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65・1それから

 夜明け前に部屋に戻ろうと廊下への扉を開けたら、何故か屋敷にいるはずのリリーが入って来た。険しい表情で私の頭から爪先まで舐めるように見て、

「これ!」

 と首筋を指差した。

 リリーの隣にいたブルーノが

「それくらい大目に見てくれ」

 と苦笑する。

 それに答えずリリーはきっとリヒターというかクラウスを睨んだ。

「それしかしてない」と肩を竦めるクラウス。「むしろ褒めろ」


「どうしてリリーがいるの?」

「ブルーノさんに呼ばれたんです!」

 ブルーノが抱えていた荷物をおいた。中身は私の服だった。

「夜明けにそんな格好で廊下をうろちょろしていたら、あっという間に噂の的ですよ」とブルーノ。


 リヒターを見る。

「……いつもこの手?」

「違う!」

「本当ですか?」と半眼でリヒターを見るリリー。「というかお嬢様。なんで公爵様とこんなことになっているのですか!」

「彼がリヒターなの!」

「そんな訳ないでしょう! あのガサツな男!」

「本当よ!」

 ブルーノが声を抑えて笑っている。

「クリスマス直前に警備隊の彼氏の顔にバッグ叩きこんだよな」

 リヒターの言葉にリリーが目を丸くした。

「なんでそれを!」

「だからリヒターなの!」

「まあ……」


 リリーはリヒターの顔と私の顔を何度も見比べた。


「リヒターさんに会えて良かったですねと申し上げたい気持ちはありますが……」リリーは何故か困り顔だ。「お嬢様は王子との結婚が。他の方と婚前にこんな……」

「何もしてねえって!」

 リヒターが叫んで、リリーは

「その口調……。本当にリヒターさんなんですね」

 と呟いた。




 ◇◇




 午前中はラムゼトゥール邸に帰った。屋敷内はまるでお通夜の様相を呈し、家令の元には朝から退職願いが殺到しているとのことだった。


 昨晩のうちに警備隊長と内務大臣の連名で、私たち一家はしばらく自宅から出ないようにとの要請があったそうだ。ただし私は除外だという。国王、王太子不在の中、王子の婚約者として賓客をもてなさないといけないらしい。


 母は、私がクリズウィッドと婚約していて良かったと安堵していた。後ろ指を指されようが、王子妃として堂々してるのよ、と励まされた。

 婚約解消となったらショックで寝込みそうだ。


 義姉は実家に帰りたいとひたすらヒステリーを起こしているらしい。部屋の中は嵐が通ったかのようにぐしゃぐしゃだという。


 これは私がしっかりしないと駄目なのかもしれない。



 屋敷の様子を確認し終え、午後には再び王宮へ向かった。クリズウィッドに、これからのことを話し合うと言われている。


 普段なら紳士淑女でいっぱいの王宮も、さすがに今日は閑散としているだろうと思ったのに、好奇心旺盛かつ逞しき野次馬根性の貴族たちが大量にうろうろとしていた。

 当事者でない彼らにとっては、昨晩の出来事なんて面白い喜劇のようなものなのだろう。


 しかも彼らには格好のエサがあった。誰よりも優雅で貴族のお手本みたいなクラウスが、以前は死神と呼ばれた修道騎士で、あげく、反旗を翻した近衛兵を倒しまくって血まみれだったらしい、と。


 しかもこれを良い機会とばかりに彼は、『優雅なお貴族様』演技をやめた。


 そんな美味しい話題、そりゃ飛び付いちゃうよね。


 とはいえ公爵様は口調だけはまだ装っているらしい。さすがにリヒター口調では、皆仰天してしまうからだろう。


 彼が話題を提供してくれたおかげで、私は思いの外、嫌な思いをすることは少なかった。


 クリズウィッドには私が口を開く前に、おめでとうと言われた。婚約解消を決めてよかったと優しい笑顔で話す彼を見ながら、どうか異教徒の姫が素敵な人でありますようにと願った。


