48・4兄と異母兄
前世の記憶を取り戻すまで、私はクラウスの存在を知らなかったの。
そうシンシアは言った。
「意図的に隠されていたのよ。両親からも、使用人からも」
酷いでしょう?と尋ねる声は震えていた。
「兄は一応、知っていたみたい。だけど幼少期に亡くなったと思わされていたの」
あまりのことに、なんて言葉を掛ければいいのかがわからない。クラウスがどんな人物か知っているからこそのやるせなさに、打ちのめされる。
「大人たちからすれば、私たち兄妹に余計な精神的負担をかけないつもりだったそうよ。よくそんなことを言えるわ。彼らはクラウスの精神的負担は考えなかったのだから」
シンシアは前世の記憶を取り戻した当初、クラウスはなんらかの理由で養子に来る人物と考えたそうだ。
遠い親戚筋かと思い、容姿の特徴とクラウスの名前をあげて、家令に親戚にいるかと尋ねたそうだ。その途端、決して表情を変えることがなく、使用人たちから鉄仮面とあだ名されている家令の顔が驚愕に固まったという。
それを機に存在を隠された異母兄がいると知ったシンシアは、同腹の兄と共に異母兄について調べようとした。
だがそれは難航したそうだ。家族だけでなく家令もその他の使用人も固く口を閉ざし、情報は外部から得るしかなかった。だけどその外部は、王位争奪戦に負けた人間について詳しくを知らないか、知っていても語りたがらなかった。
一年かけてなんとか、異母兄が火事を機に修道院に入ったらしい、ということまで分かった。だけどそれがどこの修道院なのかは、どうがんばっても分からずじまいだった。
その頃には、兄はすっかり落ち込んでいたという。
「兄は悪人でもないけど善人でもない、普通の甘やかされて育った貴族令息だったのよ」
シンシアは深く息を吐いた。
「それでも異母兄の境遇にかなりの衝撃を受けたみたい。しかも調査を始めるまでは、異母兄は妾腹で歳も離れていると思っていたそうよ」
それが実は元王女の正妻が生んだ同い年の兄で、妾腹は自分の方だった。正妻が死んだところへ愛人の母が入り込み、後見してくれれる人がいなかった兄が追い出された。
そんな事実を突きつけられたら、普通の神経の人間だったらかなりのショックを受けるだろう。
「兄は自分が生まれたせいで異母兄が邪険にされたと悩んでいたわ。両親ともケンカを繰り返すようになって。それで気分転換にと、シュタルク行きを決めたらしいの」
「私が嫁ぐために向かおうとしていた時期ね?」
問いかけるとシンシアはうなずき、ルクレツィアは驚いた顔をした。
「兄たちの方が何ヵ月か先だったけれど、あなたがシュタルクの都にたどり着いていたら向こうで会ったはずよ」
「あなたの話を聞いて思い出したわ。ベルナール・ジュレールとあなたのお兄様、それから当時の大使はクーデターが起きた中を必死に逃げて帰国したのよね」
「そうよ」
盗賊に遭って都へ戻り、再び旅支度をしている時に大使が送った密使が王宮に到着した。それで私の二度目の旅は中止となったのだ。
それからしばらくして、大使たちは国境警備隊に警護されて帰って来た。注目はクーデター勃発に居合わせた大使と、内務大臣の孫という肩書きのあるベルナールに集まっていた。
シンシアの兄は注目されるのが嫌だったのか自ら何かを語ることはなく、社交界では『そういやもう一人貴族が逃げてきたらしい』程度の認識だった。
ルクレツィアも思い出したわ、と呟いた。
「そう言えばベルナール・ジュレールはクーデター後、あちらの王宮が落ち着いたと聞くとすぐに戻ったのよね?」と彼女が尋ねる。
「ええ。兄も行きたかったみたい。だけど両親が許可しなかったし……私も反対したの」
シンシアは以前、前世の記憶を取り戻してから、兄を救おうとがんばったと話していた。だから反対したのだろう。
「ベルナール・ジュレールが帰ってくるのなら」と彼女は明るい声を出した。「兄の話を聞かせてもらいたいわ。一人では無理だから、二人とも付き合ってね」
哀しそうな顔を無理やり笑顔にするシンシアに胸が痛む。
ルクレツィアと二人、もちろんよと答えながら、彼女のためにクラウスは守りたいと思った。
◇◇
ルクレツィアがお手洗いのために席を外すと、シンシアがすかさず距離を詰めてきた。
「ねえ、アンヌローザ」
なぜか声を潜めている。
「どうしたの?」
「年越しの舞踏会で、クラウスと二人きりになった?」
「どうしてそれを!」
思わず叫んで、慌て手で口をふさいだ。
「あなたが広間から消えて騒ぎになったと聞いたから。あと、色々」彼女はにんまりした。「女の勘は鋭いの!」
「疲れたから休もうとして入った部屋に彼がいたのよ」
弁明する私。ふむふむとうなずくシンシア。
「それで? いちゃラブ展開来た?」
「来るわけないでしょ!」
思わずまた叫んでしまい、手を口に当てて扉を見る。
「なんだ、来なかったの。残念」
彼女は心底無念そうな表情だ。
「来るわけないじゃない」と今度は小声で抗議する。「主人公ではないのよ」
「まあ、クラウスはそんな人よね」
「どんな人よ」
彼女は肩を竦めた。
「服は? 着くずしていた?」
「ええ」渋々うなずく。「襟元を緩めていたわ」
「セクシーだった?」
シンシアは、恐らくは前世でゲームを前にしたときの表情をしている。
「……そうね」
「よしっ」
嬉しそうに拳を握るシンシア。
「『よしっ』て」笑みがこぼれる。「あなたが見られた訳ではないのに」
「いいのよ! 私なりの楽しみかたがあるの」
というか、疑問が沸き上がる。
「彼、自邸でもきっちり着こんでいるの?」
「ええ。三従者の前だけのようよ。気を抜いた格好をしているのは」
「ええ? 使用人の前でも?」
「……」
シンシアの表情が陰り、私は先ほどの話を思い出した。
「できたら、いちゃラブも聞きたかったわ」彼女はまた無理やり笑顔を浮かべた。
「ねえ、これ」と私は彼女の哀しみに気づかないふりをして進行表の『秘密をうち明ける』を指差す。「ダンスが苦手、ってことでしょう?」
「正解。きれいなフラグ折りでしょう? クラウスは主人公とのハピエンを望んでいないもの」
「全く! ブラコンね」
「あら、ルクレツィアだってそうよ。アンヌだけだわ」
「うちの兄はろくでなしだもの」
「もっともクラウスもシスコンだから釣り合いはとれているの」彼女は本物の笑顔を浮かべた。「きっと私がアレンを好きだとバレているわ。最近すごく、アレンに私の世話を焼かせようとするのよ」
私は表情を改め、居ずまいを正した。
「シンシア。ごめんなさい」
「なあに? 突然」
「私、あなたに告白される前からアレンを好きだと知っていたの」
「ええっ!」
「少なくともバカンスのときには、クラウスもブルーノもラルフも知っていたわよ。あなたのためにアレンは留守番になったと楽しそうに話していたから」
「ええっ!!」
真っ赤な顔のシンシア。
そこにルクレツィアが戻ってきた。
「あら、どうしたの?」
「私ってそんなにアレン大好きって態度に出てるかしら?」とシンシア。
「「出ているわ!!」」とルクレツィアと私。
三人で顔を見合わせて。
ご令嬢であることを忘れて、笑い転げた。




