45・2リヒターの本職
リヒターは警備隊の二人をちらりと見て、聞き取れるギリギリの声で
「ダブルデート?」
と呟いた。
「まさか!」
つい声が大きくなってしまい、慌てて口を閉じる。そんな誤解はされたくない。だがリヒターはあっさり、
「だよな。警備隊が一緒なら安心だ。じゃあな」
と言って、さっと離れて行った。
せっかく会えたのに。
だけど今日はリリーの日だ。仕方ない。
「入れそう?」とリリーが戻って来た友達に尋ねる。
だが。
「あれは裏町のリヒター・バルトだよな」
と友達は嫌悪感丸出しの顔で言った。途端に気分が沈む。
だけどダメだ。今日はリリーの日。
「知り合いなのか?」と友達。
「私」と名乗り上げる。「友達なの」
「あんな奴と? 知らないのか? 裏町の奴だぞ?」
友達が畳みかける。
「そういや前にリリーがあいつのことを聞いてきたか」
「あのね、アンヌにはいい友達なのよ!」リリーが声をあげる。「さ、中へ入りましょう」
「いいはずがない」と彼は私を見た。「あれはたちの悪い男だ。付き合っちゃいけない」
「そんなこと言わないで」とリリー。
だけど友達は、何故そんなことを言うんだと責めてリリーを睨んだ。
「あの男はな、高級娼婦アイーシャのヒモだ。しかもアイーシャが客から聞き出した秘密で強請をしてる。君にいい顔をしているなら、それは君がラムゼトゥール家の使用人だからだ。金になる情報を聞き出すためにな」
「やめてよ!」リリーが叫ぶ。
「……まあ、噂だ」とモブ君。
「しっぽを掴めてないだけだ」
「被害届が出てないんだ、決めつける訳にはいかない」
「届けが出せない巧妙さが問題なんだろうが! とにかくだ」
がしりと友達に肩を掴まれた。
「今後一切会っちゃいけない!」
ばふん!と。
リリーがバックで友達の顔を叩いた。
「帰る!」
そう叫んで私を引っ張る。
彼女は泣いていた。
後ろからすぐに二人が追ってくる。だけどリリーはずんずん歩く。
「リリー! どうした!」と友達。
彼女は足を止めると、
「アンヌは大事なの!」と叫んだ。「傷つける奴なんか嫌い!」
そしてまたずんずんと歩く。
我慢していた涙が零れた。
「ごめん、リリー」
「私こそすみません」
「おい」
と再び声をかけられた。リヒターだ。いつの間にか側に来ていた。
「……悪い、気になって見ていた」
二人で足を止める。リリーも私も涙でぐちゃぐちゃの顔だ。リヒターはハンカチを出して私にくれた。私は自分のハンカチをリリーに渡した。
「……二人だけじゃアブねえから、送るよ」
「ありがとう」
リリーもこくりとうなずく。
ちらりと後方を見ると警備隊の二人がこちらを見ていた。モブ君が友達を引き留めているようだ。
彼は『噂だ』と言った。証拠はないのだ。
「……さっきは声をかけて悪かったな。帰ろう」
そう言うリヒターは、ちっとも会っちゃいけない人には見えない。
三人でとぼとぼ歩きながら、以前彼がひものお相手さんは恋人じゃなくてギブアンドテイクの仲だと言ったことを思い出した。
あれはどういった意味なのだろう。お相手さんに匿ってもらうのがテイクなら、リヒターは何をギブしているの?
それに……。
「リヒター」
「なんだよ」
「リヒターのお相手さんて、アイーシャなの?」
つい先日、彼女に助けられたことを彼に話したばかりだ。その時彼はアイーシャについては、ふうん、しか言わなかった。主人公のことは、気を付けろとしつこく言っていたけど。
「……そうだ」
その答えに胸がキュッとした。
アイーシャは美人で妖艶で、しかも私を助けられる頭の良さもあった。私があんなに難儀していたのに。
あんな素敵な人とリヒターは一緒に暮らしているんだ。
恋人じゃないと言ってるけれど、本当かはわからない。本当だとしても、リヒターが惹かれてないなんて保証はない。
あんな人と毎日一緒にいるなら、私なんてガキ以下にしか見えなくて当たり前だ。
泣きたい気持ちを懸命に押さえる。
「それからね、リヒター」
「なんだよ」
見えない顔を見上げる。
「強請をしているの?」
「お、お嬢様!」
リリーが焦った声を出す。
「……してねえけど」
「だよね!」
だって一緒にいればそんなことをする人じゃないって分かるもん。リヒターはお金好きだけど、悪人じゃない。
「してねえけど」リヒターは言葉を重ねた。「俺が否定したことは他言すんな」
小さく低い声は真剣味を帯びている。
これも身を隠すための建前なのだろうか。
分かったとうなずき、リリーにも内緒にしてねとお願いをする。彼女も了承してくれた。
いつもの場所まで来るとリヒターは改めてリリーに、俺のせいで悪かったな、と言った。リリーは首を横に振った。
「何を言われたか、だいたいわかる」とリヒター。「警備隊としちゃ当然の反応だ。真面目なんだろうよ。腐った近衛より百万倍マシだぜ」
優しい。リリーを励ましている。
やっぱりリヒターは、誰にでも優しいんだ。私にだけじゃない。
やだな。今日の私はすごく醜い。
◇◇
屋敷に帰り、それぞれ令嬢と小間使いに戻るとリリーは真っ赤な目で、
「嫌なお気持ちにさせて、申し訳ありませんでした」
と頭を下げた。
「どうして! リリーのせいじゃないわ」
彼女は首を横に振る。
「正しければ人を傷つけていいなんてことはありません。ましてや正しいかどうかだって不確かなことです」
「リリーはリヒターを信じてくれるの? 今日の話は知っていたの?」
彼女はうなずいて、夏頃に詳しく、と言った。
「だけど本当に悪人なら、嵐の日にわざわざ手紙なんてくれません。お嬢様の身を案じているのは本当でしょう」
胸が熱くなる。手を握りしめてありがとうと言ってもそれだけじゃ、全然足りない気がする。
リリーは微笑んだ。
「ですが私が信じているのは、お嬢様ですよ。だからお嬢様を傷つけるような人は、たとえ悪気がなくても、許せません」
「リリー……。ごめんね」
「いいんです。彼のことが良くわかりました。相手が傷ついていることにも気づかない馬鹿者でした」
「……」
何か良い言葉を、と考えたけれど思い浮かばなかった。きっと友達は真面目で正義感の強い人なのだ。リリーと私を案じてくれたのだ。
だけどなぜ初対面の人に、大事な友達を悪人だと決めつけられなきゃいけないんだ。
モブ君は、証拠はないただの噂だと言ったじゃないか。
そう、ただの噂だ。
リヒターは王宮の内情に詳しいけど。裏町はそういう情報が集まるところだと話していたし……。
ちょっとばかり、詳しすぎる気もするけれど。
頼んだ調べ物も、早かったけれど。
きっと裏町はそんなものなのだ。