 先代王妃殿下には、

「クラウスには私が素敵な結婚相手を用意していたのに、よりによってラムゼトゥールの娘なんて!」

 と嘆かれた。だけどすぐに続いた。

「ロレンツォ神父から聞いてます。あなたがいかに好人物か。また、彼から、あなたに父親の罪の罰を受けさせないで欲しいと懇願もされました。ですから仕方ありません。認めましょう」

 渋々顔だったけれどね。


 どうやら妃殿下は都にいた頃、個人的にあの孤児院を支援していたらしい。私が彼女を見かけたあの時は、二十年ぶりに孤児院を、というか都を訪れた時だったようだ。


 リヒターはそんなことは全く知らず、突如現れた妃殿下に、ラムゼトゥールの娘と一緒にいるところを見つかってはまずいとさっさと逃げたらしいのだけど、元近衛兵の眼からは逃れられていなかったそうだ。



 で、肝心の話。

 週明けに、先代王妃殿下が議会から国王代理に任命される。やや日を置いてからクリズウィッドと私の婚約を解消。

 異教徒の大使が到着次第、クリズウィッドとの婚姻を提案。了承を受けられたら正式に婚約。場合によっては、当初の予定日に花嫁だけ変更して挙式。

 私は解消が公式に発表されるまでは、王子の婚約者として賓客をもてなし、異教徒の姫到着後は彼女が良き王子妃となれるようにサポートする係りになるそうだ。


 二人が無事に結婚したら、クラウスと私は婚約できる。それは私たちの名誉のためだ、と先の王妃殿下は初めて優しいお顔をして教えてくれた。





 他にも午前の間に沢山のことが決まっていた。まだ父たちは告訴もされていないので、全て内定段階だけれども。


 ラムゼトゥール公爵家及びワイズナリー侯爵家は当主の反逆罪により廃絶。領地は国に返還。

 しかし家族は罰しない約束なので、現ワイズナリー家当主、つまりジョナサンは新たにエヴァンス伯爵に封じられて以前の半分ほどの領地を与えられるそうだ。

 これは彼が報告書を提出したことと、昨晩勤務時間外にも関わらず、身を挺して王子と男爵を守ろうとしたことが大きく評価されたという。


 で、問題はうち。当主のみならず、次期当主も逮捕される予定。その次の当主となるのはまだ三歳の幼児だ。

 それなので、ラムゼトゥール家についてはまだ協議中。


 ザバイオーネ家は以前受けた罰はそのまま。ただしルパートは大学に復学できる。彼が勉学に勤しめるよう財産の一部を返還、また内務大臣が彼を卒業まで預かってくれるという。


 ユリウスの子供たる西翼の三人は、それぞれ所有財産の半分を『自主的に』国に返還となるそうだ。


 王太子妃の姉は本人の望みで離婚。二人の子を連れて実家へ戻るそうで、すでにその手続きに入っているという。


 そうして。先代王妃殿下が国王代理としての役目を終えたら、クリズウィッドが国王に即位すると決まったそうだ。


 ただ、ひとつだけ条件がついていて、それはクラウスが王宮を離れないことだという。てっきり妃殿下が出したものかと思ったら、クリズウィッドらしい。

 彼はにっこり笑って

「一発殴って終わりよりも、生涯に渡ってサポートしてもらうほうが得だろう?」

 と言った。


 どうして殴るなんて言葉が出てくるのか。

 不思議に思ったら、クリズウィッドが王位につくことになったのは、クラウスにはめられたかららしい。

 だけど二人は並んで仲良く話している。どうやら禍根はないようだ。


 そんな姿を見ていたら、視線に気づいたのかクリズウィッドが私を見た。柔和な笑みを浮かべている。

「アンヌローザも私たちのサポートをよろしく頼む」

「ええ。がんばるわ」


 クリズウィッドには友人として出来うる限りの助力をしよう。

 たくさんの感謝をこめて。




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