60・〔閑話〕11年前
11年前、クラウスの話です。
嵐でも近づいているのか、外は風が凄まじい唸りをあげ、窓ガラスは激しい音を立てている。それどころか廊下に通じる扉の隙間からも風が入ってくる。
ついにどこかの窓が割れたのか、と確認のために部屋を出ると、廊下を突風が駆け抜けた。
階段まで行くと原因がわかった。こんな時間なのに珍しく、階下の玄関扉が開いている。外には四人の人物。父子と、白い特徴的な衣服の二人組。応対しているのは私の家庭教師。何やら押し問答をしている。
「どうかした?」
と声をかけると一斉に視線が向けられた。家庭教師が、こちらの主人です、と私を紹介する。
よく見れば子供が具合が悪そうだ。私と変わらない年頃に見える。
外は馬ですら飛んで行きそうな強風の上、夜の帳が落ちかけている。きっと泊めてほしいと、うちに来たのだろう。
「このような中、追い返してはいけないよ。お泊めしよう」
そう言うと家庭教師が、ですが、と叫んだので手で制す。
「旅の方。お泊めしますが条件があります。決してこちらに泊まったことを口外しないで下さい」
来訪者たちはうなずく。
「ですが部屋がございません」
なおも家庭教師は食い下がる。
部屋数はあるけれど人手も資金も足りなくて、使える部屋は自分たちの分しかない。
「問題ないよ。私の寝室と君の寝室をお貸しすればいい。旅の方たちは、申し訳ないけれど、二人ずつお使いください」
「ご主人たちは……」
と白い衣の年長者の方が問う。
「私たちは図書室の長椅子で十分です」
◇◇
「……叫び声、でしょうか?」
家庭教師の寝室で寝支度をしていると、彼が不安そうな声をあげた。
白い衣の二人組は寝室を辞退し、図書室に泊まることを選んだ。夜営に慣れた身だからベッドは必要ないと、言い張ったのだ。
二人で耳を澄ます。だが聞こえるのは風の音だけだ。
「あなたは暖炉へ。私は確認して参ります」
思わずその腕を掴む。
「暖炉へ。万が一の場合は、わかってらっしゃいますよね」
ぎゅっと抱きしめられた。
「きっと気のせいです。ですが、『その時』はお約束を違えないで下さい。よろしいですね」
家庭教師に暖炉に追いやられる。仕方なく中へ入り身を隠す。
それを確認すると、彼は部屋を出て行った。
◇◇
家庭教師が帰って来ない。
外では風が唸りをあげていて、他の音は聞こえない。
一体どうしたのだろう。
どれだけ時間が経ったのだろう。
家庭教師は?
他の者たちは?
まさか。
頭に浮かぶ最悪の事態を必死に振り払う。
そんなはずはないと、自分に言い聞かせる。
旅人は善良に見えた。一人は子供。具合が悪かった。
あれは演技だったのか?
悪人たちを招き入れてしまったのか?
いや、そんなはずはない。
と、扉が開いた。
二人のようだ。
誰だ。
家庭教師と侍女?
「ご主人!」
違う! どちらでもない。
体がガタガタと震え出す。
「ご主人! いらっしゃらないか! 図書室をお借りした者です!」
白い衣の二人組だ。
部屋の中を探し回っているようだ。
「ご主人! 大変です! 屋敷に火を放たれています! 逃げないと!」
火?
家庭教師は?
侍女は?
下男は?
料理番は?
「いないな」
「難を逃れたのか?」
「それとも連れて行かれたか?」
難?
体の震えが止まらない。
「ああ。あそこ」
足音が近づいて来る。
逃げなければ。煙突を登って逃げなければ。
家庭教師と約束をしている。『その時』は一人でも必ず逃げる、と。
なのに体が言うことをきかない。
「ああ、ご主人!」
見つかった!
「よかった、ご無事で! 急いで逃げましょう。火に巻かれてしまいます」
「大丈夫、私達を信じて下さい」
暖炉から引っ張り出される。
部屋がうっすらけぶっている。そういえば目がしばしばするし、息苦しい。
「失礼!」
その言葉と共に年長者に担ぎ上げられた。
「しっかり捕まっていて下さい。逃げます!」
「目をつぶって!」と若い方。
そうして出た廊下の先に。
煙の中、床に伏している二人の影が見えた。
ピクリとも動かない。
なぜ。
家庭教師と侍女の名を、あらん限りの力を振り絞って叫んだ。




