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61・4落着

「怪文書が出たときに、父にことの真偽を糺し、報告書を持っているのではと問い詰めました。だが彼は何も答えないまま、殺されてしまった」

 ジョナサンが淡々と話す。こちらからは背中しか見えない。

「その後ずっと探していましたが、つい先日見つけたのです。そこから推測される事実をヒンデミット男爵に謝罪しなければと思いつつも……」

 彼は少しの間言葉を切った。

「報告書はワイズナリー家以外にも影響を及ぼす。どう公表するのが一番良いのか、迷っていました」


 ジョナサンがゆっくりと振り返り、その目は真っ直ぐにルクレツィアを見た。

「勇気ある発言よ」彼女ははっきりと言った。「支持します」

 ジョナサンはにこりとして、再び前を向いた。


「少し時間は掛かりますが、取って参りますのでお待ち下さい」

「必要ない!」とユリウス。

 一方で王妃殿下は、

「ワイズナリー侯爵。それは後日で構いません」と言った。そして。「先にクラウスの二件の暗殺未遂事件について話します」


 私たち三人に緊張が走る。

「暗殺未遂事件?」とクリズウィッド。「王宮に来てからの?」

「いいえ。クラウスは幼少の頃から何度となく命を狙われました。その中で犠牲者が出たのが二件です」


 幼少の頃から何度となく?


「王妃殿下は彼が何度も狙われているのをご存知だったのですか?」

 考えるより先に口が動いていた。彼女が私を見た。強い視線。貫禄。

「もちろん、彼の動向に注意を払っていましたから」と王妃殿下。

「それなのに助けの手を差し伸べなかったのですか?」

「そうです。危険な賭けではありましたが、私が彼を助ければ余計にユリウスたちが彼を狙う危険性が高まります。また、この日が来るまで私は家族を亡くし生きる気力を失った王妃を演じる必要がありました。だから仕方なかったのです。もっとも二件目を知った時には、もう彼は行方がわからなくなっておりましたが」


 モヤモヤした。

 それは詭弁なのでは?

 だけど私が口を開くより早く、ブルーノが私の口の前に指を立て、首を横に振った。小さな声で

「今は抑えて」

 と言う。


 視線を王妃殿下に戻すと彼女は既にこちらを見ておらず、クラウスが何やら話しかけていた。うなずく王妃殿下。

「そこの近衛兵。ザバイオーネ夫人を放しなさい。そのような暴力は必要ありません」


 言われた近衛兵は戸惑いの表情で視線をさ迷わせた。それからそっと夫人の腕を離した。クラウスが歩みより、ハンカチを差し出す。受け取った夫人は口元の血を拭った。


 あの人はこんな時でも優しい。


「クラウス暗殺未遂事件」と王妃がよく通る声で言った。「一度目は彼が五歳時の毒殺未遂。幼児ひとり死亡。二度目は十歳時の屋敷襲撃及び放火。六名死亡」

「そんな事件、聞いたこともない」とユリウス。「でっち上げでないなら、警備隊が記録している調査書を持って来い」

「ないのはあなた自身がよく知っているはず。隠蔽及び改竄したでしょう?」と王妃。「クラウスは既に黒幕を突き止めているわ」


 クラウスがうなずくのが見えた。心臓を握り絞められているかのような痛みが走る。


「どちらの事件も黒幕はあなただ。ユリウス国王」


 彼の静かな声が広間に響く。

 途端に安堵で座り込みそうになった。父は関わっていなかった!


