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64・〔閑話〕王子の意地悪

第二王子クリズウィッドの話です。

 話したいことがある。


 警備再考会議を終え解散となり、皆が席を立つ。

 そのタイミングを待っていたかのように、クラウスは私の目を真っ直ぐに見てそう言った。

 わかった、私の部屋でと答えてから、ウェルナーとジョナサンがこちらを見ていることに気がついた。その顔にはなんとも形容しがたい表情が浮かんでいる。

 二人には笑みを向けて、ここはもう大丈夫だから帰るよう告げた。


 クラウスと並んで、前後は警備の近衛兵に挟まれて廊下を歩く。

 隣の彼からは石鹸の香り。血まみれの身体を洗ったからだ。


 優雅で伶俐、月の王かのような銀髪と美貌を持つ彼が『死神』だなんて通り名を持つ修道騎士だったなんて、到底信じられない。

 反旗を翻した近衛兵を、まるで軍神かのように軽々と倒す様を確かにこの目で見た。それでも。自分とそう体格が変わらない彼が騎士だったなんて、ましてや戦場に長く暮らしていたなんて、思えないのだ。


 いや、思いたくないのか。

 彼がそんな人生を歩まざるを得なかったのは、父のせいだ。


 本当によく、私と友人になったものだ。

 アンヌローザのことだってある。

 こっそり私を暗殺するなり謀略にはめるなりして、彼女を奪うことだって出来たはずだ。復讐の一環と正当化出来ただろうに。


 優しいお人好し、と彼女が言ってたが、全くその通りだ。


 部屋に着き、彼と私だけ室内に入る。

 クラウスは扉を閉めると、その場に平伏叩頭した。


「頼む」

 見えない口から紡がれた声は、苦しみそのものだった。

「チャンスをくれ」


 何のだ?と意地悪い言葉が頭に浮かんだが、口にはしない。


「諦めきれない。理不尽なことを言っているのは百も承知だ」


 ああ、理不尽だとも。アンヌローザは私の婚約者だ。横槍を入れているのはお前だ。

『何も言わず何もしないで』なんて言ったくせに、一年もの間、毎週デートをしていたじゃないか。

 しっかり彼女の心を奪っているじゃないか。

 私たちの間柄が日に日にアンヌの努力の上に成り立っているだけの関係となっていく中で、庶民の人の良い男のふりをして楽しいデートを繰り返して、幸せだったか?


「頼む」クラウスの声が震えている。「伝えたい」


 伝えたい?

 欲しい、ではなくて?


「好きだ、と彼女に……。頼む。諦めきれない」



 アンヌは言っていた。ずっと婚約に戸惑っている自分を励ましてくれていた、と。一年そばにいて、こいつは確かに『何も』言わなかったのかもしれない。


「……譲ってくれと言われるのかと思った」

 クラウスの形良い後頭部を見ながら言う。まだ濡れている髪。そこまでも洗う必要があったのだ。


 彼は頭を上げた。

 泣きそうな顔をしている。

「言いたいさ! 譲ってくれ、彼女をお前にも誰にも渡したくない!」そう言う声は更に震えている。「だけどお前も彼女が大切だろう? それに俺は彼女の想う男じゃない」


 クラウスはまた頭を床につけた。


「頼む。せめて。お人好しだからじゃない。好きだから守りたかったと伝えたい」


 こういう所がお人好しなのではないか?

 私に断りなんて入れずに、想いをさっさと伝えればよかったのだ。そうすれば両思いだとわかったはずだ。

 そうして二人で一緒に頭を下げに来たら、思い切り不義を詰り怒ることがでた。


 ……駄目だな。私はいつまで経っても卑怯で姑息だ。

 作戦として恋心を告げなかった私とは違う。


 クラウスは私の命を救った。その褒美として彼女をくれと望んだっていいはずだ。それなのに平伏し頭を地につけ、懇願している。

 ある意味ズルいのか。

 彼と私は親友で、これを撥ね付けられるほど私は狭量ではないし、彼はそう分かっているはずだ。


 なんて言う?

 好きにしろ、と?

 それとも正直に、すでに彼女との婚約は解消すると決めてあると話すか?

 だけど一年も、別人としてだろうが、彼女と町歩きをしていたことを隠していたのだ。一矢報いてやりたい。私は彼女を失うのだ。そのぐらいしても、いいだろう。



 変わらず床に頭を付けているクラウス。


「……彼女にはっきりとフラれたら、腹をくくって異教徒の姫と結婚する」

「本当か」

「ああ」


 先程、再考会議の前。クラウスが血を落としに行っている間にウェルナーから聞いた。

 彼は全て終わったら、修道騎士に戻るつもりでいる、と。貴族の生活は性に合わないし、何より王位争いに関わりたくないからだそうだ。


 それを曲げて意に染まない結婚をしてでも、想いを伝えたいなんて……

 ただの馬鹿だ。私の許可なんて求めなければいいのに。


 だがあの堅物のラルフが兄がわりだったらしいからな。筋を通すことしか知らないのかもしれない。


「分かった。許す」


 クラウスが顔をあげた。

「そこまで言われたら、仕方ない。父も兄もいない以上、向こうの望む王族と言えるのはお前と私だけだ。和平の為には、言う通り腹をくくる必要がある。約束は違えるな」

「勿論だ。ありがとう」

 親友の顔に喜びと諦観が混ざったような表情が浮かぶ。

「もしアンヌローザがお前を選ぶなら、婚約は解消して私が姫と結婚しよう」


 クラウスは呆けた表情で、ゆっくりとまばたきをした。

「……本当か?」

「本当だとも。私も腹をくくる」

 既にもう決めたことだけれども。しかも。


 つい先刻のことを思い出す。

 『ルカ僧なのね。良かった、生きていてくれて』

 クラウスに向けてそう言った、アンヌローザの嬉しそうな声。

 そう言われた、クラウスの泣き出しそうな笑顔。


 あんなやり取りを見せつけられたら、流石に諦めをつけるしかない。だがそれは教えてやらない。僅かに与えられた希望にすがって、どうやって『ウェルナーを好きな』彼女を振り向かせるか、悩めばいい。

 これくらいの意地悪をしたっていいだろう?


 クラウスはまた頭を床につけた。


「なあ、クラウス。私たちは友人だ。そうだろう?」

 彼が頭を上げて、無言でうなずく。

「私に向かって平伏するのは、何があろうとも、これきりにしてくれ。お前にそんなことをされるのは、アンヌを失くすのと同じぐらい、辛い」


「……すまない」

 彼は立ち上がった。

 ふわりとまた石鹸が香る。

「長い夜だった。お前にはめられて即位することになってしまったが、恨んではいない」

「……すまない」


「友人だからな。今まで辛酸を舐めてきたぶん、これからは心穏やかに生きてほしいと思っているよ」

 クラウスは目を見張った。

「なんだ、その顔。私だって狭量なばかりではないぞ」


 右手が差し出される。

 それを無言で握り返した。



 それから、お休みと言い合って、彼は部屋を出て行った。

 長椅子に座り息をついて。


 そうだクラウディアに泣きつきに行こうと思い立った。まだ婚約解消のことも伝えていない。

 さすがに慰めてくれるだろう。


 やって来た侍従に、彼女は一人かと尋ねると、そうだとの返事。良かった、フィリップがいなくて。

 重い身体に鞭打って、立ち上がった。


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