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44・1ゲーム後半開始

 いつもどおりに侍女の先導でルクレツィアの元へ向かう途中。西翼に入る寸前のところで柱の影から主人公が出てきたのだ。なにやら難しい顔をして両手を握りしめて。


 私がルクレツィアの元へ来るのに、決まった曜日はない。せいぜい午後のお茶の時間が多いかな、というぐらい。主人公は一体何日、ここで張っていたのだろうと考えるとぞっとする。


 関わりたくないのに!


 彼女は私のすぐ前、立ちはだかるような位置までやって来た。

「アンヌローザさま。少しだけお話させてくださいませんか。二人だけで」

 挨拶も抜きに震える声でそう告げた主人公ジュディット。

 一体どういうつもりだろう。

 こちらも恐怖に震えそうだ。


「ごめんなさい。約束がありますから、またいずれ」

「どうして!」

 彼女は細い声で叫んだ。大きく見開いた目はうるうるしている。

「なぜそのような意地悪を言うのですか?」


「え?」


 その声は私ではなく先導の侍女だった。見ると慌てて片手で口を押さえている。

 よかった、同じく疑問に思ってくれる彼女がいてくれて!


 懸命にゲーム上の次の意地悪がなんだったか思いだそうとしているのだけど、焦りすぎて出てこない。


「先を急いでいるだけよ」

 なるたけ穏やかな声で言ったつもりだけれど、震えてしまった。だけどジュディットの目からは大粒の涙がひと粒こぼれた。


「私のような庶民上がりとは話したくないということですか?」


 なぜそうなるの!?

 罠?

 またしても私は嵌められようとしているの?

 実は今までの黒幕は彼女なの?


「そうではなくて、また今度、夜会か、サロンか、時間がたっぷりあるときにお話しましょう」

 あと人目ね!

「いいえ、二人きりで話したいのです。それほど私がお嫌いですか」


 うわあ、もう駄目。話が噛み合わなさすぎる。


「違うけれど、また今度」


 私は令嬢にあるまじき早口で告げ、令嬢らしからぬ早足で彼女を迂回して先に進んだ。

 先導役の侍女も必死に早足を合わせてくれる。


「アンヌローザさま!」

 ジュディットの悲痛な叫びが背後から聞こえたと思うとたたたっと駆けてくる足音がした。


 怖い!

 と思った瞬間に思い出した。次の意地悪を。


 彼女はまた私の前に立とうとしたのだろう。脇をすり抜けようとしたところで、ジュディットは激しい音を立てて豪快に転んだ。


 慌てて足を止める私と侍女。

 心臓がドキドキいっている。

 次の意地悪は私が彼女のスカートを踏んづけて転ばせるというもの。それはサロンでの出来事だけど、ゲームと現実で場所が違って起こることはもう経験済みだ。


 ゲームでは転んだ彼女は円卓に突っ込んでしまい、お茶とお菓子にまみれて大惨事になる。

 今は。掃除後に片付け忘れてしまったのか、なぜか水の入った木桶があったようだ。それにぶつかったのだろう、ドレスは水浸し頭には汚い雑巾が乗っている。


「……あの。大丈夫?」


 呆然としている彼女に声をかける。どう見たって大丈夫じゃない。

 ジュディットは私を見上げ、ひどいと呟くとしくしく泣き出した。


 こっちの方が泣きたい!



 と、背後から深いため息が聞こえた。

 振り返るとクラウスがいた。それとウェルナー。

 クラウスだけじゃなくてよかったと安堵するべきか、なんでいつもいつもタイミングが良すぎるんだと憤慨するべきなのか。それすらもわからない。



「……黙って隠れているつもりだったのだが」

 とクラウス。美しい顔が、うんざりだと語っている。


 ジュディットは恋する君の登場に一瞬泣き止み頬を染めたが、すぐに自分のみじめな姿を思い出したのだろう、うつむいて再び泣き始めた。


「アンヌローザ殿はルクレツィア殿下の元へ行くところですか?」

 ウェルナーが素敵ボイスで尋ねてくれた。名前を呼ばれるのは久しぶりの気がする! うっとりしそうになるのを懸命に堪え、そうだと答える。


「では私たちと共に行きましょう」とウェルナー。「侍女殿はゴトレーシュ男爵令嬢を」


 仕方なさそうな顔でうなずく侍女。


「ゴトレーシュ伯爵令嬢」

 今度はクラウス。主人公に声をかけたけれど、ブリザード並みの冷たさだ。ジュディットも気づいたのだろう、ビクリと肩を揺らした。

「アンヌローザ殿にどのような用件かは知らぬが、彼女はあなたの軽率な行動により被害を被っている。話がしたいのならば人を介して約束をとり、必ず他者同席を認めることだ。でなければ彼女に近づくな」



 ……えーと。

 話の内容は大変ありがたいのだけど。それを口にしているのがクラウスって時点で色々詰んでしまっている気がする。

 背中を嫌な汗が流れているよ。十二月だっていうのに。


 じとりとクラウスを見ていると、彼と目があった。はっとした顔をされる。


 こほんと咳払いをしたクラウスは主人公に近寄ると、

「こんなものは早く取れ」

 と、やや柔らかい口調で言って彼女の頭に乗っていた雑巾を取り、転がっていた木桶に入れた。


 ツンデレ?


 いや、さっきの態度を考えると、シンシアの話を思い出して気遣ってくれたのだろう。いい人だ。


 ジュディットは切り替えが早いのか、うっとりとした目になってクラウスを見ている。

 大丈夫かな。彼、ついさっきすごく良いこと(私にとってだけどね)を言ったんだよ。忘れないでよ!


 ウェルナーに行きましょうと促され、一応主人公に声をかけてからその場を後にした。

 なぜか攻略対象二人に挟まれている。まるでヒロインだ。この配置はクラウスの取り巻きが怖い。


 だけど、その前に。主人公から十分な距離が開いたのを見計らって、二人に礼を言った。


「本当に出るつもりはなかったのです」と苦笑するウェルナー。「クラウスが関わると、いつも悪い方向に行くようですからね」

 当の本人はうんざり顔をしている。

「手袋は大丈夫?」と尋ねる。

 雑巾を掴んだせいで指先が濡れてしまっている。

「スペアがある」

「用意がいいのね」

 だがそれだけ、何がなんでも手を見せたくないということかもしれない。ちょっと切ない。


「多分、この並びも良くないだろう」とウェルナーが友人に言って、私の肩に手を置き誘導した。私、ウェルナー、クラウスの並びになる。

「ありがとう」とウェルナーに笑顔を向ける。「私もこの方が落ち着くわ」

 ウェルナーが穏やかな笑顔を返してくれる。

 さすが前世の私の推し。近くで見る笑顔は素敵すぎる。大人の魅力満載だ!





 ……なんて喜んでいる場合じゃないよね。

 まんまとゲーム後半も悪役令嬢レールを進んじゃっているよ。やっぱりこのゲームの強制力はすごいんだ。


 どうすればいいんだろう。


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