 だけれど、ユリウスはルクレツィアの父親だ。彼女を見ると目が合った。青白い顔に、微かな笑みを浮かべている。

「あなたのお父様でなくて良かったわ」

「ルクレツィア!」

「どちらのお父様でも、私たちの仲は変わらないわ」とシンシア。「クラウスにとってもね。最初から分かっていたことでしょうから」


 三人で身を寄せあって手を握り合った。


「また、何の証拠もないことを」とユリウス。

「残念ながら、毒殺事件の方は証言しかない。だが」

 クラウスは微笑んだ。ぞっとするほど美しかった。

「屋敷襲撃については実行犯をとある牢獄に捕らえてある。正式な自白の調書を取り、その立会人もいる」

「そんなことがあるか。十年も前の事件の犯人などみつかるはずがない」

 父が言う。

「十年かけて全員を探しだした。すでに彼らを金で雇った指示役も捕縛済みだ。先週から無断欠勤をしているだろう?」

 クラウスがそう言うと、はっきりとユリウスの顔が強ばった。


 王と宰相の周りから少しずつ人々が下がっている。

 近衛兵はかろうじて動いていないが、連隊長以下、第一師団の面々は戸惑いの表情で顔を見合せていた。


「さて」王妃殿下が声を張り上げた。「国王ユリウス。宰相ラムゼトゥール。あなたたちを殺人罪で告訴する」

 かつての調査官コックウェルが巻物のようなものを広げて掲げた。

「王子クラウス、王子アルベルト、王女コーネリア、侍従……」

 王妃殿下が次々と名前を挙げていく。

「近衛連隊長……、王宮侍医……、調査官ヒンデミット、」

 何人いるのか分からないほどだ。

「それからユリウスに対し同じく殺人の告発をする。フェルグラート家家庭教師……」

 王妃殿下はクラウスに関わる七名の名を呼び上げたあと、息をついた。

「最後に。ユリウス、ラムゼトゥール。両名を先代国王を殺害した反逆罪で告発する」


「証拠は!」と叫ぶユリウス。

 だが彼の周りはもう父しかいない。近衛すら距離をおき、様子を伺っている。

「勿論、提出するわ。あなた方が脅して従わせた侍医が、こっそり残してくれていたのよ」

 王妃の言葉にアイーシャがうなずいたようだ。


「先代国王妃として、緊張事態を宣言する。現国王、宰相はその任を凍結」


 すごく嫌な予感。

 シンシアの手に力が入る。


「本来の王位継承者クラウス・アルベルト・コーネリア・フェルグラートを国王代理に任じ、全ての解決を委ねる。また期間中は国王と同等の権利と義務が生じる」


「何の権限でそんなことを!」とユリウスが叫ぶ。

「王太子にも殺人の嫌疑がある。国王、王太子、宰相が不在ならば、他に方法はない」

 王妃は力強く断言した。


「異議あり」


 落ち着いた声だった。王妃殿下もその他の人々も一斉に声の主、クリズウィッドを見た。

 再び心臓を鷲掴みされたかのような痛みが走る。

「なぜかしら?」と王妃殿下。


「そこにいるクラウスはあなたの夫でも子供でもない。分かっていらっしゃるか?」

 王妃殿下は今夜初めて戸惑いを見せた。

「あなたの夫と同じ顔をしていても、あなたの子と同じ名前をしていても、クラウスはあなたの大事な人たちとは別人だ。彼は王位など望んでいない。むしろ先代国王陛下の顔と三人の殿下の名を持つことに苦痛を感じている。そんなことにも気づかず、事を進めて来たのか。それとも知った上で彼の意志を無視してきたのか」

 隣に立つクラウスを王妃殿下は見た。だが彼は何も言わず、表情はない。


「彼のことだ、何かしらあなたの手を借りねばならなかった、その協力の礼として国王代理を引き受けたのだろう」


 そうだそうだ!

 がんばってクリズウィッド!


「優しい奴だ。あなた方の復讐に全人生をかける生き方を、知らぬふりも出来なかったに違いない。クラウス。お前は妃殿下の復讐を成功させ、国王代理となって父たちの断罪を行い腐った王宮を建て直し、それら全てが終わり平穏を取り戻したら、私を王にするつもりなのではないか?」

「そうですよ」

 答えたのはウェルナーだった。


「クラウス、本当ですか」王妃殿下が問う。


「茶番だ! 国王はワシだ!」

 ユリウスが叫びながら足を進めると、その前にすっと近衛連隊長が立った。小声で諫めているようだ。


 一方でクリズウィッドは王妃殿下に歩み寄った。

「父の犯した罪は慚愧の念に耐えない。心より謝罪したいと思っている。だがクラウスをあなたの都合のいいように使うな。散々茨の道を歩んで来た彼に、これ以上の辛酸をなめさせないでくれ」


「そ、そうよ!」

 小声にしかならなかったけれど、クリズウィッドひとりの意見ではないと主張する。シンシア、ルクレツィアも同調した。


「あなたが始めた復讐なのでしょう?」クリズウィッドはまた敬語に戻った。「あなたが最後までやり遂げるべきです。国王代理になるのは、あなただ」


「勝手に決めるな!」ユリウスが叫ぶ。


「賛成!」

 今度はやや大きな声で賛同する。ルクレツィア、シンシア。後方からクラウディアも声を上げる。

「それが良い」

 と言ったのはジョナサンで、他からもクリズウィッドの意見を支持する声が上がった。


「では決まりだ。内務大臣、至急手続きの用意を。近衛連隊長、ユリウス以下四人をそれぞれ部屋に隔離。内外に監視員四名を必ず配置。一切外部と取り次ぎさせるな」

 クリズウィッドが矢継ぎ早に指示を出した。


「式典出席のため諸国より来訪下さったご客人。歓迎会がこのようなことになり誠に申し訳ない。王宮にお泊まりの方には部屋に美酒を、外部にお泊まりの方には手土産を、贈らせていただく」

 彼はぐるりと広間を見渡した。

「レセプション舞踏会はこれにて終了。明日以降の式典は全て中止とする」


 クリズウィッドの朗々たる声が響き渡った。


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