59・〔閑話〕王女対お子さま
第二王女クラウディアの話です。
侍女がフィリップが迎えに来たと告げる。来るなと散々言ったのに。
鏡台の前で取っ替え引っ替えして悩んでいた首飾りの中から、ややおとなしいデザインのものを選んでつける。
今日の夜会は、陛下の在位二十周年式典に出席するために都へやって来た賓客をもてなすものだ。二度目の出戻り中といえども王女ではあるから、多少は品の良いアクセサリーにしておこう。
二度と結婚するつもりはないけれど、賓客の中には楽しく遊べる素敵な男がいるかもしれない。
と、鏡の中にフィリップが映る。
「王女の部屋に勝手に入らないでくれるかしら?」
ズボンのポケットに両手を突っ込んだお子さまは、返事はしないで代わりに
「そろそろ俺に惚れたか?」
と尋ねた。思わずため息がこぼれる。
「ええそうね。負けたわ、惚れたわよ」
これで勝負は終わり。あとは彼が私をポイ捨てするだけだ。
「……お前、面倒になっただけだろう?」
まったく、本当に面倒なお子さまだ!
「本当に惚れたなら、今日は他の男と踊るな」
「はいはい、わかったわよ」
「真面目に言ってる」
鏡の中のフィリップは渋面だ。
「……ムリよ。諸外国の賓客をもてなすのよ。腐っても王女ですもの」
フィリップはツカツカとそばにやって来ると、私の顎を掴んだ。
唇が重なる。
「お子さまが生意気よ。口紅を直さなきゃいけないじゃない」
「踊るのは仕方ないが口説かれるな。口説くな」
「いい加減、私に執着するのはやめて年の近い可愛い子を誘いにいきなさいよ」
フィリップは私の左手をとると、ポケットから取り出した指輪を勝手にはめた。
「……なにこれ」
「買った。喜べ、俺が女にプレゼントを贈るのは初めてだ」
「……いらないわよ」
「内側にお前と俺の名前が彫ってある」
「バカじゃないの!」
一体何を考えているのだ。いくら自分に惚れさせたいからといって、やり過ぎだ。
フィリップは私の左手を握りしめた。
「あと、三年三ヶ月待て」
「どうして?」
「二十歳になる。今のフェルグラートと同じ歳だ。もう『お子さま』とは言えないぞ」
「あなたなんて私から見たらいつまで経ってもお子さまよ」
「二十歳までに絶対商売に成功して、大富豪になってみせる。爵位はないが、貴族と変わらない生活をさせると約束する」
フィリップは膝をついて、握りしめていた私の左手にキスをした。
「だから三年三ヶ月後に結婚してくれ。俺は本気で惚れてる」
動悸がする。いやだ、まだ二十代なのに、不整脈だなんて。
「早くわかったと言え」
「……私と結婚したら二年で死ぬのよ」
「だからなんだ。お前なしで長生きするより、お前と二年一緒にいるほうがいい。だが俺が死んだあとに再婚することは、いや、男遊びすることは許さん。その時は修道院に入って俺のためだけに祈れ」
「冗談じゃないわ。私は楽しく遊び暮らすの」
「仕方ない、俺が死んだあとは好きにしていい。だがまずは俺に惚れて結婚しろ」
「……バカじゃないの」
「お前が俺をバカにしたんだ! 責任とって俺に惚れろ!」
私の手を握りしめたままのフィリップは、眉間にシワを寄せたままだ。それなりに整っている顔がだいなしだけど、私といるときはいつもこんな顔をしている。
他にも断りたい理由は山ほど思い付く。
「奔放なお前が好きだ。奔放なくせに兄妹や困ってる奴に世話を焼くお人好しなところも好きだ。二十歳までに絶対に良い男になるから、俺に惚れろ」
「……」
「頼む」
フィリップが口を引き結ぶ。不思議なことに、渋面が泣くのを堪えているかのように見える。
「式典であちこちからいい男が集まってる。お前を取られないか不安なんだ。……俺はお前の言うとおり、まだ社交界デビューしてやっと一年のお子さまだ。分が悪すぎる」
ため息をついた。
バカだ。フィリップも、私も。
「本当、あなたってお子さまよね」
「わかってる。だから時間をくれ」
「……とっくに惚れてるわよ」
もう一度ため息をつく。
ああ。とうとう言ってしまった。
ガッと力強く引き寄せられて、抱きしめられた。
「言ったな! しかと聞いたぞ!」
「はいはい」
「俺がお前を迎えられる男になるまで、他の男に口説かれるな!」
「それは私の努力でどうにかなることではないわよ」
「じゃあ、口説かれてもついて行くな!」
「分かったわよ」
「クラウディア」
聞いたことのない優しい声で呼び掛けられて、びっくりして身を離す。するとフィリップは見たことのない優しい顔をしていた。
「お互いにポイ捨てはなしだぞ」
「……そうね」
再び引き寄せられてキスをする。
今の顔は反則だ。
また不整脈が激しい。
年上の威厳を保つため、この心音には気づかれたくないわね。




