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最終話・エンド半年後(前編)

「アンヌ! そろそろ時間だぞ!」

 表の店の方から親方の怒鳴り声がする。

「はい! これが終わったら!」


 作業台の上に並んだ焼く前のクロワッサン。弟子になったばかりの私に任されているのは、表面に刷毛で卵黄を塗ること。これは新人が任されるにしては高度な仕事だ。普通は小麦粉運びかららしい。

 もっともクロワッサンは最近販売を始めた商品で、卵黄係がいなかっただけ。



 三ヶ月前にクリズウィッドが国王に即位した。彼はその所信表明で、先王の悪政を国民に謝罪して、即日税金を下げる手続きに入った。

 ラムゼトゥール、ワイズナリーの両領地の多くが国有となったこと、ユリウスとオズワルドの放蕩がなくなったことなどから税を下げても国費は十分足りるらしい。

 毎週のように開かれていた夜会は月に一度になった。今は真夏だけど、王族の離宮への旅行もなし。ただそれぞれで潤っていた関係各所への配慮はしているようだ。


 おかげで新国王は国民に歓迎されている。

 減税政策の影響はもう出ていて、親方は今まで手を出せなかった高価な材料を仕入れられるようになり、それで作られた高価なパンを客は買うようになった。

 好景気になって都は明るくなって治安も改善。私には卵黄を塗る仕事がまわってきた。



 父と兄、それからユリウスとオズワルドはもういない。


 母は世俗に未練を残しながらも修道院に入った。あちらの尼僧たちに迷惑をかけていないかが心配だけど、偶然にもジョナサンの母君と一緒になり、仲良く元気にしているらしい。


 義姉は、再婚するから!との捨て台詞と二人の子供を残して実家に帰った。

 逆に帰って来た姉が彼らを養子にし、自分の子供と合わせて四人を連れて、新しくもらった小さな領地へ引っ越して行った。


 姉の長男が『家族は罰しない』の原則で男爵に封じられて、いただいた領地だ。彼が成人するまでは姉が後見人で、だから姉は、これからは当主代理の仕事を必死にしないといけないわ、と笑っていた。


 うちと同じく『家族は罰しない』原則でエヴァンス伯爵になったジョナサン。彼は再編されて名称が第八から第五に変わった近衛師団で変わらず団長を勤めている。


 そして、クリズウィッドが即位した翌月にルクレツィアと婚約をした。嘆いているご令嬢たちが沢山いるようだけど、彼はもう見向きもしない。

 自分のことを一生懸命愛してくれるルクレツィアが可愛くてたまらないという。


 元々平気で勘違い発言をかましていたジョナサンだ。惚気を恥ずかしげもなく口にするから、聞いているこちらがたまらなくなる。

 ごちそうさま!


 ジョナサン弟の方も、常にクラウディアとのラブラブモード全快だ。文字通りの時もあれば激しい言い争いを楽しんでいるときもある。おかげで今や公認カップルだ。

 というより、誰も二人の間に入りたくないだけだろう。


 弟はルパートと仲良く真面目に大学に行き、合同会社設立に向けて頑張っている。


 それはいいのだけどルパートは、ペット扱いをされたせいで未知への扉を開けてしまったらしい。堂々と新しい飼い主を募集している。

 アイーシャが面白がって飼おうかしら、と言っているようだ。


 彼女は仕事をやめた。これまでの蓄えとノウハウで、養成学校を開いた。完璧淑女になるための、だ。

 ちなみに、いかに男性を魅了する女性を演じるかの授業があり、これが一番人気らしい。


 授業には集団と個人があって好きな方を選べるらしいけど、集団の方ではジュッディットが学んでいる。

 彼女は今やすっかり普通のご令嬢だ。本来の長所、前向きで諦めないが上手く作用して学校では最優秀生徒として表彰され、他の女生徒の憧れの的となっているという。


 彼女の義父ゴトレーシュ伯爵は、元王妃殿下の復讐チームに自分が入ってなかったことで身の程を知ったらしい。すっかり再出世は諦めて、ジュッディットの玉の輿作戦もやめた。


 そんなあれこれが功を奏したのか、彼女に新たなモテ期が来ている。もしや乙女ゲームの第二シーズンが始まったのかな、なんて元悪役令嬢三人で話しているところだ。


 マリーとテレーズは私に起きた変化も気にせず、今も友達だ。このパン屋に買い物にも来てくれる。


 アイーシャの学校には男性向けのコースもあって、こちらはいかにして女性にもてるようになるか、がメインだという。

 どうもこの個人授業をクリズウィッドが受けているらしい。クラウディアが勝手に申し込んで、本人も真面目に取り組んでいるとかなんとか。

 モテなくて悲しいことでもあったのだろうか。例の片思いの相手とか。元々叶うことのない恋だったから、思いはもう断ち切ったと聞いている。ゲームでは攻略対象のメインだったのに、気の毒なことだ。


