱えていたクラウスが、すっとその手を上げた。彼の視線の先を見ると、クリズウィッドとジョナサンとウェルナーがいる。
ルクレツィアも気付いて手を振ると、ジョナサンが素晴らしい笑みを浮かべて振り返えしてきた。
「せっかくだわ、みんなでランチにしましょう!」
笑顔のルクレツィアの提案に、シンシアが意地悪な表情をする。
「あら、私たちはお邪魔じゃない?」
「ああ、邪魔だ」
と答えたのはリヒター。
「リヒター!」
私に叱られて、彼は笑顔になった。
「冗談に決まってる。みんなで食べよう。俺はアンヌのパンを食べるけどな」
シャノンが伝えて来ますと足早に去る。
そこへ、
「惚気ばかりで腹が立つ」そばまでやって来たクリズウィッドが笑顔で言った。「あんまり調子にのっていると婚約させないぞ」
「ダメよ!」すかさず反論するルクレツィア。「下手なことをしたらアンヌがラスボスになってしまうわ」
ラスボスとは何だ?と首を捻るクリズウィッドたち。
「もう! こうなったら全員巻き込んでみんなで戦いましょう!」とシンシア。
「戦うって何と?」とウェルナー。
「とりあえずお兄さまは姫を口説き落とすのよ!」
ルクレツィアが必死の形相で兄に迫る。
「何でだ!?」
「彼に出来るかな?」とジョナサン。
「あら、おもしろそう!」
いつの間に来たのか、クラウディアが楽しそうに言う。
「お姉さまもまた協力してね」
「いいわよ。ヒマだもの」
「フィリップは大学で忙しいからな」とクリズウィッドがにやりとした。
「ではまずは作戦会議ね」
そう言ってなんとはなしに、シンシアとルクレツィアと腕を組んで。みんなでダイニングルームに向かって歩き出した。
☆おしまい☆
最終回までお付き合い下さり、ありがとうございました。
ブックマーク、評価、感想、レビュー、いずれもとても励みになりました。
重ねてお礼を申し上げます。
今後、目次に《改稿》とあっても、誤字などの訂正です。
内容が変わることはありません。
万が一変わる場合は、活動報告かどこかお目に触れる場所でアナウンス致します。
こんな終わり方ですが、続編も第2シーズンもありません。
ゲームとはだいぶ違う状況になったので、第2シーズンが始まらずアンヌたちは不思議がるだけです。
次話は本編に入れるか迷い、没にした話です。
内容は、クラウスの異母弟ウラジミールが兄のいる修道院を訪ねたときのこと。
視点は同行したベルナール。
クラウス、三従者は出てきません。
暗く鬱気味なので、ご興味がある方のみお読み下さい。
番外編終了後に、後書きに載せたおまけ小話をアップします。
探しやすさのための再掲載なので、内容は変わりません。
本当に長い間、お読み下さりありがとうございました。
新 星緒




