52・1待ち時間
舞踏会の翌々日、またもフェルグラート邸を訪れた。シンシアからのお誘いだ。
ところが彼女は急な来客中とのこと。サロンでのんびりとひとりでお茶を飲んでいると、クラウスがやって来た。
一昨日は気のせいかと思っていたのだけど、日中の光の中で会って確信した。クラウスはやつれている。美しい目の下にクマをつくり、頬のラインがよりシャープになっている。
それでも彼は柔和な笑みを浮かべて、待たせる詫びを述べて優雅に椅子に座った。
彼と二人で対面するのは新年のあの夜以来だ。
幼いころ彼が狙われ、代わりに乳兄弟が毒殺されてしまったこと。
亡霊騒ぎに何か関係があるらしいこと。
気になることは沢山あるけれど、どう話していいのかがわからない。
私はきっと笑顔を保てていない。
そう思っていると、クラウスは
「何故そんな顔をしている」と尋ねた。「また私のせいで何かあったか?」
「いえ、何もないわ」どうやら誤解をさせてしまったらしい。「あなたこそ」
私?と不思議そうなクラウス。
「随分やつれているけれど、大丈夫?」
「そんなにやつれているか?」
「ええ。鏡を見ないの?」
「見ない。が、そういえばブルーノに言われたな。問題はない。仕事が立て込んでいたから、少し疲れが出ただけだろう」
さらりと話すクラウス。何でもないことのようだ。だけど鏡は見ないと言い切った。以前シンシアが、彼は自分の顔が嫌いだと話していたことを思い出す。
「鏡を見ないのは、自分の顔が嫌いだから?」
すっ、とクラウスの表情が消えた。酷薄そうに見える無表情。彼の優しさに見誤って、よくない質問をしてしまったらしい。彼にこんな顔を向けられたことはない。心臓がバクバクいう。
「ご……」
「昔ほど嫌いではないがな」
謝ろうとしたところで、クラウスが口を開いた。もう先ほどの顔ではない。遠い目をして、何とも言えない表情だ。
「以前の習慣で部屋に鏡を置いてないから、見る機会がない」
『以前の習慣』と胸の中で繰り返す。
「……そうなの」
と返事を返しつつも、何故そこまで厭うのかが気になった。だけどさすがにそこまで踏み込んだ質問をするような間柄ではない。だが。
「先代陛下に瓜二つと言われるのが苦手でね」
クラウスは自ら教えてくれた。
「物心つく前から乳母と侍女にそう言われていた。それとセットで、王家の正統な血筋は私、王位の正統な権利は私、とも。二人のことは好きだったがそう言われるのが、今にして思えば、よくなかったのだろうな」
彼はカップを手に取り、お茶を一口飲んだ。
「だが昔のことだ。シンシアは詳しくは知らない。話さないでくれ。余計な気苦労をさせたくない」
「わかったわ」
カップを戻すクラウスの手は、相変わらず絹の手袋に包まれている。
「あの」真っ直ぐに彼の目を見る。翠の瞳が陽光を受けて煌めいている。「父が、ごめんなさい。それから私やルクレツィアと親しくしてくれてありがとう」
「私は鬼門で、関わると破滅するのに?」
クラウスは意地の悪い笑みを浮かべた。それからふっと力を抜いた。
「私は寛大でもお人好しでもない。以前はラムゼトゥールの名のつく者、シュヴァインナーズの名のつく者、全てに災いあれと思っていた」
「……当然だわ」
「今は思っていない。あなた……たちに知り合えて良かった。信じてほしい」
真摯な目が私を見つめている。
大きくうなずいた。
「もちろん信じるわ」
「破滅させたいなんて考えていない」
「ええ。あなたのせいじゃない。そういう星回りなのよ、きっと。占いによるとね」
クラウスは視線を落とし、口をつぐんだ。
一昨日もルクレツィアとシンシアと、隙を見てエンドの話をした。
舞踏会に主人公は来ていたけれど、いつものようではなかった。マリーとテレーズたちのグループに加わっていたのだ。
一方でクラウスは終始ジョナサン妹のエスコートを完璧にしていたようだ。あまりの似合いっぷりに、取り巻きたちが悔しがっていると、当日既に噂になっていた。
ゲーム終了まであと一ヶ月。このぶんならばきっとバッドエンドだ。
だけどそれはこの人のせいじゃない。
「私にできる対策はあるか?」
思わぬ質問にまたたく。それからついつい吹き出してしまった。
「お人好しね。占いを信じてくれるのね」
「シンシアからも同じような話を聞いている」
そうだった。彼女は夢の話として、ルクレツィアと私が刺し違えることを話したのだった。
「大丈夫。ちゃんと考えているから」
この人は以前妹に、嘘でいいからジュディットを好きなふりをしろと頼まれたはずだ。
「あなたは気にしないで、好きなように振る舞ってね」
「……あと……週間だな」
うまく聞き取れなかった。
「え? ええ、あと四週間ね」
エンドまで。それもシンシアは話したのか。
そこへブルーノがやって来た。
「お帰りになります」
と言う。シンシアの客だろう。クラウスは失礼と言って立ち上がった。
「ブルーノ。彼女の案内を頼む」
はい、と答えるブルーノ。クラウスは何故か視線を反らしたまま、部屋を出て行った。
なんだか彼らしくない。やはり亡霊騒ぎの件などで心痛があるのではないだろうか。
「ねえブルーノ。彼は大丈夫なの? やつれているようだけど」
「お忙しいのです。二十周年記念式典の準備も任されていますからね」
「そう」
本当にそれだけ?と問いたい気持ちを押さえ込む。
「気をつけてあげてね。シンシアが心配することがないように」
「アンヌローザ様は?」
「私?」
「あなたも主人を心配して下さいますか?」
「もちろんよ」
だって、やつれているし。
バッドエンドなら彼は失踪だし。
当然、心配くらいする。
「……そういえば」
「なんでしょう」とブルーノ。
「ワイズナリー侯爵令嬢とはとてもお似合いだったわね、彼」
そう言うとブルーノは、カエルでも飲み込んだようなおかしな表情をした。
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