 そんなクリズウィッドは予定通りに異教徒の姫と婚約をした。

 姫は予め見せられていた肖像画より素敵な美少女だった。というか別人だった。

 どうも手違いがあったようで、肖像画はシュタルクへ行く姫のものだったらしい。実際に来た姫は可愛いし性格も良さそうで文句なしなのだが、まだ十四歳だった。


 あちらの国ではどうかわからないけど、さすがに十四歳は結婚に早い。結婚は彼女が十六歳になったらと決まった。

 クリズウィッドは、また待ちか、と遠い目をしてため息をついていたが、待つ度量があるなんて立派とみんなでヨイショしておいた。


 なにしろ姫はノイシュテルン語も話せないのだ。彼女には沢山の家庭教師がついた。そして私は、彼女のストレス軽減のための茶飲み友達に任命された。


 もちろんルクレツィアやシンシアもそうなんだけど、庶民の主婦友から王女友までいる幅広い交遊関係を活かして、姫を見守ってあげてほしいと頼まれたのだ。クリズウィッドに。


 そりゃ頼まれなくても見守るけどさ。友達って任命されてなるものじゃないよね、と姫に話したらなぜか懐かれた。可愛い妹ができたようで嬉しい。クリズウィッドとは十一も年の差があるけれど、仲の良い夫婦になってほしいものだ。


 ところで二十五歳もの年の差婚をしたブルーノ。彼はとても幸せそう。可愛い奥様ニンナは二ヶ月後に出産予定なのだけど、今すぐ生まれそうなぐらいにお腹が大きい。きっと双子だろう。

 ブルーノは自分より若い義理の両親と一緒に奥様のお世話をしたり、出産準備をしたりと忙しそうだ。


 二人はフェルグラート邸を出て、町にアパートを借りて住んでいる。だけど本当に双子だったらニンナの両親と同居するという。


 ブルーノの今の仕事は警備隊だ。近衛連隊の再編で警備隊も人数が足りず、いきなりの副隊長就任となった。


 実は修道騎士団にいた頃は、それなりの地位にいたらしい。ラルフに比べて緩くて話しやすい雰囲気なのに、騎士として優秀なだけでなく、諜報員としても活躍していた切れ者だという。


 都のことなら隅から隅まで知り抜いていて、万が一に備えて、敵にまわる可能性のあった近衛と警備隊については全て把握済みなんだって。

 優しい雰囲気にすっかり騙されていたよ。


 リヒターがやけに町について詳しかったのは、ブルーノの教育の賜物だそうだ。


 ちなみにブルーノはあの雰囲気と剣の腕前、都の深い知識で、すでに警備隊員の心を掴んでいるらしい。本当は恐ろしい人なのかもしれない。


 彼の副官に就任したのは、ラルフだ。結局彼も修道騎士団に帰らないことを選んだ。ブルーノの子供の『叔父さん』になりたいらしい。


 彼は孤児院出身で家族を持ったことがなく、ブルーノが父、ルカは弟との認識らしい。その父が初めて本物の『父親』になることに、殊更感動しているのだそうだ。


 彼は還俗した際に女性へのトラウマが出来てしまったらしく、恋愛にも結婚にも興味なしと公言している。

 だが最近、雲行きが怪しい。


 警備隊長の十六歳になるひとり娘が、ラルフに恋してしまったのだ。瞳をうるうるさせながら、私がお嫌い?なんて迫られて、ラルフはたじたじだ。

 警備隊長も、堅物のラルフなら間違いも起きないだろうと放置しているという。


 ブルーノは、ひとに散々二十五歳差を詰ったくせに自分だって十九歳差じゃないか!と、めちゃくちゃ成り行きを楽しんでいる。

 果たしてラルフが陥落する日は来るのだろうか。ぜひ早めに来てほしいものだ。


 三従者のひとり、アレン改めてエドはシンシアと婚約中だ。

 シンシアと結婚するつもり満々だった従兄は、なんとジュッディットに恋してしまった。完全に片思いなのだけど、『すまない、運命の人に出会ってしまった』というゲームで定番のセリフを吐いて、婚約破棄を申し渡して来たらしい。


 シンシアは婚約なんてしてないのに、と首をひねったらしいけど、なんと知らないうちに勝手に婚約契約が交わされていたという。

 このへんも、ゲーム第二シーズン開始かと考えてる要因なんだよね。




「アンヌちゃん!」

 店の方から主婦さんの声がした。

「彼氏の迎えだよ! 早く来ないともらってくよ!!」

 弟子仲間が笑う。

「誰があんたにもらわれるかよ!」

 そう答えるリヒターの声。


 使い終わった卵黄のボールと刷毛を置いた。


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