44・3主人公vs…
アイーシャが誰に依頼されたのか。
クラウス? ウェルナー? 二人から話を聞いたクリズウィッド?
それとも先ほどの騒動が光の早さで王宮を巡ったのか。主人公はびしょ濡れだったから人目をひいただろう。侍女はあまり彼女に好意的ではなさそうだったから、もう同僚たちに話したかもしれない。
それを耳にした父とか? まさか。
アイーシャと話したことはないけれど、夜会などで遠目に見ているぶんにはそつのないご婦人だ。感じは悪くない。そしてゲームには確実に出ていない。頼っても大丈夫だろう。
その時はぜひお願いします、と返事を書いて侍従に渡した。
◇◇
思わぬところから救い主が現れて、ほっとしてルクレツィアの元を辞した。
屋敷に戻ったら、すぐにシンシアに手紙を書こう。それから兄にアイーシャについて聞いてみよう。
そんなことを考えて侍女の先導で歩いていると、柱の影から主人公が出てきた。思わずひっ、と悲鳴を上げた。
ドレスは濡れたままなのか、大きなショールをかけている。それでも寒いのだろう、紅をさしているはずの唇が紫色だ。もっとも主人公だから、そんなところも愛らしく見える。
だけどなんで? 急に私に固執するのはどうして?
恐ろしくて心臓が早鐘のように脈打っている。
「今日はお話ししたいんです!」
彼女はまた挨拶も抜きにそう言って私の前に立ちはだかった。
良く言えば、諦めない、ヒロイン的気質なのかな。でも怖い。
「大変失礼ですが」と口を挟んだのは侍女だった。「先ほど、フェルグラート公爵にアンヌローザ様とお話ししたいのならばお約束をしてからと注意を受けたのではありませんか」
驚いて侍女を見る。行きの時とは別の侍女だ。彼女は私を見て、
「西翼の侍従侍女はみな、クリズウィッド殿下からご下達がありました」
とにこりと微笑んだ。
クリズウィッド!
ありがとう!
「可哀想な公爵様。すっかり騙されてしまって!」
だけど主人公は意味不明なことを言い出した。きりっとした顔で私を見る。
「決めたのです! 怖がるのはもうおしまいにします! 公爵様のために、あなたにもの申すのです!」
えーと…………。
逃げたい。どうしよう。
ちらりと侍女を見ると彼女も呆れ顔だ。
「クリズウィッド殿下という婚約者がありながら、公爵様をたぶらかすのはお止めください!」
「……そんなことはしてません」
仕方なしに、一応反論してみる。
「確かに私は公爵様をお慕いしていますけど、だからといって嫌がらせをしないでください!」
「……していません」
「なぜ嘘をつくのですか! 公爵家のご令嬢なのに、卑怯だと思わないのですか!」
主人公は必死だ。自分が間違っていないと思っている。
と、廊下の向こうから誰かやって来るのが見えた。
アイーシャだ!
どこぞの紳士の腕に手をかけて、優雅にこちらにやってくる。
「お黙りにならないで、お答えください!」
主人公は私の糾弾に夢中になりすぎていて、後ろから来る二人に気づいてないようだ。
「では」と玲瓏な声が上がった。アイーシャだ。
ジュディットもようやく他人の存在に気付き振り返った。
「まずは最初の質問」アイーシャはジュディットを見てにこりとした。「侍女殿があなたに『注意を受けたのではないか』と尋ねましたね。それにお答えするのが先ではありませんか。それとも伯爵令嬢のあなたは、侍女の質問には答えなくてもよいと教育を受けましたか?」
主人公の頬がカッと赤くなった。
よかった、それを恥じる気持ちはあるらしい。小さな声で、そんなつもりは、と呟いた。
「では侍女殿の質問に答えてさしあげましょう」
「……注意は受けました。でも公爵様はアンヌローザ様にたぶらかされているから、不条理なことを仰ってしまうのです!」
「つまりフェルグラート公爵様は、十七歳の小娘のせいで正常な判断ができないうつけ者だということですね」
「っ! そんなつもりは!」
アイーシャは微笑みを崩さない。どちらかと言うと、隣の紳士の顔が強ばっている。
「それからアンヌローザ様はあなたの質問に『そんなことはしていない』とお答えになりました。それに対してあなたはなぜ『そんな嘘をつくのか』とまた質問をしたのでしたね」
