56・〔閑話〕王子の悔恨
第二王子クリズウィッドの話です。
書類を持って軍務省に入る。一応それなりの要職についてはいるけれど、目上の宰相一派には嫌がらせのように、使い走りをさせられる。それにいちいちぼやいてはいられない。
さっさと必要な判を貰おう。
そう考えながら廊下を曲がると、人気の少ないそこにクラウスを見つけた。小脇に書類を抱え、ぼんやりと窓の外を見ている。
その姿に首をひねる。
彼らしくもない。だがその前に。今日は何曜日だったか?
いや、思い違いではない。今日は普段ならクラウスが留守にする曜日、今はまさしくその時間だ。
何故なのか詳しくは教えてくれないが、どうしてもこの曜日のこの時間だけは教会へ行きたいからと、昼休みをわざわざずらして毎週必ず職場を抜け出している。
何故今日はここにいるのだろう。
近づいて窓の外に目をやる。見えるのは大聖堂や教会の塔。やはりそちらに行きたいということだろうか。
「クラウス」
普段ならとっくに私の存在に気づいている距離なのに、変わらず外を見ている親友に声をかけると、彼はゆっくりこちらを見た。心なしか表情が暗い。
「どうした。教会に行かなくていいのか?」
「……どうにも仕事が立て込んでいてな。式典が終わるまでは無理そうだ」
「そうか。陛下から直接の仕事も多いしな」
彼はうなずく。
「お前は?」
「大臣の判」
書類を掲げる。私もだ、とクラウス。
二人で並んで大臣室に向かう。
彼は相も変わらずやつれ気味だ。忙しくてと言うけれど、絶対にそれだけが理由ではないはずだ。
お互いに判をもらい大臣室を辞したあと、彼を空き部屋に誘った。
彼は窓に歩みより、外を眺める。そんなに外に行きたいのだろうか。
その後ろ姿に声をかける。
「異教徒の姫だが」と。
先日異教徒の国から使者の先触れが到着した。やはり和平の申し入れだった。
とはいえ長年に渡って戦を仕掛けてきていたのはあちらだ。和平と誠意の証として、あちらの姫をこちらにくれるという。予定どおりなら姫と正式な使者は来月中旬までに到着する。
なんという勝手な申し出だ。
ただ、くれるといっても王妃にしろと望んでいるわけではないらしい。王族の側室の一人にでもしてくれればよいという、軽い話だという。
年は十七。見せられた肖像画の通りなら、肌や髪の色は私たちと違えども、美少女だ。
陛下は喜んで側室に迎えると言っている。だが年の差は二十以上ある。姫が気の毒だし、この関係を異教徒の国が本当に良しとするかわからない。
兄のオズワルドも同じだ。本人は乗り気。だけど金遣いが荒く愚行ばかり、しかも女遊びも(妻に隠れて)激しい彼では、失礼ではないか。
そうなると私。だが結婚間近。もちろん側室を持つ気など微塵もない。
「姫との結婚、考えてもらえないだろうか」
そうクラウスに頼みこむ。
高官たちが最終的に候補に上げたのがクラウスだった。国王の甥。年も近く独身。婚約者もいない。公爵家当主。なにより周辺国からの覚えが目出い有能な官吏で性格も良い。
彼なら姫も異教徒の国の王も納得するだろう。
むしろ彼以外に適任者なんていない。
だが。この話を彼は断った。即拒否だった。
今も、私の声は聞こえているだろうに、返事をしない。
異教徒の姫をもらえば、他国へ婿入りできなくなる。私には助かる話だ。まして彼に妻が出来れば……。
「異教徒の国ではあるが力は強大だ。悪くない婚姻だ」
クラウスは黙ったままだ。
「二年ずつ妻を変えるより余程いい。どう考えても、お前が一番の適任者だ。そうだろう?」
結婚年齢にある男子の王族は、たった四人。今の陛下と兄と私。兄の子はまだ幼い。父の兄弟たちはとうに亡命をしている。近しい等親で唯一国に残っているのが、クラウスなのだ。彼が拒否するならば、異教徒の姫は陛下か兄の側室になるしかない。
「和平のためだと考え……」
「そんなに俺を追い詰めて楽しいか!!」
私の言葉を遮って、窓ガラスさえも震えるような大声が部屋に響き渡った。
「俺はずっと黙って我慢してきたじゃないか! お前の友人として、お前を立て、何も言わず何もしないで! お前に見せつけられようが貶められようが、文句ひとつ言わなかった!」
顔から血の気が引くのが分かった。
握りしめられたクラウスの拳が震えている。
「それなのにまだ足りないのか! 俺に他の女をあてがわないと安心できないのか! 和平のためと言うのなら、お前が姫を娶ればいい! 婚約を解消して、そうして彼女を……」
そこで言葉は途切れた。
クラウスは窓の外を向いたまま、微かに震えている。
重苦しく長い沈黙のあと、彼は顔を伏せたままくるりと振り向き私の横を抜けて部屋を出て言った。
いつも平静なクラウスが、感情の昂りを見せたのは今まででたったの一度だけ。
ゴトレーシュの娘のせいでアンヌローザが虐めをしているとの、嘘の噂がたった時。彼は怒りを露に娘に詰め寄った。
それでも、これほどの爆発ではなかった。
呆然と彼が消えた扉をみつめる。
クラウスが彼女に惹かれていることは、気づいていた。幸い彼女は別に好きな男がいるから、彼を好きになることはないだろうと思った。
思ったけれど、やはり不安で仕方なかった。私から見てもクラウスはいい男だ。彼女がどこの馬の骨ともわからない庶民の男に愛想をつかし、クラウスに恋するのではないかと気が気じゃなかった。
ついつい彼の前では殊更に婚約者であることを強調し、逆に彼女の前ではクラウスに欠点があるかのような発言をしてしまっていた。
クラウディアには随分叱られた。
姑息すぎる、と。
だけど彼は何も言わなかった。
てっきり彼の気持ちに私が気づいていることを、知らないのだと思っていた。
知った上で、怒ることもせずに友人でいてくれたのか。
『婚約を解消して、そうして彼女を……』
クラウスが飲み込んだ言葉。
あれだけ感情を爆発させても、あいつは肝心な言葉は堪えたのだ。
それだというのに、私は……。
自分の未熟さに反吐が出そうだ。
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