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60・1舞踏会直前

 クリズウィッドの雰囲気が変わったのはリヒターの話をした少しの間だけで、その後はまた和やかな空気に戻った。

 舞踏会の時間が近づくと、彼のエスコートで部屋を出た。その腕に手をかけるのも今日で最後だ。



 ……もし私の結婚が中止となったと知ったら、リヒターは帰って来てくれるだろうか。帰るのは無理でも連絡をくれないだろうか。

 私も好きだったと伝えたい。


 もっともその前にゲームエンドを乗り越えないといけないけれど。


 会場近くまで来たところで、侍従と官吏が駆けて来てクリズウィッドを呼び止めた。式典に関する急ぎの件らしい。謝る彼に、そばで待っていると言って場を離れた。

 ぼんやりと窓外に浮かぶ月を眺めていたら、

「話し掛けてもよろしいでしょうか」

 と声を掛けられた。振り向くと、そこに立っていたのは主人公だった。


 ピンクを基調とした可愛らしいドレスを着て、髪は先日のように緩やかなアップにしてある。手は前で重ねられていて、すっかりご令嬢らしくなっている。


 彼女には近づかない予定だけれど、きちんと声をかけてきたのを無下には出来ない。笑顔を浮かべて、何かしらと尋ねた。


「わたくし事ですが、最近お友達ができました」と主人公。「優しい人たちで、私の良くない点をきちんと説明しながら教えてくれました」

 きっとマリーとテレーズたちだ。

「伯爵家でもマナーの先生はいたのですけど、王宮にはついて来てくれません。だから自分の何がいけないのか、ちっとも分かってなかったんです」

 なるほど。

「それに伯爵は、とにかくよい結婚相手を見つけろと言うばかりで。身寄りのなくなった私を引き取ってくれた恩がありますから、言われるままになっていました。段々何が正しくて何が正しくないのかわからなくなってしまって」


 これはもしや、今までの謝罪?


「アンヌローザ様のことも周囲に言われるまま、稀代の悪女だと思い込んでいました」

「『稀代の悪女』という響きは何やら素敵ですけど、私は普通の令嬢です」


 主人公はうなずいた。

「少なくとも悪女ではないと気づきました。今まであれこれすみませんでした」

 やったあ! 和解。謝罪。これは悪役令嬢ではなくなるんじゃないの? ギリギリのタイミングで。

 とりあえず。

「ありがとう、分かって下さって。それから、謝る勇気を出して下さって。とても嬉しいわ」

 主人公はペコリと頭を下げた。

「本当にすみませんでした。では。失礼します」


 去っていく後ろ姿は、完全に令嬢だ。

 ゲーム的にこの変化はどうなのかわからないけれど、彼女が都の貴族社会で生きて行くつもりならば、絶対にプラスのはず。


 それにしても、だ。

 ますます今後の展開がわからなくなってきた。このまま大団円ってことはないだろうか。


「ラムゼトゥール公爵令嬢?」

 また呼び掛けられた。今度は誰だ?

 振り返ると、ヘルツ将軍がいた。

 何故声を掛けられたのかわからないが挨拶を交わす。と、

「マルコ僧たちに助けられた経験があると聞きましてな」

 野太い豪快な声で言われた。そうだ、『成人式』のときにクラウスが彼とブルーノたちの繋がりを話していた。


 しばらくの間は彼の、あの二人にまさか王宮で再会するとは、という驚きについて聞かされた。

 ふと思いついて、

「将軍はルカ僧もご存知なのですか?」

 と尋ねた。

「勿論。素晴らしい騎士になっただろうに、残念なことだ」


『なっただろうに』? 『だった』ではなくて?


「マルコ僧もまるで息子のように目をかけてましたからな。ショックは大きかったでしょう。あんな若さで病死では」

「若かったのですか?」

「マルコ僧付きの見習いになったとき子供だったですからな。あの時幾つと言っていたかな、ええと……」

 ヘルツ将軍は指を折りながら何かを数えている。

「……生きていたら二十二、三くらいか。まだまだこれからの騎士だった」


 それなら私を助けてくれたときはまだ二十歳ぐらいだったのだ。そんな若さで、警備隊にも名が知れ渡るほどの騎士だったのだ。どれほど幼くして戦場に出たのだろう。


 ポケットの中のロザリオを服の上から握りしめる。私の心を救ってくれたルカ僧。彼がいなければきっと私は罪悪感に押し潰されていた。

 そうだ。バッドエンドを回避したら、明日は一日教会で祈ろう。まずはルカ僧のために。それから都を出たリヒターの無事を。おまけでクラウスも。姿を消すはめにならないように。


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