53・〔閑話〕王子の憂慮
第二王子クリズウィッドの話です。
「クラウスは?」
尋ねるとウェルナーは苦笑いを浮かべた。
「シュタルクの大使に捕まってますよ。先に始めてくれとのことです」
「またか」
「陛下が彼をこき使ってますからね。今が口説き落とし時だと攻勢をかけているようですね」
穏やかな表情でそう言ってウェルナーは椅子に腰かけた。
晩餐を三人でと約束をしたのだが。
仕方なしに控えている侍従に頷いて合図を送る。どのみち彼はいつも前菜を食べないから、先に食べ始めていても、なんの問題もないのだ。
問題は、シュタルク大使だ。
クラウスをどうしても娘婿にしたいらしい。血筋、頭脳、外見と三拍子揃っているうえに、あまつさえ性格に欠点もない。自分の後継者にと望むのは当然かもしれない。
唯一難点をあげるとしたら、彼を婿にと望む外国のお大尽が多い、ということぐらいだろう。
少年期からの十年を修道院で過ごしたクラウスは、そうとは思えないほど博学だ。彼の弁では出家前に付いていた家庭教師のおかげらしい。いつ何が起きても貴族令息として通用するようにとスパルタで教え込んでおいたのだという。
おかげで彼は近隣諸国の言葉を自在に操り、我が国の歴史にも法律にも通じている。天は二物を与えないと言うけれど、彼はこれでもかというほど与えられている。
その代わりの、過酷な人生なのかもしれない。
陛下はこの優秀すぎる甥を自分の欲望を満足させるためだけに利用している。
大嫌いだった兄を支配しているという錯覚に喜ぶため。
かつてのライバルを寛容にも側におく善王というイメージを民に植え付けるため。
優秀な公爵さえかしづく優秀な王と諸外国にアピールするため。
笑えることに、その最後の目論見が全く上手くいってないことに、本人は気づいていない。むしろ諸外国の貴族たちは、こんな愚王に仕えるのはやめてうちの国にくれば、いや婿に入ってくれればもっと厚待遇だと勧誘競争をしている。
正直なところ、魅力的な誘いはかなりあると思う。クラウスが我々を見限って他国へ行くと決めても仕方ないだろう。
「お前から見てどうだ?」とウェルナーに問う。「あいつの心は動きそうか?」
「さあ。私にはなんとも」
「だが最近多すぎる」
「あれもあるでしょう。ワイズナリー侯爵令嬢。彼女が本命ではと言われ始めたものだから」
「そうか」
あいつが彼女の見届け人になったのはラムゼトゥールの嫌がらせのせいだった。けれど彼は実直かつ丁重にその役をこなした。
奴を娘婿にと考える人間は、焦って当然の振る舞いだった。
「取り巻きたちもだいぶざわついているようだな」
ウェルナーは、無言で頷いた。
「実際のところあの女たちの中でクラウスと付き合っているのは誰なんだ?」
彼の周りはいつも多くの女性がいるが、さすがに全員ではないようだ。本人に尋ねても教えてくれない。
「知りませんよ」
ウェルナーは肩をすくめた。
時折、実は誰とも何もないのかと思うときもある。
だけれどたまに姿を消し、戻ってくると女性の移り香が香っているので、そういうことなのだろう。
「ここに留まってほしいのだが」
「どうでしょうね」
ウェルナーは友人の婿入り勧誘をあまり深刻には捉えていない。
ここのところあいつがやつれているのも、心配ではない様子だ。
私が知らない何かを知っているのだろうか。
例えばもう決意済み、だとか。
「……他国へ婿入りはしないと思いますよ、彼は」
かなり長い沈黙のあとにウェルナーはポツリと言った。
「そうか?」
「野心家ではありませんからね。大臣高官になりたいと望んではいない。婿入りはそれを望まれてのことでしょう?」
確かに宰相派閥とやり合ってはいるが、それは向こうが絡んでくるからであり、彼が地位を欲しがっている様子はない。
私には、国のために要職につき兄をサポートする覚悟を持てと説教するくせに。
「どちらかといえば」
ウェルナーはカトラリーを持つ手を止めて、また長い間口を閉じた。
黙って彼の言葉を待つ。
だが彼が口を開くより先に、クラウスが姿を見せた。
「遅れて済まない」と言いながら優雅に席につく。
「早かったな」とウェルナー。
「面倒になったから式典後にくじ引きにすると言ってやった」
「くじ引き?」
「結婚、婿入りを望む者全員でくじ引き。当たりは五人」
「「五人!?」」
ウェルナーと私の声が裏返ったが、クラウスは口の端に意地悪げな笑みを浮かべてうなずいた。
「婚姻はひとり二年ずつ」
ウェルナーが公平だと笑う。
だがそれはつまり、誰と結婚しても構わない、相手には興味がないということだ。
「本気ではないよな?」
そう問うと。クラウスは笑みを消して注がれた酒を口に運びながら、
「さて?」
と言った。視線を合わせないまま。
ウェルナーが言おうとしたことも、分からなくなってしまった。後で話してもらえるのだろうか。