「ええ! その返事を待っているところです!」
主人公の顔が分かりやくす明るくなった。我が意を得た、と思ったのだろう。
「ではジュディット様。まずはなぜ、アンヌローザ様が嘘をついていると考えるのかを、きちんとご説明なさらないといけませんね。ただ感情的に叫ぶだけでは、話をしているとは言えません。あなたの主張を押し付けているだけではありませんか」
ジュディットは真っ赤になって、おろおろし始めた。だって、とか、でもと呟いている。それから小さな声で
「だって皆さんがそう仰っているもの」
と言った。
「アンヌローザ様が公爵様をたぶらかしているって。私に嫌がらせをするのは、庶民出身の私が公爵様をお慕いしているのが気に入らないからだって」
「『みなさん』ってどなた?」
「え?」
「その『みなさん』にはわたくしは入っていません。きっとそれはあなたの周囲にいるわずかな方たちだけでしょう? アンヌローザ様のご評判を、アンヌローザ様と親しくされている『みなさん』に尋ねてご覧なさい」
ね、とアイーシャは私を見て微笑んだ。
「アンヌローザ様のお友達の『みなさん』は、優しい彼女が酷い噂に傷つけられていることに、とても胸を痛めていらっしゃるのよ。だからフェルグラート公爵様はあなたに注意をしたのです。たぶらかされているのではありません。常識的な判断をされているの。クリズウィッド殿下も、もちろんそう。彼女のお友達の『みなさん』からすれば、あなたがアンヌローザ様に嫌がらせをする恐ろしい人なのよ」
「私嫌がらせなんてしてないわ!」
「『なんでそんな嘘をつくのですか。卑怯だと思わないのですか』」
主人公の主張にアイーシャはそう返した。
「先ほどあなたがアンヌローザ様に仰った言葉よ」
主人公は両手をきつく握りしめて蒼白だ。そんな彼女にアイーシャは微笑む。
「社交界に入ったものの、お友達どころか知り合いもいなくて大変だったのでしょう。悪意ある方たちに惑わされてしまうのも仕方なありません。これからは少しでいいから視野を広くお持ちになってくださいな。わたくしでよければ、お話し相手になりましょう。ただし、サロンと夜会の場だけですが。それ以外は」
彼女は艶然と微笑んだ。
「有料です」
思わず、払うわ!と叫びたくなるぐらいの妖しい微笑みだった。彼女が殿方たちの話題に上がる理由がよくわかる。
いつの間にかジュディットも呆けた顔になっている。
「さあ、ジュディット様。質問にきちんと答えて下さったアンヌローザ様にお礼をなさって。風邪をお召しになる前にお帰り遊ばせ」
アイーシャの言葉に我にかえったジュディットは、もごもごと何か言って去って行った。
彼女の姿が見えなくなるのを待って、アイーシャに厚く礼を言った。
「まったくねえ」
彼女は先ほどまでとはうってかわって、普通の雰囲気になっていた。
「依頼を受けた後に気になって、ジュディット様が王宮を辞しているか確認したの。そうしたらまだ留まっているというでしょう? まさかまた待ち伏せしているのかしらと思って探しに来たのよ。ドンピシャだったわね」
「本当にありがとうございます。全く話が通じないからどうしたものかと……。依頼はどなたから?」
「秘密。あなたに教えてはいけないの。安心してね、費用はあちら持ちだから」
……なんだろう、この拝金主義的なところ。リヒターを彷彿させるなあ。
「一回限りの依頼ではないわよ。ジュディット様に困ったらいつでも呼んで下さいな」
「あの小娘以外は料金外なのか?」
喋った! アイーシャが腕を組んでいる男性が! ずっと黙っているから、置物かと不安になるとこだった。
「そうよ。だけど彼女以外でわたくしを頼ることはないでしょう? アンヌローザ様には頼もしいお友達が沢山いますものね」
うなずく。
「お友達には恵まれているのだけど、ジュディット様のことには巻き込みたくなくて困っていました」
「今回で目が覚めてくれるといいのだけど。恋は盲目といっても、彼女は盲目すぎるわ」
「恋する娘は無鉄砲だな」
と紳士が苦笑する。
彼は主人公が消えた廊下を見ていたけれど。
なんとなく自分が言われた気がした。




